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webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る



Q&A - 2 慰安所における実態

 - 1 文書がないから事実(被害)を証明できないか? を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=166 (なお魚拓は無効な構造です)


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。


 Q&A編 2 慰安所における実態

 1 文書がないから事実(被害)を証明できないか?

 

 「え? もう『異議あり!』なの?」と厭きられてしまいそうですが、異議ありです。

 そもそも慰安婦制度に対して日本政府が有責かどうかを論じる際に、「慰安婦が受けたと主張する被 害は事実か / 否か」は意味がありません。

 NHKの職員やら、朝日新聞の職員やら、警察官やらに暴行を受けたとか、強姦されたとか、騙され て大金を失ったとか、そういう事件が起こったからといってNHKも朝日新聞も警察機構も有責になんか なりません。 その行為を会社や組織が知っていた可能性が濃厚であった場合に、道義的責任を負う のが関の山です。

 ですから、再三述べている通り、

 「官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れて行く」という言葉は、
 「(日本軍の軍命を受けた)官憲が家に押し入っていって人を人攫いの如く連れて行く」
 であって、
 「(個人的な判断で勝手に行動した)官憲が家に押し入っていって人を人攫いの如く連れて行く」
 ではありませんし、同様に

 「官憲が家に押し入っていって、甘言で人を騙して連れて行く」という言葉は、
 「(日本軍の軍命を受けた)官憲が家に押し入っていって、甘言で人を騙して連れて行く」
 であって、
 「(個人的な判断で勝手に行動した)官憲が家に押し入っていって、甘言で人を騙して連れて行く」
 でもありません。

 ゆえに、朝鮮人女衒や 漢奸(日本人の手先となった中国人)または日本人将校が旧日本軍および 日本政府の与り知らない所で犯した罪について、証明が完遂されようとも、それを以て今の日本政府 が謝罪 ( ちなみに、賠償に関しては日韓基本条約で“最終的に”解決済みです) をしなければならな いという話になんか成りません。

 日本政府が有責になるのは、あくまで
 「(日本軍の軍命を受けた)官憲が家に押し入っていって人を人攫いの如く連れて行く」
 であったり、
 「(日本軍の軍命を受けた)官憲が家に押し入っていって、甘言で人を騙して連れて行く」
 などの様に
 罪を犯した朝鮮人女衒や 漢奸(日本人の手先となった中国人)または日本人将校が日本軍の軍命 を受けていると証明された場合に限られます。

 犯罪が個人的な判断で勝手に行なわれた可能性があり、日本軍の軍命を受けていると証明できない 以上、朝鮮人女衒や 漢奸(日本人の手先となった中国人)または日本人将校が犯した出)あろう罪に ついて幾ら証明しても意味はありません。 まさしく徒労そのものです。

 更に言えば、朝鮮人女衒や漢奸(日本人の手先となった中国人)または日本人将校の犯行が、本ペ ージに於いて地裁や高裁の判決文に書かれている事を以て 「 事実確認が成されたと見做している 」  が、これは大きな間違いである。

 既に [ Q&A編 - 1 「慰安婦」の徴集と連行 - 2 暴行・脅迫による連行はなかった? を斬る ] で 論破済みだが、もう一度再検証してみよう。

 慰安婦の被害事実(証言を含む)が認定された8件の裁判に於ける被告は国・・・つまり、日本政府で ある。

 圭坊が被告人を強姦したとか、圭坊が被告人に対して普通の仕事だと偽って、騙して慰安所に(広義 の)強制連行をしたとか、圭坊が被告人に暴行を加えたとか、そういう“事実”が書かれているのではあ りません。

 なんと! 旧日本軍の誰かわからない人が被告人を強姦したとか、 旧日本軍の誰かわからない人 が被告人に対して普通の仕事だと偽って、騙して慰安所に(広義の)強制連行をしたとか、 旧日本軍 の誰かわからない人が被告人に暴行を加えたとか、そういう“事実”が書かれているのである。

 これでは抗弁のしようがありません。

 特定された個人が容疑者であるならば、たとえ本人が存命でなく鬼籍であったとしても、たとえば提訴 人が被害を受けたという場所に当該時期は居たことは無いとか、提訴人が被害を受けたという日時に 容疑者は任務を受けて軍事活動に就いており、それが他の兵士の日記等で証明できるとか ―― 運 が良ければ、ですが ―― 無実の罪である事を証明する事は、完全に不可能ではありません。

 しかし、容疑者が『旧日本軍の誰かわからない人』 ―― そもそも本当に存在したかどうかも怪しい “誰か” ―― では無実の証明は完全に不可能です。 それでも、この提訴が戦後スグに行われていた なら、まだ可能性は僅かながらありました。 戦死せずに無事に本国へ帰れられた幾万の兵隊に聞き 取り調査をすることが可能だったからです。 もしかしたら、提訴人が被害を受けたとする日時に当該 場所に居なかったとする(予め打ち合わせることの出来ない)複数の証言が得られるかも知れません。

 しかし、サヨクの方々が『慰安婦の被害事実(証言を含む)が認定された8件の裁判』と鼻息荒く語る 最初の提訴が1991年です(奇しくもサヨクの方が従軍慰安婦問題を発明した直後ですw)。 日本の敗 戦から実に46年が経過しており、戦死せずに無事に本国へ帰れられた幾万の兵隊さんもかなりの数 が鬼籍になっていたでしょうし、老齢で記憶が不確かになっていた人も多かったでしょう。 誰がいつ何 処の部隊に居たのか、その人が20世紀末に何処で暮らしているのか・・・特定の誰かを捜すならマダし も、提訴人が被害を受けたと主張する日時と場所に居合わせた人を捜すなんて雲を掴む様な話です。  国家事業として本気で取り組めば、可能性が無くは無いのかも知れませんが、何億掛かるか分かり ません。

 ですから、これは、事実上の「悪魔の証明」と言わざるを得ないのです。

 もちろん、裏付けが一切ない証言のみですから、常識的な司法判断であれば 「 事実と認定するに足 る証拠がない 」 として門前払いが妥当な判断でしょう。

 ではなぜ、受理されたのか?・・・これは下衆の勘繰りですが、おそらくサヨク連中は却下されても即 時抗告し、革新的な思想に侵された裁判官に中る事が出来るまで踏ん張ったのでしょう。 提訴が受 理されさえすれば、九分九厘サヨクの勝利が確定します。 当然のことながら、告訴の理由欄には旧日 本軍関係者による犯罪がずらりと並んでいます。 内容は、前述の通り悪魔の証明ですから、告発さ れたが最後、被告に分はありません。
 もちろん、提訴人に賠償請求権はありませんから、最終的に敗訴するのは提訴人の方です。
 しかし、裁判官が判決文に 「 提訴人が主張する被害は証拠不十分により事実と見做す事が出来な い 」 と書かれない限り、それは事実として認定されたのと同じ意味になってしまいます。

 提訴人は本気で賠償金が貰えると思って訴訟を起こしているのかも知れませんが、その後ろでネジ を巻いている日本のサヨクの目的は、日本軍関係者の悪行を判決文に載せることでした。 それは、 日本の裁判システムを逆手に取った凄い技だったのですが、本来裁判所が採るべき姿勢 ―― 「 疑 わしきは被告の利益に 」 「 推定無罪 」 を逸脱しています。 提訴人(の後ろに居るサヨク)の目的が 賠償金ではない以上、「 最終的に最高裁で棄却された 」 は被告の勝利ではありません。  提訴人(の 後ろに居るサヨク)の目的が 「 日本軍関係者の悪行を判決文に載せる 」 である以上、『慰安婦の被 害事実(証言を含む)が認定された8件の裁判』は、提訴人(の後ろに居るサヨク)の完全勝利です。

 長くなってしまいました。

 纏めましょう。

 @ 慰安婦問題に於いて旧日本軍および日本政府が有責になるのは、朝鮮人女衒や
   漢奸(日本人の手先となった中国人)または日本人将校が旧日本軍および日本政府の
   依頼またが軍命うを受けて、売春をする意図のない女性を意に反した売春業に就けさせた
   場合に限る。

 A 慰安婦の被害事実(証言を含む)が認定された8件の裁判は、日本軍関係者の犯罪が
   検証されていない(悪魔の証明だから検証できない)。

 です。

 繰り返しになりますが、これで旧日本軍や日本政府を有責になんか出来ません。

 それが本ページの真相です。



 と云うワケで本ページはお終い。

 ですが、「反証が出来ない部分があったから圭坊は逃げたのだ」と邪推されるのも癪なので、一応以 下に反駁を記しておきます。

 はっきり言って無駄に長いですよ。










 このQから直ぐ思いつくのは、辻元議員の質問主意書に対する前安倍内閣の答弁書です。
 それには
 「 ( 1993年の政府 ) 調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、
  軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった 」
 とあります。(2007・3・16)。
 更に安倍総理は国会答弁で、
 @ 軍や官憲が 「 家に押し入って人さらいのごとく 」 連行する狭義の強制性と、
 A 「 行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、
    結果としてそういうことになったことについての関連があった 」
 という広義の強制性に分け、
 @ はそれを示す文書が無いから事実ではない。
 このことが「重要」で、米下院決議は事実誤認に基づいている。
 従って決議があがっても謝罪しない、と答弁しています
 (2006・10・6衆・予算委、2007・3・5参・予算委)。
 つまり、事実は、貧しい家計のためにお金を稼ごうと「慰安婦」になった「商行為」であり、
 国に責任はないという認識に立っています。

 (下線は筆者。以下も同様。)

 この「文書が無いから強制連行の事実が無い」という論理は多くの観点から反論できます。
 例えば、

 1、多くの文書は、敗戦直後焼却処分された。

 

 何度も何度も、ありとあらゆるWGIPで使い回された妄言を吐くな。

 

   試訳:ロシア修正主義者の声(1)
   http://revisionist.jp/katsman_01.htm
   グラーフによると、ヒトラー一派による現存の命令書の中には、
   ガス室によるヨーロッパ・ユダヤ人の大量絶滅に言及している文書は一つもない。
   「東方」計画にしたがったソ連住民(まず、ユダヤ人と共産党員)の殺害命令は存在する。
   負傷者に病院のベッドを空けるために、瀕死の病人を殺害する命令も存在する。
   精神病院に収容されている患者の殺害、撃墜されたアメリカ軍飛行士の殺害、
   占領地域での人質の射殺命令も、署名、部局印、部数入りのものまで、お望みどおりに
   存在する。
   しかし、ガス室について何らかのかたちで言及している資料は、
   一つたりとも発見できなかったのである。
   数百万の大量埋葬地もやはり一つたりとも発見できなかった。
   すべてが焼却されたとしても、焼却された骨からの数千万の歯を、跡形もなく、
   消し去ることはできないであろう。

 日本軍の書類の一部が燃やされてしまった事は事実である。

 しかし、一度でも事務職に就いた事のある人なら骨身に沁みて知っている通り、膨大な書類から一つ の事象だけを痕跡を残さずに消し去る事は不可能。 どこかで辻褄が合わなくなるは必至である。


 2、そもそも家に押し入って拉致せよというような公文書は作らない。

 

 だから

   試訳:ロシア修正主義者の声(1)
   http://revisionist.jp/katsman_01.htm
   グラーフによると、ヒトラー一派による現存の命令書の中には、
   ガス室によるヨーロッパ・ユダヤ人の大量絶滅に言及している文書は一つもない。
   「東方」計画にしたがったソ連住民(まず、ユダヤ人と共産党員)の殺害命令は存在する。
   負傷者に病院のベッドを空けるために、瀕死の病人を殺害する命令も存在する。
   精神病院に収容されている患者の殺害、撃墜されたアメリカ軍飛行士の殺害、
   占領地域での人質の射殺命令も、署名、部局印、部数入りのものまで、お望みどおりに
   存在する。
   しかし、ガス室について何らかのかたちで言及している資料は、
   一つたりとも発見できなかったのである。
   数百万の大量埋葬地もやはり一つたりとも発見できなかった。
   すべてが焼却されたとしても、焼却された骨からの数千万の歯を、跡形もなく、
   消し去ることはできないであろう。

 だと言っておる。

 当時の法律で裁けないグレーゾーンだった様々な行為が、東京裁判やニュルンベルク裁判で遡及し て裁かれている。

 冷たい目で見られる賎職だったかも知れないが、当時は売春も管理売春も合法であり、かつ、朝鮮 半島や東北の農村等は貧困層の巣窟だった。 今の様に豊かになってさえも、韓国内に韓国人売春 婦が(管理売春だけで)180万人も居て、海外に(同じく管理売春だけで)9万人の韓国人売春婦が居る (その内、5万人は日本で稼いでいる)。 だから、普通の被管理売春婦でも募集すれば成り手は居た し、報酬が桁違いに高額な慰安婦ならあっという間に枠が埋まった。 だから、そもそも 「 家に押し入 って拉致 」 する必要なんかなかったのだ。
 また、統合直後から朝鮮半島に於ける警察官は、その6割が朝鮮人だったので、少なくとも朝鮮半島 で拉致誘拐することは、誘拐犯として手配されて捕まる事を意味する(詳しくは後述します)

 だから、公文書を作らないんじゃなくて、家族の知らないところで女性が誘拐されることは、起こらな かった・・・当人が拉致誘拐されたと思い込んでいる被害は、すべて家族に売られただけだったのだ(こ れも後で詳しく説明します)

 > そもそも家に押し入って拉致せよというような公文書は作らない。

 のではない。 そんな事件は起こらなかったのだ。


 3、政府発見の資料の中には記述が無いと言いながら、
   実は他に戦後のバタビア裁判等の資料があり、安倍総理もオランダ人に対しては
   軍による強制連行を認めている
   (2007・3・26参・予算委。他にも東京裁判、オランダ政府の調査報告書等がある)。

 

 スマラン事件は、軍が組織的な強制連行を「不可」であるとしていた、有力な物証の一つです。

 

   2013年07月11日
   慰安婦強制連行−否定派の根拠揺らぐ(11日の日記)
   http://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/201307110000/
   > 「スマラン事件」は最近になって発覚した事件ではなく、
   > 日本の敗戦直後に裁判が行われて判決も出ている事件であるが、
   > それを安倍首相はどのような巧妙な詭弁を弄して「強制連行した証拠はない」などという
   > デタラメな閣議決定をしたのか、6月25日の東京新聞は、次のように解説している;
   >
   《以下本スレ略》

   > まさかとは思うけど・・・・ Voss さん
   >
   > えーと、一応の確認ですけどね?
   >
   > 白馬事件=スマラン事件(別名)
   >
   > ・・・・っていう、基本的な事すら知らないってオチはあるまいな?(汗)
   >
   >
   > そもそも白馬事件は「政府・軍の主導」においては「強制連行を禁じていた」ことを示す事例。
   > これらの事件を起こしたのは現地部隊の一つに過ぎず、
   > 上級司令部の視察で強制連行された人がいた
   > (勘違いされがちだが、オランダ人慰安婦の7割くらいは同意の上で慰安所に居た)
   > ことが判った後は、即座に全てのオランダ人慰安所が閉鎖され、慰安婦は解放されている。
   >
   > つまり、日本軍において「強制的に連行して慰安所に放り込む」行為は、
   > 軍団レベル(一方面軍の更に下)でダウトである旨が認識されていた。
   >
   > 要するに、これは日本軍の許されざる蛮行の記録であると同時に、
   > 軍が組織的な強制連行を「不可」であるとしていた、有力な物証の一つでもある。
   >
   >
   > この時点で、責任者が日本軍内部で処罰されていないことを以て
   > 「上級司令部も同意していた」という無茶な解釈をするバカも多いが、
   > 当時のインドネシアは南方戦線における最前線であり、
   > 後送も処分も最前線部隊の戦力低下に直結するという、純軍事的な理由も存在する。
   >
   > 無論、この処分留保は後々問題となり、他の部隊からの抗議もあった。
   > また、戦後これらの事件に関わった者は戦犯裁判にて極刑に処されている。
   >
   > 軍が問題視し、慰安所を閉鎖した事実がある以上、白馬事件は
   > 「強制的に拉致された」
   > という物証にはなっても、
   > 「日本政府・日本軍が組織的に女性を拉致した」
   > という、『狭義の強制連行』の物証には該当しない。
   >
   >
   > そして、白馬事件は最前線における軍政下によって発生した事例であり、
   > 朝鮮半島全域にて同様の事例は一切発生していない。
   >
   > そもそも、最前線であるインドネシアですら、同事件の命令書や調査資料、
   > 閉鎖命令に至る経緯の報告書が残っているというのに、銃後である朝鮮半島において
   > そういった物証が一切残っていないのでしょうな?
   >
   > 普通、どう考えても逆になるだろ。


 4、事実を証明する証拠は文書だけではないし、文書に残らない(なじまない)事実は
   証言によってこそ明らかにされる(オーラルヒストリーの重要性)。
   また、文書の方が価値が高いということもない。
   裁判においては、書証も証言も同様に証拠として扱われ、
   どちらもその内容に信憑性があるかどうかの吟味を経て事実認定に使われる。

 

 そうだ。 その通りだ。

 信憑性があると判断されるに足る裏付けがあれば証言は有効だ。

 しかし、裁判で使われた裏付け史料が存在するなら、何も裁判所限定でなくて、自称従軍慰安婦の 婆さんに被害を叫ばせる際に聴衆へ提示すれば良い。

 報道陣のカメラに突き付けてやれば良い。

 なぜしない。

 さっさとやれ。


 5、そもそも、この問題の本質は募集時の強制連行ではなく、
   慰安所での性行為の強制(性奴隷化)であり、
   その慰安所制度を展開した日本の責任問題である、等です。

 

 当時は管理売春が合法であった。 そして、民度の低い現地人に全てを任せていたら、折角応募して 下さった慰安婦の方々に、衛生的な仕事場や十分な食事,そして性病予防を含む健康管理が出来な く成る恐れがありました。 かといって、日本軍自体が慰安所を営んでしまえばそれは利権の独占とな り、現地業者の反感を買う事になったでしょう。 そこで賢い旧日本軍と日本政府は、現地業者や追軍 する女衒に運営を任せることで利権を手放し、その代わりに監視することで慰安婦と兵士を守ろうとし たのです。

 そこに犯罪性は全く存在しません。


 ■ ここでは、4と5 について日本の裁判の判決を中心に具体的に考えていきましょう。

 4では、まず被害者の証言が重要です。
 提訴された10件の「慰安婦」裁判のうち8件の判決では、
 原告(高裁なら控訴人)の証言(陳述や供述)が他の証拠と照らして厳密に判断されて、
 一人ひとりの被害事実が明確に認定されています。

 (なお、賠償請求は認められませんでしたが、事実認定は確定しています。)

 

 この件は既に説明済みです。

 このページの一番下に在る[ BACK ] から  [ webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘 却への抵抗・未来の責任』 を斬る ] のメニューへ移動して頂き、其処に在る[ Q&A編 - 1 「慰安婦」 の徴集と連行 - 2 暴行・脅迫による連行はなかった? を斬る ] をご覧くだされば事実認定なんかさ れていないことが御理解頂けると思います。

 告訴は特定の人物を被告としているわけではなく、日本政府を被告としています。

 したがって、誰か特定の人物に犯行されたのではなく、誰か分からない日本軍関係者に犯行されたと いう無茶苦茶な告訴であり、当然の事ながら告訴状の理由欄を検証することが [ 悪魔の証明 ] になっ てしまいます。
 つまり、地裁や高裁で判決文に書かれた事実認定とは、告訴状に書かれた理由欄を丸写しにしただ けであって、ちゃんと検証され史料に裏付けされた“事実認定”ではありません。

 これについては、このページでも後で詳しく扱います 。


 ■以下、判決で示された事実認定を紹介しましょう。

 なおここで紹介する裁判の判決文は、
 坪川宏子・大森典子編著『日本の司法が認定した「慰安婦」』かもがわブックレット、2011年、
 に掲載されていますので、くわしくはそのブックレットをご覧ください。

 【1】 狭義の強制連行を事実認定している判決

   (1) 中国人「慰安婦」損害賠償請求(第一次)裁判  東京高裁判決( 2004・12・15)

   第3 当裁判所の判断

   1 本件各行為及びその背景事情について

     証拠(甲3ないし11
     …以下略、当審における証人近藤、同石田、原審における控訴人李本人、
     同控訴人周本人、原審及び当審における劉本人)
     及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。(一部公知の事実を含む。)

    (1) (前略)

       なお、日本軍が占領した地域(注:山西省太原)には、
       日本軍人の強姦事件を防ぐ等の目的で、「従軍慰安所」が設置され、
       日本軍の管理下に女性を置き、日本軍将兵や軍属に性的奉仕をさせた。
       八路軍が1940年8月に行った大規模な反撃作戦により、日本軍北支那方面軍は
       大損害を被ったが、これに対し、北支那方面軍は、同年から1942年にかけて徹底した
       掃討、破壊、封鎖作戦を実施し(いわゆる三光作戦)、

 

 不勉強も甚だしい裁判官だな。 日本語に掃討・破壊・封鎖作戦を意味する「三光」は存在し無い。

   wikipedia「燼滅作戦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/燼滅作戦 - 1 三光作戦

   > 三光作戦
   >
   > 対応する中国語の呼称は三光作戦であり、
   > 1941年の『解放日報』に初出が見られるという
   > ( 尚、当時の『解放日報』は、中国共産党の博古が責任者を務めている )。
   > 三光とは、殺光・焼光・搶光をさし、それぞれ殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くすことを
   > 意味する漢語である。
   > (北方漢語で「〜光」という接尾詞は「〜しつくす」という意味になる。)
   > 日本の資料には燼滅作戦等の名称で記されている。
   > 日本では撫順戦犯管理所等に収容され後に解放された中国帰還者連絡会が
   > 1957年に発行した『三光』からこの「三光作戦」という呼称が広がったとされる。
   >
   > 神吉晴夫編『三光 日本人の中国における戦争犯罪の告白』
   > (光文社カッパ・ブックス、1957年)
   >
   > ちなみに現在の中国において三光作戦の司令官とされている岡村寧次は
   > 南京裁判では石美瑜裁判長の判決により無罪となり、日本に帰国している。
   >
   > 通常日本語で「三光(参照:Wiktionary)」と言うと三光鳥/サンコウチョウの呼び名など
   > でも知られるように、大抵は「日・月・星」の三つの光を指して言う。
   > かつては、三光汽船という名の会社も在り、現在でも企業名や学校名などに
   > 日・月・星から付けた「三光」という名が見られる。
   > そのような言葉を戦術名に使うというイメージのギャップから、
   > 日本人の間では疑問視している人も少なくない。
   >
   > 戦術としてよく知られた呼称が中国語であることなどから
   > 「 三光作戦は中国側のプロパガンダだ 」
   > と言われ、また「三光作戦」に言及することが「左派系のプロパガンダ」とされることも多く、
   > これらの行為の実態はその有無も含めて議論がある。
   > 「 中国国内戦史でそのような作戦が行われていた事実がある 」
   > という説を唱える者もいる。
   > その中には
   > 「 中国側は清野作戦という家屋を全て焼払い、
   >  敵に隠れる場所を与えない作戦を採用しておりこれが日本軍の仕業にされた 」
   > という説もある。
   > これに対して、それらは「三光作戦」と同視できないとする説も
   > 近年つくる会などから提唱されている。
   > しかし、三光政策という呼称で歴史的事実という立場をとる説もある[3]。
   >
   >
   > 冬季山西粛正作戦戦闘詳報
   >
   > 三光作戦の根拠の一つとされる歩兵第二二四聯隊「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」には
   > 以下の記述がある。
   >
   >  其三、住民地の状態
   >
   >  一、住民 殆ンド逃避シアリ為情報収集二不便ヲ感ズ
   >     掃討二際シテ土民ヲ獲得セル時ハ大部分成功ス
   >
   > 日本軍が到着した際には住民の殆どが既に逃げた後であり、
   > 掃討を行った際に住民を容易に獲得できたとしている。
   > つまり三光の”殺し尽くした”の主張と反した内容が書かれている。[4]。
   >
   >
   > 中国共産党の報復清野を奨励する方法
   >
   > 報復清野を奨励する方法(大公報所載より抜粋)
   >
   >  共匪は大いに階級闘争を主張する故に
   >  地方の不良分子は平素些細の事にも相争いあって報復する。
   >  其れは口訴、文書、孰れも歓迎するのである。
   >  報告があれば隊を派遣して包囲し其の者を縛り上げ其の者の財を掠める。
   >  如何に誣枉せられても辨訴の権利はない。
   >  甲が乙を訴ふれば乙を縛し丙が甲を訴ふれば又甲を縛し
   >  丁が丙を訴ふれば又斯くの如し、順繰りに拘引し瓜蔓の如くに連行する
   >  金銭を以て刑を贖うものは別として其の大部分は首を連ねて殺される。
   >  一地を占領する毎にまず現金を取り上げ次ぎに首飾り、次ぎに布疋
   >  次ぎに家畜、次ぎに食糧とあるだけのものを匪巣に搬入する。
   >  従ってそれ等の地方は家は岩家の如く食うにも蓄えの食糧なく
   >  鼠雀の外に家畜なく鍬鋤の外に金物は殆ど見当たらない。
   >  青野を励行して国軍の新軍討伐に困難を感ぜしめる、計略として
   >  これほど甚だしいものはない。


       日本軍構成員による中国人に対する残虐行為も行われることがあった。
       このような中で、日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む
       中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして
       連日強姦を繰り返す行為,いわゆる慰安婦状態にする事件があった。

 

 慰安婦は、芸妓や娼妓や芸妓をやっていては、いつまで経っても返せなかった四千円の借金(2000 倍で現在の貨幣価値になるとして今の八百万円)を慰安婦としてたった1年半働いただけで借金を完 済して、更に1万円を貯金している(2000倍で現在の貨幣価値になるとして今の二千万円)。

  ソース → 日本人慰安婦の証言
         http://www.tamanegiya.com/nihonnjinnniannfu20.8.27.html

   駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、
   監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為

 が慰安婦並みの対価を伴っていたと言うなら

   いわゆる慰安婦状態にする

 ということもできるだろう。

 しかし、そうじゃないなら、これは悪質な印象操作である。

 「監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為」は「慰安婦状態」ではない。
 あくまで「監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為」だ!


 これに続く項で、控訴人4人の一人ひとりの拉致・連行が認定されています。
 劉面換さんの例をあげます。

 (3) 控訴人劉の被害事実等

     控訴人劉は、…3人の中国人と3人の武装した日本軍兵士らによって
     無理やり自宅から連れ出され、銃底で左肩を強打されたり、
     後ろ手に両手を縛られるなどして抵抗を排除された上、
     進圭社にある日本軍駐屯地に拉致・連行され、ヤオドンのなかに監禁された。
     当日…多数の日本軍兵士らによって強姦された。(以後も続く)

 ほか3件の中国人裁判(中国人第二次裁判、山西省裁判、海南島裁判)で
 ほとんどすべての被害者について、安倍総理や右派が否定する、
 軍による拉致・監禁・連日の強姦(いわゆる慰安婦状態)という記述で、
 狭義の強制連行が事実認定されています。

 

 では、これに何と答えるか。

   2011年12月19日 2ちゃん的韓国ニュース
   朝日社説 「韓国の主張は歴史的にわからないではない。
           日本と韓国 人道的打開策を探ろう」
   http://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/1621041.html
   > 162 名無しさん@涙目です。(アラバマ州) 2011/12/19(月) 07:29:50.34 ID:8mFjyPtH0
   > というかね、
   > 「日韓基本条約締結時に判明しなかった問題」っつーのが
   > 完全におかしいんだよ。
   >
   > 自分の娘が誘拐されたわけだろ?
   > しかも数万人、数十万人規模で。
   >
   > それが、当時発覚せず、数十年後に発覚するって、
   > 「自分の娘が誘拐されても気づきませんでした」
   > ってことだぞ。
   >
   > そんなことありえるか?
   >
   > 数十年経過後に、外国のメディア(朝日新聞)に、
   > 「すいません、お宅の娘さん達誘拐されてますよね?」
   > と指摘されて、初めて
   > 「ああ、そうだった!うちの娘は誘拐されたニダ!アイゴー!」
   > って気づくのか?
   >
   > 朝鮮人は物凄いバカ民族ってことになるぞw

 朝鮮人じゃなくて中国人でも同じ事だ。

 狭義の強制連行が行われたのであれば、当時に於いて大きな騒ぎとなり、嫁や娘を誘拐された家族 は東奔西走して取り返そうと行動する。 たとえ警察があてにならないとしても、がむしゃらに何とかしよ うとする。 映画 [ 96時間 ] のように!

 嫁や娘が誘拐されというのに、家族の誰も騒がず助けようとせず、終戦後も問題にしなかった・・・だ が、日本軍兵士とその関係者によって本当に女性が誘拐されていた、と。

 中国人は、どんだけ家族に冷たいんだよ。


 占領地(中国・フィリピン・インドネシア等々)の場合はそれがほとんどです。
 ( フィリピン・台湾の裁判では事実認定をしませんでしたが、被害事実を否定したのではなく、
   損害賠償の判断に事実認定は不必要と判断したためです。 )

 

 そちら側のサイトより

   wamアクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館
   「慰安婦」問題を知ろう - 日本で行われた日本軍性暴力被害者裁判
   http://wam-peace.org/ianfu-mondai/lawsuit/

   > アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟
   >
   > 提訴人:金学順ら「慰安婦」被害者9名と元軍人・軍属
   > 1991年12月 6日  東京地裁に提訴
   > 2001年 3月26日  東京地裁で請求棄却
   > 2003年 7月22日  東京高裁で請求棄却
   > 2004年11月29日 最高裁で上告棄却・判決
   >
   > 「慰安婦」にさせられたと初めて名乗り出た金学順さんたちが
   > 提訴(金学順さんは1997年死去)。
   > 地裁判決は事実認定を行ったものの、法的主張は認めず請求を棄却。
   > 高裁では、強制労働条約違反、醜業条約違反などの国際法違反を指摘して、
   > 日本政府の安全配慮義務違反を認定。
   > 「国家無答責」の法理についても「現行憲法下では正当性、合理性は見いだしがたい」と
   > 高裁では初めて否定したものの、請求は棄却された。

   > 釜山「従軍慰安婦」・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟
   >
   > 提訴人:河順女ら3名の「慰安婦」被害者と女子勤労挺身隊7名
   >
   > 1992年12月25日 山口地裁下関支部へ提訴
   > 1998年 4月27日 山口地裁下関支部で一部勝訴
   > 2001年 3月29日 広島高裁で全面敗訴
   > 2003年 3月25日 最高裁で上告棄却・不受理決定
   >
   > 韓国釜山市等の日本軍「慰安婦」被害者3名と女子勤労挺身隊7名を原告とする裁判。
   > 韓国社会では「慰安婦」は長く「挺身隊」と同義語であり、性暴力被害者と軍需工場への
   > 強制動員被害者は混同されてきた。
   > 1998年の下関判決は「慰安婦」原告の被害に対しては
   > 「徹底した女性差別と民族差別思想の現れ」と認定し、
   > 日本国に立法不作為による賠償を命じた。 しかし挺身隊原告の請求は棄却された。
   > 広島高裁で敗訴。 最高裁で棄却決定。

   > フィリピン「従軍慰安婦」国家補償請求訴訟
   >
   > 提訴人:マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン、トマサ・サリノグ、エヌ・ゲートルード・バリサリサら46名
   >
   > 1993年 4月 2日 18名が東京地裁へ提訴
   > 1993年 9月20日 28名が追加提訴
   > 1998年10月 9日 東京地裁で請求棄却
   > 2000年12月 6日 東京高裁で請求棄却
   > 2003年12月25日 最高裁で上告棄却・不受理決定
   >
   > フィリピン被害の特徴は、家族の虐殺の中で、銃剣を突きつけられて日本軍駐屯地等へ
   > 拉致監禁され性奴隷とされたことだ。 被害者の7割は未成年者。
   > 1審で、9名の本人尋問が行われたが、裁判官は被害女性の首の傷跡の確認を拒否した。
   > 証人尋問は唯一、国際人道法学者・カルスホーベン氏によるもので
   > 「ハーグ条約3条は個人の請求権を定めたもの」との証言が行われた。
   > 上告棄却はクリスマスの日。
   > 「せめて、被害事実を認めてほしかった!」悲痛な叫びはつづく。

   > 在日韓国人元「従軍慰安婦」謝罪・補償請求訴訟
   >
   > 提訴人:宋神道
   >
   > 1993年 4月 5日 東京地裁へ提訴
   > 1999年10月 1日 東京地裁で請求棄却
   > 2000年11月30日 東京高裁で請求棄却
   > 2003年 3月28日 最高裁で上告棄却・不受理決定
   >
   > 宋神道さんは、在日韓国人被害者としては唯一の原告である。
   > 生活するうえでのさまざまな制約、差別・偏見のなかで
   > 裁判を継続するのは容易なことではなかった。
   > 地裁判決では、中国大陸において部隊とともに移動せざるを得なかった7年間に及ぶ
   > 被害の事実が認定された。
   > 高裁では、はじめて
   > 「強制労働条約や醜業条約に違反した行為があり国際法上の国家責任が発生した」
   > と認められたが、いずれも国家無答責、 除斥期間を理由に退けられた。

   > オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償請求事件
   >
   > 提訴人:「慰安婦」被害者1名と元捕虜・抑留者7名
   >
   > 1994年 1月25日 東京地裁へ提訴
   > 1998年11月30日 東京地裁で請求棄却
   > 2001年10月11日 東京高裁で請求棄却
   > 2004年 3月30日 最高裁で上告棄却・不受理決定
   >
   > 旧蘭印(インドネシア)でオランダ人10万人余の民間人が日本軍に抑留された。
   > この抑留者の中から、若い女性が「慰安婦」として徴発された。
   > 特に、生後間もない子どもから成人前の少年少女時代の3年余を
   > 抑留所で過ごした人たちのトラウマは、成人後もさまざまな障害をもたらした。
   > ハーグ条約3条を基に、人道法の違反と損害賠償が国際法として
   > 従来から認められていると主張したが、1、2審とも、国際法は個人の請求権を基礎付ける
   > ものでないとして棄却。 上告も棄却された。

   > 中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟 第一次
   >
   > 提訴人:李秀梅、劉面煥、陳林桃、周喜香
   >
   > 1995年 8月 7日 東京地裁へ提訴
   > 2001年 5月30日 東京地裁で請求棄却
   > 2004年12月15日 東京高裁で請求棄却
   > 2007年 4月27日 最高裁で上告棄却・不受理決定
   >
   > 地裁では21回の口頭弁論が開かれ、原告3名の本人尋問(他の1名はビデオ証言)、
   > 2名の意見陳述、国際法の学者証人の尋問が行われたが、地裁判決では事実認定も
   > 行わずに請求が棄却された。
   > 高裁では11回の口頭弁論が開かれ、控訴人1名と元日本軍兵士、歴史学者の証人尋問、
   > 控訴人2名の意見陳述が行われた。
   > 高裁判決では、事実認定されたが、法律論では国家無答責・除斥期間で敗訴となった。

   > 中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟 第二次
   >
   > 提訴人:郭喜翠、侯巧蓮(1999年5月死去)
   >
   > 1996年 2月23日 東京地裁へ提訴
   > 2002年 3月29日 東京地裁で請求棄却
   > 2005年 3月18日 東京高裁で請求棄却
   > 2007年 4月27日 最高裁で上告棄却・判決
   >
   > 地裁では22回の口頭弁論が開かれ、原告2名の本人尋問が行われた。
   > 判決では請求は棄却されたものの、詳細な事実認定と現在までPTSDの被害を受けている
   > ことが認定された。
   > 高裁では8回の口頭弁論が開かれ、控訴人(故・侯巧蓮長女)と現地で調査した
   > 証人の尋問が行われた。
   > 高裁判決では、地裁判決の事実認定とPTSDの認定は維持され、
   > 国家無答責の法理を排斥し、日本国の不法行為責任は認めつつ、
   > 日華平和条約で解決済みとして請求を棄却した。
   > 最高裁判決は「日中共同声明(第5項)で放棄した」として、棄却理由を変更して
   > 上告を棄却した。

   > 山西省性暴力被害者損害賠償請求訴訟
   >
   > 提訴人:万愛花、趙潤梅、南二僕(故人)ほか7名
   >
   > 1998年10月30日 東京地裁へ提訴
   > 2003年 4月24日 東京地裁で請求棄却
   > 2005年 3月31日 東京高裁で請求棄却
   > 2005年11月18日 最高裁で上告棄却・不受理決定
   >
   > 地裁では16回の弁論が開かれ、原告10名中8名の本人尋問と、
   > 被害地での目撃証人2名の証人尋問が行われた。
   > 地裁判決では請求は棄却されたものの、被害事実はほぼ全面的に認められ、
   > 日本軍による加害行為を「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」と断罪。
   > 立法的・行政的な解決が望まれる旨の異例の付言がなされた。
   > 高裁判決では地裁判決の事実認定と付言が再確認され、
   > 法律論でも論破したにも関わらず、国家無答責で敗訴となった。

   > 台湾人元「慰安婦」損害賠償請求訴訟
   >
   > 提訴人:高寶珠、黄阿桃ほら9名(うち2名は係争中に死去)
   >
   > 1999年 7月14日 東京地裁へ提訴
   > 2002年10月15日 東京地裁で請求棄却
   > 2004年 2月 9日 東京高裁で請求棄却
   > 2005年 2月25日 最高裁で上告棄却・不受理決定
   >
   > 1992年、専門調査委員会による調査の結果、台湾人女性48名の被害事実が確認された
   > (2005年5月現在30名)。
   > 台湾の被害形態には次の2種類が混在している。
   > (1) 働き口があると騙されて海外の「慰安所」に連行された漢民族の女性たち、
   > (2) 部落の近くに駐屯していた日本軍の雑用を言いつけられ、毎日出向く中で
   >   やがて強かんが継続された原住民の女性たち。
   > 日本政府の謝罪と賠償を求めた訴訟は、事実認定すらなかった1審判決を支持した
   > 2審判決が確定した。

   > 海南島戦時性暴力被害賠償請求訴訟
   >
   > 提訴人:陳亜扁、林亜金、黄有良ら8名(うち2名は係争中に死去)
   > 2001年 7月16日 東京地裁へ提訴
   > 2006年 8月30日 東京地裁で請求棄却
   > 2009年 3月26日 東京高裁で請求棄却
   > 2010年 3月 2日 最高裁で上告棄却・不受理決定
   >
   > 日本軍は南進の基地と資源獲得のために1939年から海南島を占領。
   > 原告(海南島の少数民族女性)は駐屯地に拉致・監禁され、日本軍投降まで繰り返し
   > 性暴力を受けた。 戦中の被害と戦後の日本政府の不作為について損害賠償を請求。
   > 地裁・高裁ともに事実は認められ、高裁では「破局的体験後の持続的人格変化」が
   > 認定された。
   > 「国家無答責」の法理は否定されたものの、日中共同声明(第5項)により
   > 賠償請求権が放棄されたとして控訴棄却。 最高裁で棄却決定。

 ほぼ全てに於いて地裁の段階で請求が棄却されています。

 「 損害賠償の判断に事実認定は不必要 」 というなら、日本で行われた裁判でも同じです。

 これは 「 損害賠償の判断に事実認定は不必要だから事実認定をしなかった 」 のではなく、日本が 訴状に書かれた理由を、それが公判上で否定されない限りそのまま判決文に載ってしまうのに対し て、フィリピンや台湾では、訴状に書かれた理由が公判上で肯定(証明)されない限り、判決文に載ら ない、という違いであろう。


 (2)では、植民地朝鮮の場合は、どうでしょうか?

 朝鮮の場合も、狭義の強制連行が認定されています。

   アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟 東京高裁判決 (2003・7・22)

   (二) 控訴人ら各自の事実経過について

       控訴人らと被控訴人(国)との間において争いがない事実に
       証拠(各控訴人ごとに末尾に掲記)及び弁論の全趣旨を併せると
       次の事実が認められる。

      (2) 軍隊慰安婦関係の控訴人ら

         ウ、控訴人盧清子は、

           … 数え17歳の春、10人位の日本人の軍人に、手足をつかまれて捕えられ、
             トラックと汽車を乗り継がされ、オオテサンの部隊の慰安所に
             連れて行かれた。…(甲47の2)

 

 盧清子氏は、挺対協が編纂した証言集『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』において
 「 こいつの証言は使い物にならない 」
 と取捨非選択された証言者である。

 

   2013/10/21 東アジア黙示録
   福島瑞穂の慰安婦斡旋犯罪…原告を使い回す反日女衒
   http://dogma.at.webry.info/201310/article_5.html
   > 安教授が率いる挺身隊研究会は、挺対協に申告している自称慰安婦55人のうち、
   > 連絡がついた約40人に聞き取り調査を行った。
   > 調査は、納得できるまで何度も繰り返されたという。
   >
   > その結果、証言集に収録した自称慰安婦は、19人にまで減った。
   > 実に半数以上が“使い物”にならなかったのである。
   > ちなみに採用組も 「 南鮮国内では嘘がバレにくい 」 といった低レベルだ。
   >
   > ところが、今回の産経スクープで、安教授らが排除した不採用組が、
   > 日本政府の聞き取り対象に含まれていたことが発覚した。
   > 上記の朴福順や 盧 清 子 は、証言集から除外された人物であった。

 で。 どのくらいダメだったか、というと

   1990/04/11 従軍慰安婦問題を考える
   「元・従軍慰安婦」証言者 - 盧清子(ノ・チョンジャ)
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/盧清子(ノ・チョンジャ)

   > 【考察】
   >
   > 兵隊が処女を連行しようとしているという話を聞いて、伯母の家へ逃げる途中に捕まって
   > 連行されるという話なのですが、如何にも胡散臭い内容です。
   >
   > 「裁判の訴状」(以下「裁判」)と「<証言>従軍慰安婦・女性勤労挺身隊」(以下「証言」)を
   > 比べると下記の通り相違点が見られます。
   >
   > < 連行の時期 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・1938年3月、16歳の春
   >
   > ○ 「証言」・・・17歳の秋(※西暦の明記なし)
   >
   > 季節が全く違います。 なお、16歳は満年齢で17歳は数え年でしょう。
   >
   >
   > < 捕まった時にいた軍人 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・憲兵1人、兵隊6人、及び、同女が乗せられたトラックとは別のトラックに
   >         20人ほどの軍人
   >
   > ○ 「証言」・・・憲兵1人、兵隊10人
   >
   > 人数が半分以下になっています。
   > 38人の女性を連行するのに、約27人の軍人は多すぎると考えたのでしょうか。
   >
   >
   > < 監視役の日本女性 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・同女が乗ったトラックには、監視役の30歳代の日本人女性が2人乗っていた
   >
   > ○ 「証言」・・・日本人女性の記述なし
   >
   > 他の、如何にも「強制連行」と言った証言の場合も、
   > 連行時に軍人と共に日本人女性が行動していたとの記述は見かけません。
   > そもそも、わざわざ女性を連れてきて監視役にしなくても、兵隊にさせれば済む話です。
   > 「裁判」より後の証言では、連行時の日本人女性の記述は見あたりません。
   >
   >
   > < 慰安所での監視 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・記述なし
   >
   > ○ 「証言」・・・最初の頃、二人の日本人の女が監視
   >
   > 不思議なことに、「証言」では、連行時に出て来なかった「監視役の二人の日本人女性」が
   > ここで出てきます。
   >
   >
   > < 慰安所の休み >
   >
   > ○ 「裁判」・・・一ヶ月に一度だけ
   >
   > ○ 「証言」・・・休みは土曜だけ
   >
   > 月1回の休みが、週一回の休みに変更されています。
   >
   >
   > < 中国兵殺害現場への立会い >
   >
   > ○ 「裁判」・・・八路軍の兵士を穴の前に立たせ、兵士の首を鎌で切り落とす現場に
   >         「勇気ある者にするために見せる」と言われて立ち会わされる。
   >
   > ○ 「証言」・・・該当する記述なし
   >
   > 単に省略しただけかも知れませんが、南京事件の1シーンを彷彿とさせるもので
   > 如何にも創作臭い内容です。 そもそも、鎌なんかで首を切り落とせるのでしょうか。
   > 西洋の死神が持っているような大鎌でも使ったのでしょうか。
   > そうだとしても使い慣れてない道具を使って首を切り落とせるとは思えません。
   >
   >
   > < 父の死亡原因 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・軍属として南洋群島に連行され、そこで死亡した
   >
   > ○ 「証言」・・・徴用で連行された南洋群島で、日本人に叩かれて背骨を折られ、
   >         終戦で帰国してから死亡
   >
   > 単に、「死亡した」としか記述されていなかったのが「日本人に叩かれ背骨を折られた」と
   > いう情報が加わり、しかも、南洋群島で死亡したはずが、帰国してから死亡したことに
   > 変更されています。
   > なお、「裁判」では、
   > 「 いつか日本の責任を明らかにして日本に補償をさせ、
   >  南洋群島で亡くなった父のために碑を建てたい 」
   > と記述されています。 どうやら、南洋群島に碑を建てる必要はなさそうです。
   >
   >
   > < 故郷に帰った年 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・1947年
   >
   > ○ 「証言」・・・1945年
   >         ( ※ 明記されていませんが、
   >            「 朝鮮に帰って、数ヶ月すると終戦になりました 」
   >            とあり、さらに
   >            「 私が自分の故郷に帰ったのは、その年の秋でした 」
   >            とあります )
   >
   > さすがに、終戦の年に帰郷したか、その数年後に帰郷したかぐらいの記憶はあると思う
   > のですが。
   >
   >
   > なお、慰安婦裁判の原告にもなっている同女ですが、
   > 「 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会 」 が編纂した
   > 「 証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 」(明石書店・1993)には
   > 証言が載せられていません。
   >
   >
   > (以下の内容は「『自虐史観』の病理(P.153〜165)」藤岡信勝・文春文庫を参考にしました)
   >
   > 同証言集(P.22)には、最終的に証言を載せたのが19人だった経緯について
   > 記載されており、まとめると以下の通りです。
   >
   > ○ 韓国挺身隊問題対策協議会に申告された人数・・・110人(1992.12末現在)
   >   内、生存者・・・55人
   >   内、連絡可能な者・・・40人
   >   内、以下の者を除いた人数(=証言が掲載された人数)・・・19人
   >   @ 自分の経験を語りたがらない人
   >   A 証言がそのたびごとにひどくくいちがったり、話の前後があわず、調査が難しい人
   >
   > 同女は、同証言集の発行時に生存しており、また、裁判の原告になっていることから、
   > 連絡が不可能だったとか、「自分の経験を語りたがらない」はずがありません。
   > つまり、Aに該当して、「証言がそのたびごとにひどくくいちがった」ので、
   > 証言集には載せられなかったのです。
   >
   > なお、裁判の原告になって以降、家族等の状況の変化で
   > 証言ができなくなったとも考えられなくもないですが、
   > 1994年5月に他の15人と共に来日し、記者会見、羽田首相への面談申し入れ、
   > 街頭アピール、皇居前抗議行動等を行っていますし、その可能性はないでしょう。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 信憑性無し。
   > 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会が編纂した証言集からも落とされて
   > しまっています。

 これは酷い。 そりゃ篩落されるわ。


         カ、控訴人金福善は、

           … 昭和19年夏、日本人と朝鮮人が来て
             「 日本の工場に働きに行けば、一年もすれば嫁入り支度もできる 」
             と持ちかけられ、断ったものの、強制的にラングーンに連れて行かれ、
             慰安所に入れられた。…(甲51の1ないし3、控訴人金福善)

   金福善氏は、こちら。

   1990/03/13 従軍慰安婦問題を考える
   「元・従軍慰安婦」証言者 - 金福善(キム・????)
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/金福善(キム・????)

   > 【考察】
   >
   > 同女の証言の疑問点は以下の通りです。
   > ( 「 証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 」 より )
   >
   > @ 「 工場で働かせてあげる 」 は、他の元・従軍慰安婦の証言でよくある
   >   人間ブローカーや売春宿経営者の騙し文句です。
   >   しかし、同女の場合、あらかじめに 「 最近、娘を連行する人が多い 」 という噂まで
   >   流れており、また、食事をしていた時に 「 戸を蹴って入ってき 」 て同意もないのに
   >   「 両腕をつかまれ二人に連れて行かれ 」 ています。
   >   他の同様な元・従軍慰安婦の証言には、最初からこんなに乱暴な人間ブローカーなど
   >   いませんし、同意もなく連れて行く者もいません。
   >   しかも、このような強引な手法を用いている割には集められた女の子は4人だけと、
   >   他の騙された元・従軍慰安婦と変わりません。
   >
   > A 同意無しに強制的に連行されるという衝撃的なシーンの割には、
   >   以下の通り、その時の伯父の様子もなく、描写・表現があまりにも簡素。
   >   同女が同意したのか拒否したのかも明記されていません。
   >   ( 明記されていないので同意しなかったと判断しましたが )
   >
   >   「 ご飯を食べ終わると、崔が
   >   「 金を稼ぎたくないか?日本に行って一年間だけ工場で働けば、
   >    たんまり金を稼ぐことができるから、行こう 」
   >    と言いました。
   >    そのまま私は両腕をつかまれ二人に連れて行かれました。(P.243)
   >
   > B 同女が一時、入れられた釜山の収容所では軍人が見張りを行っており、
   >   便所について行くのにもついて来る厳重さです。
   >   この時点では、集められてきた女性達は工場で働くと思っているのですから、
   >   こんな見張りは不要です。
   >
   > C 同女を騙して連れ去った日本人の服装を「国民服(あるいは軍服)」として、
   >   軍人だった可能性を示唆しています。
   >   この日本人は慰安所の受付を行っており、単なる慰安所経営者と考えるのが
   >   自然でしょう。
   >   また、その日本人と共に行動していた朝鮮人は慰安所の案内係をしています。
   >
   > D 15,6歳の時に母が死亡し、父は行方不明で、伯父の家に世話になっていたはずですが、
   >   ビルマから朝鮮に帰った後の話に伯父が全く出てきません。
   >   無理やり連れて行かれたのだから心配していて当然で、会いに行かないのは
   >   不自然です。
   >   慰安婦になってしまったことを恥じてのことだとも考えられますが、それならそれで、
   >   そのことが記載されていてもいいはずです。
   >
   >
   > -------------------- 以下、2007.4.10追加--------------------------
   >
   > なお、
   > 「裁判の訴状」(以下「裁判」)と「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」(以下「証言」)
   > を比べると下記の通り内容が異なっています。
   >
   > < 連行した人物 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・憲兵
   >
   > ○ 「証言」・・・国民服(あるいは軍服)を着た30代の日本人1人と
   >         背広を着た40代の崔(チェ)という朝鮮人1人
   >
   > はっきり「憲兵」と証言していたのが、「軍人だったかも知れない」程度に濁されています。
   >
   >
   > < 釜山の収容所での軍の関与 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・記述なし
   >
   > ○ 「証言」・・・収容所には軍人がおり、日本の軍隊から握り飯を貰う。
   >         また、同女達の監視は、軍服を着た朝鮮人が行っていた
   >
   > < 慰安婦にされると気付いた時 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・ラングーンに到着してトラックに乗せられた時
   >
   > ○ 「証言」・・・サイゴンに来て初めて慰安所に行くことが分かる
   >         ( ※ サイゴンはラングーンに着く前に立ち寄った所。
   >            何故、分かったかは記載されていない)
   >
   >
   > < 慰安所に向かうトラックの軍人 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・記述なし
   >
   > ○「証言」・・・日本の軍人が乗っていた
   >
   >
   > < 慰安所と部隊との距離 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・軍の部隊は一度も見たことがなく、遠いところにあるようだった
   >
   > ○ 「証言」・・・部隊は慰安所からそれほど離れていないようでした
   >
   >
   > < 「崔」という人物 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・同女たちは、連合軍の爆撃の混乱に乗じて脱走するが、
   >         その際、助けてくれたのが「崔」(日本名・岩岡)という韓国人兵士で、
   >         共に釜山まで帰る。
   >
   > ○ 「証言」・・・同女を騙して慰安所まで連行し、その慰安所で案内係をしたのが「崔」。
   >         また、「崔」は、部隊が移動する際に逃げようと提案してきて、
   >         同女たちと共に脱走、共に釜山まで帰る。
   >
   > 殆どが、微妙なものばかりですが、「崔」という人物の役回りは全く違っています。
   > 脱出の際に協力して釜山まで帰るのは同じですが、「裁判」では、脱走の際に突然、
   > 登場するのに対して、「証言」では、同女を連行した張本人の1人になっています。
   > 「証言」には
   > 「 崔はソウル出身の人でした。
   >  崔は私を慰安所に連行した人ですが、彼も当時はそうするよりほかになかったのだろう
   >  と思っています 」(P.251〜252)
   > とフォローする文章もあります。
   > 「裁判」では、崔をかばって連行した張本人であることを隠したのでしょう。
   > しかし、このことは、証言者が意図的に証言内容を変更していることを示しています。
   > 他にも同様に事実を歪めているところがないのか、非常に疑わしいものです。
   >
   > -------------------- 以上、2007.4.10追加--------------------------
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 内容的には慰安所経営者に騙されて慰安所に入れられたという話ですが、
   > 果たして本当に同意も無しに連れ去られたのか、また、慰安所に向かう途中の
   > 釜山の収容所で軍人の見張りがついていたと言うのも疑問です。
   > 「強制連行」を意識して内容を一部変更しているのではないかと思われます。

 こんな証言者で裁判をやろうなんて正気の沙汰じゃないぞ。


 しかし、一般的には、植民地では就労詐欺・甘言による場合が多く、
 多くは海外へ連行されています。

 

 で。 それと日本軍に何の関係が?

 
 【2】詐欺・甘言による連行を認定した判決

   アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟 東京高裁判決 (2003・7・22)

   エ、控訴人金田きみ子こと朴福順は、
     … 数え17歳の時、「日本人の紹介するいい働き口がある」と聞いて行ったところ、
       日本人と朝鮮人に、…を経て連れて行かれた棗強、石家荘、…など
       中国各地の慰安所において、一日10ないし30人の軍人に性行為を強要された。
       …(甲49の1ないし3,7,11、控訴人金田)

 

 はい、金田きみ子(源氏名)(本名:朴福順)、入ります。

   1990/04/13 従軍慰安婦問題を考える
   「元・従軍慰安婦」証言者 - 金田きみ子(源氏名)(本名:朴福順)
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/金田きみ子(源氏名)(本名:朴福順)

   > 【考察】
   >
   > 証言をそのまま信じるなら、日本軍が工場勤務と称して集まってきた女性を
   > 強制的に慰安婦にしたと言うことでしょうか。
   >
   >
   > 「裁判の訴状」によると、同女の慰安所生活は以下の通りで、
   > 合計すると4年強になり、6年間慰安婦生活を送ったとする記述と矛盾しています。
   > (※「一年余り」や「一年前後」を、無理やり「一年半」と解釈すれば6年になりますが)
   >
   > 棗強(約23日) → 石家荘(1年余り) → 棗強(1年前後) → ピョンアン(1年前後)
   >  → リュータマル(1年前後)
   >
   > ※ 最初、棗強にいた時、3日目に軍人に胸を刺され負傷。
   >   その後、20日休養した後、石家荘に移動
   >
   > ※ 「 その後、ナツメキョウ、ピョンアン、斉南のリュータマルの部隊の慰安所でそれぞれ一年前後、
   >   全部で6年間を慰安所で過ごさなければならなかった 」
   >
   >
   > なお、同女は、金学順、文玉珠らと共に日本政府を相手に慰安婦として
   > 最初に訴訟を起こした三人の内の一人ですが、金学順、文玉珠とは違い、
   > 「 <証言>従軍慰安婦・女子勤労挺身隊(伊藤孝司・風媒社・1992.8) 」、
   > 及び、「 証言 強制連行された朝鮮人軍人慰安婦たち(韓国挺身隊問題対策協議会
   > ・挺身隊研究会・明石書店・1993.10) 」 には、証言が掲載されていません。
   >
   > 裁判の原告にもなっておきながら、その後に発売された証言集に
   > 証言が載せられていないのは疑問です。
   > 家庭の事情等、状況の変化により証言ができなくなった可能性もありますが、
   > 1996年以降にマスコミに同女の発言が取り上げられていることを考えるとそれは無いでしょう。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 裁判の原告になって以降に発売された証言集に
   > 同女の証言が取り上げられていないことを考えると、
   > 証言に統一性がなく取り上げようがなかったのではないかと考えられます。
   > 信憑性は無いと考えて良いでしょう。

 こんなんばっかりやな。


   釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟、山口地裁下関支部

   いわゆる関釜裁判(1998・4・27)

   (三)原告李順徳は、
      … 昭和12年、満17,8歳のころ、
      … 畦道で…朝鮮人の男から、
      「 … 履物もやるし、着物もやる。 腹一杯食べられる所に連れて行ってやる 」
      と声をかけられた。
      家が貧しく…ついて行くことに決めた。
      同女が「父母に挨拶してから行きたい」と懇請したにもかかわらず、
      その男は「時間がない。急ごう」と言って、同女の手を引っ張って行った。
      …恐ろしく恥ずかしくて…泣きながら連れて行かれた。
      その途中、男の前を歩かされ…旅館に連れて行かれた。
      同旅館の部屋は、外から鍵がかけられ、…同じような年齢の娘たちが14・5人おり、
      いずれもどこに何のために連れて行かれるのか分からず泣いていた。
      … 日本軍の軍人3人が同女らを…列車に乗せて…上海駅まで連れて行った。
      …… 解放の時まで約8年間、毎日朝9時から、平日は8,9人、
      日曜日は17,8人の軍人が、小屋の中で同女を強姦し続けた。…〔以下略〕

 

  [ 異議あり! ] ってしようと思ったんだけど、残念ながら李順徳氏の証言はwebサイト [ 従軍慰安婦 問題を考える ] に記述が見当たりません。 そこで已む無くサヨクさんのサイトから引用してみます。

   2013年05月16日 「慰安婦」問題ってなーに?
   李順徳(イ・スントク)さんの証言
   http://kokoronokaihuku.blog.fc2.com/blog-entry-38.html
   > 1 生いたち
   >   私は1918年陰暦10月20日、全羅北道裡里郡の慕縣(モヒョン)どいう村の農家で
   >   生まれました。
   >   父母と私と三歳下の弟の4人家族で、家は小作地も無く、
   >   他の農家の賃仕事で生計をたて、大変貧しい暮らしでした。
   >   部屋が一つしかない藁葺きの家に一家で住み、私も弟も一度も学校に行ったことがなく、
   >   私は家事をまかされていました。
   >
   > 2 甘言にのせられて
   >   私が上海に連れて行かれたのば、1937年の春、数えで19歳(満18歳)のときのことです。
   >   叔母の話では私が生まれた年は1919年だとのことですので、それが本当なら
   >   満17歳の時に連れて行かれたことになります。
   >   その日私は夕食の準備のため、村の畑の畦道で蓬を描んでいました。
   >   当時の朝鮮の田舎では食べるものがない貧しい農民はよく蓬を描んで
   >   麦飯を少し混ぜて食べたのです。
   >   そこに3、40歳位の見知らぬ朝鮮人の男が来て、
   >   「 そんな事をしているよりも、自分についてくれば、履物もやるし着物もやる。
   >    腹一杯食べれるところに連れて行ってやる 」
   >   と誘いました。
   >   私はそのとき履物もなく草鞋をはいていましたし、空腹を癒すことに精一杯だったので、
   >   ついその男の言葉に乗せられ、何も考えずについて行くことにしました。
   >   私は父と母に挨拶してから行きたいと言いましたが、男は時間がないと言って
   >   私の手をとって引っ張りました。
   >   当時男から手を取られるというのは大変なことなので、私は驚き、恐ろしくて、
   >   恥ずかしくて、そのまま泣きながら連れて行かれてしまいました。
   >
   > 3 上海へ
   >   私は、裡里邑の旅館まで一時問位早足で歩いて連れて行かれました。
   >   旅館には私と同じように連れて来られた人が14、5人いて、一緒に夕食を食べました。
   >   皆、私と同じような農家の娘で、誰もどこに何のために連れて行かれるのか分からず、
   >   泣いていました。 その夜はみんなで一部屋で寝ました。
   >   私ば一晩中泣いて一睡もできませんでしたが、部屋の外から鍵がかけられていて
   >   逃げることも出来ませんでした。
   >   翌日になると私を連れてきた朝鮮人の男の姿は見えず、代わりに日本人の男が
   >   3人いました。
   >   男たちはカーキ色の服を着てゲートルを巻き、腹にサーベルをぷらさげていました。
   >   私たちは朝食後その日本人達に連れられて旅館を出て30分ほど歩いて
   >   裡里駅に着き、どこに行くかも告げられないまま汽車に乗せられました。
   >   汽車の中で2回寝て、上海の駅に着きました。
   >   上海に着いて食事をした後、幌のないトラックの荷台に乗せられました。
   >   日本人の1人は運転手の横に座り、残りの2人は私たちと一緒に荷台に乗りました。
   >   運転手も日本人で他の3人と同じ服装をしていました。
   >
   > 4 慰安婦小屋
   >   約3時間位トラックに乗って日本陸軍の駐屯地に連れて行かれました。
   >   そこには大きな軍用テントがあり兵隊たちが住んでいました。
   >   軍用テントの近くに、むしろの壁に萩を編んで作った屋根の小さな小屋が
   >   点々とたっていて、私たちはひとりずつばらばらにそこに入れられました。
   >   小屋は畳2〜3枚位の広さで、床は枯れ葉の上に竹で編んだ敷物を敷いて、
   >   その上に国防色の毛布が掛けてあり、雨が降ると雨水が沢山漏れてきました。
   >   私は軍服と同じ色の上着とモンペを支給され、最初の3日間は何もなく、
   >   その小屋で休んでいました。
   >   その間に血液検査と「六○六号」と言われる注射をされました。
   >   注射されたと朝鮮人の軍人が一緒に入ってきたので、何の注射かと間いたら、
   >   妊娠をしないための注射だと言われましたが、その時の私には
   >   それが何を意味するかも理解出来ませんでした。
   >
   > 5 慰安婦となる
   >   4日目にミヤザキという名の年配の将校が入ってきて、私を「カネ子」と呼び、
   >   一緒に寝ようと言いました。
   >   嫌だというと「大丈夫、何でもないから怖がるな」と言って抱きついてきました。
   >   その将校は私を無理やり押し倒して犯し、それから3日間毎晩やってきました。
   >   彼の軍服には星が三個ついていて、そこにいた軍人の内で一番位の高い人だったと
   >   思います。
   >   ミヤザキは土曜日には自分がくるので他の兵隊の相手はするなと言いました。
   >
   > 6 六○六号の注射
   >   最初の三日はミヤザキの相手だけをさせられましたが、
   >   その次の日にはたくさんの兵隊が私の小屋の前に行列をつくり、
   >   次から次へと私を犯しました。
   >   抵抗しようとしましたが、起き上がると殴られ、蹴られるので、
   >   横になって男たちにされるままになっていました。
   >   それから毎日たくさんの兵隊の相手をさせられるようになりました。
   >   朝の9時ころから、平日には8〜9人、日曜日には15、6人の兵隊の相手をしました。
   >   私は連れて来られたときにはまだ生理がなく、約一年後に始まりましたが、
   >   生理のときにも部屋の中においたバケツの水で洗いながら男の相手をさせられました。
   >   軍人のなかにはサックを使う人も使わない人もいました。
   >   生理の時だけサックをする人もいました。
   >   私は最初サックというものがよくわからなかったので、兵隊が置いて帰ったものを
   >   風船だと思って膨らましたことがあります。
   >   「六○六号」の注射は二週間に一回打たれました。
   >   いつも星二つの軍服の同じ人が注射しました。
   >   一緒に朝鮮人の軍人が来ましたが、その人の襟章は星ではなく
   >   丸が三個ついていました。
   >   「六○六号」の注射以外に検診などはありませんでした。
   >   このような生活の中で、お金や軍票をもらったことは一度もありません。
   >   チップのようなものも、もらったことがありません。
   >
   > 7 悲惨な監禁生活
   >   風呂はなく、部屋の中でバケツに扱んだ水で体を洗いました。
   >   食事は小屋の前に軍人がもってきて鐘を鳴らすので、
   >   自分で小屋の中に持ち込んで食べました。
   >   食事時に男の相手をさせられて、食事ができないこともよくありました。
   >   最初は日本語が分からないといって兵隊たちによく殴られましたが、
   >   一年後には話せるようになりました。
   >   監督が厳しくて、他の女性と話をすることもありませんでした。
   >   小屋の前に兵隊がいつも見張っているので逃げることもできませんでした。
   >
   > 8 たった一つの思い出
   >   こんな生活のなかで、ミヤザキは私に暴カを振るうこともなく、親切にしてくれました。
   >   彼は私がチマ(スカート)で顔をふいているのをみて、石鹸とタオルー枚を
   >   持ってきてくれました。
   >   一度だけミヤザキが飛行機に乗せてくれたことがあります。
   >   小さなトンボ飛行機で操縦士の外は私とミヤザキの二人だけが乗りました。
   >   私は恐ろしくてミヤザキにしがみついていました。
   >   私のたった一つの楽しい思い出です。
   >   私が上海に来てから一年程してミヤザキが日本に帰ることになり、
   >   日本について来て自分の妾にならないかと言いました。
   >   しかし、私は故郷に帰りたいので嫌だと言って断りました。
   >
   > 9 軍靴で蹴られる
   >   解放の1〜2ケ月前、ある将校が自分と約束しているのに
   >   何故他の男と寝たかと私を責め立て、軍靴で私の腹を力任せに蹴り上げ、
   >   刀で背中を斬りつけました。
   >   私は卒倒し、気づいてみると見張りの軍人が人を呼びにいって、
   >   小屋のなかで治療してくれましたが、一週間は起きることもできませんでした。
   >   故郷に帰ってからも傷の治療をしましたが、腹と背中の傷は今もはっきりと残っていて、
   >   雨の日には背中は今でも痛み、動きが不自由です。
   >
   > 10 故郷に帰る
   >   結局私は、1945年の解放の日まで慰安婦をさせられました。
   >   いつもの小屋にいると、小屋の裏の道に沢山の朝鮮人が来て、
   >   歓声を上げ「解放だ。掃ろう。」と叫んでいるのが聞こえました。
   >   日本の兵隊たちはいつの問にかいなくなっていました。
   >   私は最初は解放とは何の意味かわかりませんでしたが、説明を聞いてわかりました。
   >   そこで、その朝鮮人達について帰ることにしました。
   >   屋根のない貨車に乗り雨に濡れながら、何日もかかって帰ってきました。
   >
   > 11 再婚を重ねて
   >   家に帰ると、両親はすでに亡くなっていて、弟だけが家にいました。
   >   両親は私のことを心配し、一生懸捜し回り、絶望して死んでしまったそうです。
   >   弟は私にどこにいたかと聞きましたが、私は本当のことは恥ずかしくて言えず、
   >   金持の家で飯炊きをしていたと話しました。
   >   その後、農作業の雑用などの賃仕事をして暮らしましたが、
   >   一年後に金堤(キムジェ)に住んでいる17歳年上の男を紹介され、
   >   その男の後妻になりました。そこで8年暮らしましたが、夫は死亡し、
   >   夫の子供や嫁に出ていくように言われたので、金堤を出ました。
   >   その後今の夫を紹介され、再婚して光州に来ました。
   >   私が慰安婦をさせられていたことは前の夫にも今の夫にも話しませんでした。
   >   私が裁判を起こしたので、今の夫は人からその話を聞くこともあると思いますが、
   >   教育も受けていないし、もう年をとっているのでよく理解できないようです。
   >   長い間慰安婦をさせられていたためか、私には子供がとうとう出来ませんでした。
   >   再婚後婦人科の診療を受けたとき、医者から何か無理をしたことがないか
   >   と尋ねられたことがあります。
   >
   > 12 貧しい生活
   >   今は生活保護を受け、政府から月に15万ウォン(2万円弱)と米の現物支給を受けて
   >   夫とふたりで暮らしています。
   >   支給される米は一月分が二週間位でなくなってしまい、苦しい生活です。
   >   日本政府からは何の補償も受けたことがありませんが、昨年の夏韓国の民間募金から
   >   500万ウォン(約62万円)を受けとり、やっと一息つきました。
   >   いつも頭が痛く、目も良く見えず、足がふらつきます。
   >
   > 13 死ぬ前に補債を!
   >   私は、日本が補償するなら、私が死ぬ前にしてほしいと恩います。
   >   私が生きているうちなら受け取った金で着物も買えるし、病院にも行けるし、
   >   薬を買うこともできます。
   >   私が死んでから補償していったい誰が金を使うのですか。
   >   日本政府は補償の代わりに女性自立センターというのをつくると言っているそうですが、
   >   とんでもないことです。
   >   個人補償をしないのなら、このまま総理大臣のところに行って
   >   その前で自殺してやろうとも思っています。
   >
   > (1994年8月18日作成。 裁判所に提出)

 まず、

   >   私は 《中略》 空腹を癒すことに精一杯だったので、
   >   ついその男の言葉に乗せられ、何も考えずについて行くことにしました。
   >   私は父と母に挨拶してから行きたいと言いましたが、男は時間がないと言って
   >   私の手をとって引っ張りました。

   ↓

   >   旅館には私と同じように連れて来られた人が14、5人いて、一緒に夕食を食べました。

   ↓

   >   このような生活の中で、お金や軍票をもらったことは一度もありません。
   >   チップのようなものも、もらったことがありません。

   ↓

   >   家に帰ると、両親はすでに亡くなっていて、弟だけが家にいました。
   >   両親は私のことを心配し、一生懸捜し回り、絶望して死んでしまったそうです。

 は、単純に親が子を売っただけの話ですね。 日韓併合当時、朝鮮半島にいた警察官の6割が朝鮮 人でしたから、

    → ソース:2011年11月14日 ちゃぬの裏韓国日記
          日韓併合時代は警察官の6割が朝鮮人だった
          http://ameblo.jp/chanu1/entry-11078024864.html
          > 『1945年の解放当時、約90万人の日本人が居住していた。』
          > (中央日報2011年11月3日記事)
          > http://japanese.joins.com/article/232/145232.html?servcode=400§code=400
          >
          > ということは1942年の朝鮮半島の人口は2553万人だったため
          > 朝鮮半島での日本人が占める人口の割合は3.5%しかいません。
          >
          > 当然公務員などは日本人だけでまかないきれるはずもありませんから、
          > 現地の言葉のわかる韓国人を雇用するしかないわけです。
          >
          > 1910年当時、警察官の6割が朝鮮人でした。
          >
          >  警察官数:5693人(1910年末)
          >
          >  日本人:2265人、朝鮮人:3428人
          >
          > (尚、警務官が全3人中1人、警視が44人中14人、警部が268人中101人)

 一度に14・15人もの子供が行方不明になれば大騒ぎとなり、駅から汽車で上海へ行くなんて出来ま せん。 犯人は裡里駅で身柄を拘束されて、子供は解放されていたことでしょう。


 次に、

   > 2 甘言にのせられて
   >   私が上海に連れて行かれたのば、1937年の春、数えで19歳(満18歳)のときのことです。
   >   叔母の話では私が生まれた年は1919年だとのことですので、それが本当なら
   >   満17歳の時に連れて行かれたことになります。

   ↓

   > 6 六○六号の注射
   >   私は連れて来られたときにはまだ生理がなく、約一年後に始まりましたが、

 は、栄養状態が悪くてもオカシイですね。 連れて行かれた時の設定年齢を既に忘れて話を紡いでい るように見えます。

 他にも

   > 7 悲惨な監禁生活
   >   最初は日本語が分からないといって兵隊たちによく殴られましたが、
   >   一年後には話せるようになりました。

 避妊注射とセックスしか日本人と接点がなのに、わずか1年で日本語が喋れるようになるのは不思 議です。

 そして、「最初は日本語が分からない」のに、

   > 5 慰安婦となる
   >   4日目にミヤザキという名の年配の将校が入ってきて、私を「カネ子」と呼び、
   >   一緒に寝ようと言いました。
   >   嫌だというと「大丈夫、何でもないから怖がるな」と言って抱きついてきました。

 ミヤザキという名の年配の将校は、李順徳氏が朝鮮語で話した「嫌だ」に対して、日本語の分からな い李順徳氏に理解可能な言葉で「大丈夫、何でもないから怖がるな」と話しています。

 このことから、ミヤザキという名の年配の将校は、朝鮮人だったか、或いは、朝鮮語に長けた日本人 だったということになります。

 同じ項にある

   >   彼の軍服には星が三個ついていて、そこにいた軍人の内で一番位の高い人だったと
   >   思います。

 が事実だとするなら、ミヤザキという名の年配の将校は、朝鮮語に長けた日本人だったということに なるでしょう。

 しかし、そんなお偉いさんが、

   >   軍用テントの近くに、むしろの壁に萩を編んで作った屋根の小さな小屋が
   >   点々とたっていて、私たちはひとりずつばらばらにそこに入れられました。
   >   小屋は畳2〜3枚位の広さで、床は枯れ葉の上に竹で編んだ敷物を敷いて、
   >   その上に国防色の毛布が掛けてあり、雨が降ると雨水が沢山漏れてきました。

 なんて場所で

   >   風呂はなく、部屋の中でバケツに扱んだ水で体を洗いました。

 などという不潔な売春婦を抱くでしょうか。

 もう消されてしまったYoutubeにあった映画 [ 従軍慰安婦 (韓国・1993) ] の中で下級兵士がボヤいて いたように、日本人の慰安婦と朝鮮人の慰安婦が居た慰安所では、上官のお相手は日本人の慰安婦 が行い、下級兵士のお相手を朝鮮人の慰安婦が行っていました。

   従軍慰安婦 (韓国・1993)
   http://youtu.be/VqPLTBFi03s (消えています)
   420x315 
   

 当時の朝鮮半島に今の様な美顔製造技術があるワケもなく、当時の朝鮮人女性は、良い意味でも 悪い意味でもモンゴル系が色濃く出た顔付でした。

    → 2012.10.20 速報☆東亜政経(`・ω・´)
     【整形大国】 「なぜ韓国人は顔が不細工なのか?」 に対するハングル板住民の反応
     http://touaseikei.jugem.jp/?eid=597

     > 327 :マンセー名無しさん:2012/03/04(日) 20:34:05.01 ID:J+8FUiAd
     >
     > 【朝鮮半島の統治国の歴史】 万年属国から独立まで
     > 紀元前108年〜220年:漢(植民地)
     > 221年〜245年:魏(植民地)
     > 108年〜313年:晋(植民地)
     > 314年〜676年:晋宋梁陳隋唐(属国)
     > 690年〜900年:渤海(属国)
     > 1126年〜1234年:金(属国)
     > 1259年〜1356年:モンゴル(属国)
     > 1392年〜1637年:明(属国)
     > 1637年〜1897年:清(属国)
     > 1897年:下関条約により清の属国から開放される←←←←←←ココ重要
     > 1903年:ロシア朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避
     > 1905年〜1945年:日本(保護国、併合)
     > 1945年〜1948年:アメリカ(非独立)←←←←←←ココも重要
     > 1948年:大韓民国成立(アメリカ軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立)
     > 1948年:軍事独裁政権誕生
     > 1948年:済州島4.3事件 3万人虐殺
     > 1950年:朝鮮戦争 400万人殺し合い
     > 1950年:保導連盟事件 30万人虐殺
     > 1951年:国民防衛軍事件 10万人虐殺
     > 1951年:居昌事件 8500人虐殺
     > 1979年:軍出身の大統領政権誕生
     > 1980年:光州事件 600人虐殺
     > 1993年:初の文民政権誕生←←←←←←韓国は民主化してまだ15年しかたっていない
     > 1997年:アジア通貨危機・国家財政崩壊によりIMFに土下座
     > 2012年:米韓FTA可決、事実を知った国民は火病デモをするも後の祭り
     >
     > 元々浅い顔だったがモンゴルに蹂躙された為、糸目エラの平面顔が加速した
     > モンゴル人に近いが、精神の醜さのためモンゴル人より醜く見える

 これでセックスする場所が汚くて、当の売春婦も垢塗れで汚いとなれば、幾ら初物だとかおぼこい少 女であったとしても、日本人将校の為の慰安所で日本人将校の為に身綺麗にした日本人慰安婦を差 し置いて李順徳氏を抱くとは到底考えられません。


 一から十まで全部嘘だとは言いいませんが、たったこれだけの文章に何の知識も無い市井のオッサ ンが読んでこんなに矛盾が見つかるんだったら、当時の軍情報に詳しい人が読めばもっと色々な事が 分かるだろう。 たとえば、上海周辺の当時の交通インフラ事情とトラックの性能を鑑みれば、上海か らトラックで半径3時間の距離にある日本陸軍の駐屯地は絞られるはず。 その上で、当時の軍情報 に詳しい人が、李順徳氏を尋問すれば偽証は瓦解するでしょう。

 何の知識も無い市井のオッサンが読んでこんなに矛盾が見つかる証言に、証拠性はあるのでしょう か?


 ■ さて、右派は狭義の強制連行だけにこだわっていますが、
   狭義の強制と広義の強制を区別することは全く意味がありません。

 

 従軍慰安婦問題とは、まず狭義の強制連行から始まりました。

 それが、この年表で分かります。

   > 検証:朝日報道
   > http://www.geocities.jp/tamacamat/ianfu.html
   >
   > 01: 慰安婦問題年表
┌──┬─────────────┬─────────────────────┐
│ 年 │  事  件       │  詳  細               │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1983│吉田清治手記出版     │若い女達を木剣で殴りけりトラックに詰め込ん│
│  │             │だ・・・・・等、ひたすら扇情的な内容。彼は│
│  │             │朝日の懸賞小説に応募して佳作になったストー│
│  │             │リーテラー。               │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1989│同書韓国訳出版      │                     │
│  ├─────────────┼─────────────────────┤
│  │元慰安婦探し       │青柳某が訴訟費用は負担します、と韓国ビラ配│
│  │             │りの旅。                 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1991│朝日記事スクープ     │軍に強制連行された元従軍慰安婦が名乗りをあ│
│  │             │げた..。植村記者は彼女が親に売られた...と │
│  │             │言っているのを知りながら強制連行に捏造して│
│  │             │記事を書いた。植村記者は現在北京特派員。 │
│  ├─────────────┼─────────────────────┤
│  │元慰安婦東京地裁に提訴  │訴状には親に売られたと明記。 強制連行では│
│  │             │なかった証拠になるが前の記事は訂正せず。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1992│朝日軍関与証拠発見の記事 │関与とは、具体的には性病を防ぐためと強姦事│
│  │             │件を抑えるために慰安所を設けたということだ│
│  │             │が、記事の見出しの印象操作で見出しだけ読む│
│  │             │と隠していた悪事が露見したように見えるのが│
│  │             │ポイント。                │
│  ├─────────────┼─────────────────────┤
│  │朝日/北畠委員の名で吉田清 │吉田さんは「遺書として記録したいと体験を書│
│  │治の取材記事       │き、話してきた」と彼がいかにも信頼できる善│
│  │             │意あふれる人のような印象を与える記事を書く│
└──┴─────────────┴─────────────────────┘

 それなのに、狭義の強制連行が無理だと分かってから、貴方たちサヨクが発明したのが 《 広義の 強制連行 》 です。

 貴方が仰る

 > ■ さて、右派は狭義の強制連行だけにこだわっていますが、
 >   狭義の強制と広義の強制を区別することは全く意味がありません。

 は、まんま↓これです。

   2013年06月04日 ネトウヨにゅーす。
   中央大・吉見教授「慰安婦は性奴隷だ。国が組織的に関与していた」 橋下発言を批判
   http://netouyonews.net/archives/7908445.html

   > 45:名無しさん@13周年:2013/06/04(火) 19:10:49.40 ID:wP4VpFTi0
   > >>29   これかw
   >
   >     _,,,,,_ オラコイ!!
   >    ⊥_o_|                  ∧_∧
   >    (Д´ #) _∧。・゜アイゴー        ( @∀@)< 官憲による強制連行はあった
   >     |:  ヽ,)´Д`>し           (m9 朝 つ
   >     |=== )   ヽ              人  Y 彡
   >     し`ヽ,) ヽ  _フフ ))===ズリズリ  レ' (_)
   >  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   >
   >       クルニダ!!
   >     ∧_∧                  ∧_∧
   >    <Д´メ > _∧。・゜アイゴー        ( @∀@)< 中間業者による強制連行はあった
   >     |  ヽ,)´Д`>し           (m9 朝 つ           (広義の強制連行)
   >     |   )   ヽ              人  Y 彡
   >     し`ヽ,) ヽ  _フフ ))===ズリズリ  レ' (_)
   >  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   >
   >    _,,,,,_
   >  ⊥_o_|                   ∧_∧
   >   (Д` ;)88888 オニーサン          (;∩Д∩<強制連行の有無は問題の本質じゃない
   >     |: ヽ,)∀´0゜> ヨッテクニダ       / ノ朝ノ
   >     |=== )斤y斤ヽ             (_, ) )
   >    し`ヽ,) ヽ  _フフ ))===ズリズリ    しし'
   >  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 恥という物を知ろう。

 さて。

 

 朝鮮半島であれ何処であれ

   2011年12月19日 2ちゃん的韓国ニュース
   朝日社説 「韓国の主張は歴史的にわからないではない。
           日本と韓国 人道的打開策を探ろう」
   http://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/1621041.html
   > 162 名無しさん@涙目です。(アラバマ州) 2011/12/19(月) 07:29:50.34 ID:8mFjyPtH0
   > というかね、
   > 「日韓基本条約締結時に判明しなかった問題」っつーのが
   > 完全におかしいんだよ。
   >
   > 自分の娘が誘拐されたわけだろ?
   > しかも数万人、数十万人規模で。
   >
   > それが、当時発覚せず、数十年後に発覚するって、
   > 「自分の娘が誘拐されても気づきませんでした」
   > ってことだぞ。
   >
   > そんなことありえるか?
   >
   > 数十年経過後に、外国のメディア(朝日新聞)に、
   > 「すいません、お宅の娘さん達誘拐されてますよね?」
   > と指摘されて、初めて
   > 「ああ、そうだった!うちの娘は誘拐されたニダ!アイゴー!」
   > って気づくのか?
   >
   > 朝鮮人は物凄いバカ民族ってことになるぞw

 ということです。

 親の与り知らない所で子供が行方不明になれば大騒ぎになる。 既に述べた通り併合後の朝鮮半島 に於いては、日本人の警察官よりも朝鮮人の警察官の方が圧倒的に多かったのですから、 [ 親の与 り知らない所で子供が行方不明 ] ということはありえません。

 それはたとえ大人の女性であっても変わりません。 当時は未婚女性の一人暮らしなんて考えられな い時代だったのですから、既婚であれば夫,未婚であれば親の管理下にあります。 そんな大人の女 性が夫にも家族にも知らせることなく失踪すれば、これもまた大事件発生です。

 ですから、まず [ 狭義の強制連行 ] は、あり得ません。

 そして、 [ 広義の強制連行 ] に於いても、夫や家族は連れて行かれたことを知っています。

 慰安婦に成った女性は、二通りしかありません。

 一つ目は、本人が望んで慰安婦になり、その旨を夫や家族に告げてある場合。

 二つ目は、本人は慰安婦になんかなりたくなかったが、夫や家族が(本人に内緒で)業者へ売ってし まった場合。 証言によくある 「 セックスを強要されたのにお金は貰えなかった 」 は本人が嘘を吐い ているのでない限り、セックスの対価が夫や家族に前金で払われていたためです。

 それ以外は、ありえません。

 特に朝鮮半島で朝鮮人の子供や女性が誘拐された(あるいは、“本人に”甘言を用いて騙して連れて 行った)なんてことは、併合直後の朝鮮半島でさえ警察官は6割が朝鮮人であり、その後、割合を増し て行ったのですから、たとえ冷酷な差別主義者である日本人警察が看て見ぬ振りをしたとしても、同胞 である朝鮮人警察官が捕らえてしまいます。

 ですから、慰安婦に成った女性というのは、本人が望んで慰安婦になり、その旨を夫や家族に告げ てある場合と、本人は慰安婦になんかなりたくなかったが、夫や家族が(本人に内緒で)業者へ売って しまった場合の二種類だけなのです。


 『狭義の強制連行』は、従軍慰安婦という捏造史のスタートラインにして基幹です。

 当の本人が 「 親に売られた 」 と言っているのに、真実を捻じ曲げて 『 狭義の強制連行 』 という嘘 を創り出したお前らが、いけしゃあしゃあと吐いて良い嘘と違うぞ!


 例えば、上記の事実認定を読むと、甘言による連行も実際は拉致と紙一重と分かります。
 つまり、大騒ぎになる拉致より貧しい少女を騙す方が簡単であり、
 一旦連れ出したら即(そく)強制連行(部屋には鍵をかけ、列車では見張りを付け、
 逃げられない)という手口が分かり、より狡猾で組織的であるといえるでしょう。

 

 既に説明済みの通り、夫や家族の知らない所で妻や子供が行方不明になれば大騒ぎになります。  効率を鑑みれば、一度の人攫い〜慰安所送りに一人しか攫わないとは考えられません。 直上にも

   >   旅館には私と同じように連れて来られた人が14、5人いて、一緒に夕食を食べました。

 とある様に、一度に複数の少女・女性を慰安所へ送っています。

 一度に一人ないしは二人しか拉致誘拐されなかった北朝鮮の日本人拉致に於いても、家族は大慌 てで警察に連絡をして犯人が捕まる様に手配させました ( 残念ながら深夜の海上を移送されたので、 日本国内の交通機関に手配しても無駄だったのですが...)。
 一度に一人ないしは二人しか拉致誘拐されなくても大騒ぎなのに、一度に14・15人も少女を誘拐して 事件にならないハズがありません。

 しかも、

   >   私は、裡里邑の旅館まで一時問位早足で歩いて連れて行かれました。
   >   旅館には私と同じように連れて来られた人が14、5人いて、一緒に夕食を食べました。
   >
   《中略》
   >
   >   翌日になると私を連れてきた朝鮮人の男の姿は見えず、代わりに日本人の男が
   >   3人いました。
   >
   《中略》
   >
   >   私たちは朝食後その日本人達に連れられて旅館を出て30分ほど歩いて
   >   裡里駅に着き、どこに行くかも告げられないまま汽車に乗せられました。
   >   汽車の中で2回寝て、上海の駅に着きました。
   >   上海に着いて食事をした後、幌のないトラックの荷台に乗せられました。
   >
   《中略》
   >
   >   約3時間位トラックに乗って日本陸軍の駐屯地に連れて行かれました。

 誘拐直後に犯行現場を離れたというならマダしも。 歩いて一時間しか掛からない旅館で一晩を過ご し、のんびりと朝食も摂って、その後で最寄りの駅から悠々と汽車で上海へ移動しています。

 こんな事は、警察に通報されていたら絶対に出来ません。

 つまり、100%間違いなく、この14・15人は親に売られた人たちだったのです。


 また、根本的に、拉致も詐欺も本人の意思に反した連行であり、
 当時の国内法(刑法)や国際法(醜業条約等)では、どちらも区別なく同罪とされています。
 (別項目で詳説)

 また、たとえ、軍でなく業者だ(広義)といっても、業者は日本軍が要請し、選定した業者であり、
 海外移送には日本軍(渡航許可)と政府(身分証明書発行)が直接に関与していて、
 軍・国の責任は免れません。

 

 業者が「この人は慰安婦希望だ」と言って嘘を吐いている以上、渡航許可と身分証明書を発行した旧 日本軍や日本政府に罪はありません。 そりゃあ、もちろん、一件の申請がある度に審査を中断して 調査をすれば、本当は嫌々連れて来られたと分かったかも知れません。 しかし当時は、朝鮮半島の 貧困層は貧しく、日本本土でさえも東北の農村は貧しかったのです。 泣いている少女を見て 「 お嬢ち ゃん、もしかして慰安婦になんか成りたくないのかな? 」 と訊いて 「 はい 」 と答えたら何が変わるでし ょう。
 その子が親元に戻される代わりに親は子を売って得た金を失います。

 そもそも親は何の為に子供を売ったのでしょう。

 某ブランドメーカーの新しい服を買う為でしょうか。 それとも、新型のi-phoneを買う為でしょうか。

 どちらも違いますね。

 子供を売らなければならない状況ってのは、半端なく切羽詰まった状況です。

 今日の飯が食える,明日の飯も(多分)食えるって状況下で子供を売る親なんかいません。

 生活道具を食糧に換え、衣服を食料に換え、そして、最後の最後にもうどうしようもなくなって初めて  親は子を断腸の思いで手放すのです。

 まさしく断腸の想いで、売られた子と売った自分と自分の家族を飢え死にさせない為に、泣いて子を 売るのです。

 それが、舞い戻って来たらどうなりますか?

 子を売って生き延びるという最後の最後の手段が奪われて、一家が冬を越せずに全員飢え死にする だけです。

 それが判っていたから、旧日本軍は渡航許可を発行し、日本政府は身分証明書発行を発行したの です

 貧乏人は子供でも売らなきゃ生きていけない時代だったということを忘れてはいけません。

※:もっとも、当時は今と違ってインターネットなんて情報伝達手段はありませんし、新聞などのマスメディアは
   完全に政府の統制下にありましたから、渡航許可や身分証明書を発行する関係職員は、東北の農村が貧困だと
   知らなかった可能性はあります。
   そう考えた場合は、渡航許可を出した旧日本軍も、身分証を発行した日本政府も完全に無罪です。


 ■ 次に、5、そもそも
   「 この問題の本質は募集時の強制連行の有無ではなく、
    慰安所での性行為の強制(性奴隷化)である 」 については、いかがでしょうか。

   端的な例として、元外交官、東郷和彦氏は以下のように書いています。

     議論に参加したアメリカ人から言われたことは、
     世界がこの問題を見る目がどこにあるかを知るうえで、青天の霹靂だった。
     日本で強制連行の有無について繰り広げられる議論は、この問題の本質にとって
     全く無意味である。 世界の大勢は誰も関心を持っていない。
     多くの米国人が考えるのは、自分の娘が慰安婦にされたらどう考えるか、
     という一点のみである。 そしてゾッとする。 これがこの問題の本質である。
     ましてや騙されて連れてこられ、気がついた時には拒否できないのでは、
     後は聞く耳を持たない。
     「強制連行」とどこが違うのか。
     女性の尊厳と権利を踏みにじることについては、過去のことであれ、現在のことであれ、
     少しでもこれを正当化したら、社会から総反撃を受けることになる」
     (『世界』2012・12月号、『歴史と外交』講談社現代新書より、ほぼ原文通り引用)

   皆さんも自分に引き寄せて考えれば、同感ではないでしょうか。

 

 売国奴の発言がどうしたって?

   2009/06/12 甦れ美しい日本
   第305号 「偽善者の群れ」(17)東郷和彦という外交官」
   http://chatky.iza.ne.jp/blog/entry/2270130/

   > 講談社現代新書よりの東郷和彦著「歴史と外交〜靖国・アジア・東京裁判〜」なる書を
   > 読んだ。
   > 東郷氏は文章がうまいので目を走らすだけであっという間に読める書であることは
   > 確かである。
   >
   > 祖父の東郷茂徳、父の東郷文彦とともに親子三代で外交官を務めた。
   > 同期には槙田邦彦アジア大洋州局長、岡本行夫、榎泰邦インド・南ア大使など。
   > 駐ロシア公使・条約局長・欧亜局長・駐オランダ特命全権大使などを歴任、
   > 外務省では「ロシアンスクール」に属した。
   >
   > 鈴木宗男代議士との深いパイプを持っていたため、田中真紀子外相vs鈴木宗男紛争に
   > 巻き込まれ駐オランダ大使着任を一時保留され、さらに鈴木代議士が一時期失脚した
   > 2002年に駐オランダ大使から更迭の末、依願の形式での退職を拒否したため
   > 免職処分となる。
   > 退官後はライデン大学・プリンストン大学・淡江大学(台湾)などで客員研究員となり、
   > 現在はカリフォルニア大学サンタバーバラ校客員教授。
   >
   > この書ではロシア問題が含まれておらず、いわゆる自虐史観についての
   > 東郷氏の考え方ならびに外務省の取り組み方などが理解できるので面白い。
   > 東郷氏の考えについて下記一章ごとに論破するが、
   > 要は「サンフランシスコ条約」に調印した日本は何も言えないとの論評である。
   > アメリカ軍が日本に進駐し、いわば拳銃を突きつけた形での勝者の論理での憲法制定や
   > 東京裁判など復讐劇の茶番に過ぎないサンフランシスコ条約の一部を後生大事に守る
   > というのが東郷氏の立場である。
   > しかも「judgements」の解釈を判決を含む裁判そのものを日本が受け入れたとする、
   > 反日思想に基づいているので驚く。
   > 「judgements」は判決の意味しかなくまた複数は数々の不当な連合軍や
   > アメリカの軍事裁判の判決を示すのであって、そのために復讐や冤罪や
   > でっちあげで確たる証拠もなく刑場の露と成った英霊の命は戻らないということで
   > のやむをえない受諾を示す以外のなにものでもないはずである。
   > 裁判の英訳に「judgements」など存在しない。
   > 尚フランス語ではaccepte les jugements pronounces,
   > スペイン語ではacepta las sentencias となっており
   > 判決だけを受け入れたことが明らかである。
   >
   > よしんば東郷氏の解釈を正しいとしても、それでも勝者の敗者に対する
   > リンチ裁判の不当性をいま堂々と政府は主張し、サンフランシスコ条約の改定を
   > 申し込むのが名誉ある日本の態度であるはずだ。
   > サンフランシスコ条約のお陰で日本が国際社会の仲間入りをしたなど
   > 優等生の回答など聴きたくもないのである。
   > 従ってサンフランシスコ条約を大前提としている東郷氏の議論は
   > そこで思考停止に陥るのである。
   >
   > 外交官など相手の顔色を見ながら何もいうべきことはいわないというのが、
   > 当たり前のようにこの書物より読み取れる。
   > 日本には「アメリカンスクール」「チャイナスクール」「ロシアンスクール」はあって
   > 外交官として当然愛国集団であるべき「日本スクール」が皆無である
   > 無国籍集団であることが良くわかる。
   > この連中はいったい誰のための外交をしているのか!
   >
   > 国際連盟を脱退した直後松岡洋右が語った言葉が
   > まさに東郷氏その他の日本の外交官に当てはまる。
   > 松岡洋右こそ日本外交史上アメリカとの最終講和を得るため、
   > 南進論を退けたその北進論の意味合いが今や評価されることとなった。
   >
   >   (弊論文・月刊日本2003・12月号松岡洋右待望論〜言挙げせよ日本外交〜参照):
   >
   >   “今までの外交官は、あまりに西洋人に気兼ねとお世辞をしたものだから、
   >    西欧人は日本人を馬鹿に仕切っている。
   >    外交官が舞踏とお世辞のみに浮身をやつしているから、
   >    そんな外交官は芸者外交官というのだ。
   >    私が再び世の中に出たときには、そういう外交官は一斉に土性骨を入れ替えてやる”
   >
   > そんな前提で東郷氏の書物を章ごとに追っていこう。
   > この人物のお利口さんぶりというか偽善の真骨頂は小堀桂一郎氏、渡部昇一氏、
   > 西尾幹二氏、岡崎久彦氏などの保守系の書物も勉強したと、肝心のことは勉強していない
   > くせに格好だけのために述べている点である。
   > しきりに中途半端な保守陣営の考えを並列させさも公平だとの態度を取っている。
   > 胸糞悪いというのはこのことである。
   >
   > この東郷氏が欧亜局長の際、200年5月の天皇皇后オランダ
   > ご訪問に際して、小渕首相がコック・オランダ首相に
   > インドネシアにおけるオランダ人抑留者に対する残虐行為を
   > 謝罪させた張本人であることを忘れてはなるまい。
   > オランダ人がインドネシア人を犬猫以下の差別で
   > 奴隷のように酷使したことを東郷氏はご存知か!
   > 日本が同胞としてのアジア人たるインドネシアを
   > オランダの過酷な支配から解放したのである。
   > まさに謝罪外交の走りのトップランナーとしての東郷氏こそが
   > 売国反日の急先鋒であったということを忘れてはなるまい。
   >
   >
   > 第一章 靖国神社と歴史認識
   >
   > 日本の外交官OBたるものがプリンストン大学での講演に対する自覚などひとかけらもない。
   > 小泉首相に対して
   > 「 靖国改編している間のモラトリアム、首相の訪問一時停止 」 などとの屈辱的な
   > モラトリアム論をえらそうにぶっているが、まさにこれこそ中国に屈した日本の敗北主義
   > である。
   > しかも講演で述べた後中国人の反論に対して何も返答しないことを
   > 自慢げに確信犯で語っている。
   > こんな連中が日本の国益など守れるはずはない!諸外国で元外交官OBの肩書きで
   > 反日を触れ回るのはやめて貰いたい。 最低の外交官であることの証明である。
   >
   > 戦争責任があたかも日本だけにあるように語るこの男、最新の学説など何も勉強して
   > いないことが良くわかる。
   > 栗山元米国大使が言った
   > 「 日本は永久に中国に謝罪続けなければならない 」
   > と同じ狢である。
   > 靖国神社についての勉強不足もはなはだしい限りである。
   > 挙句の果て村山談話絶賛である。
   >
   >
   > 第二章 国家の矜持としての慰安婦問題
   >
   > 飯の種のために日本を恫喝して金銭をむしりとる韓国の一部の嘘を
   > そのまま信じて矜持というこの男の偽善振りには怒りを超えて吐き気を催す。
   > しかもこの問題が朝鮮人強制連行問題やイギリスオランダ捕虜問題やらと
   > 質が同一だとほざくのである。
   > 東郷氏は会田雄二著の 「 アーロン収容所 」 を一度でも読んだのか?
   > 勝者は捕虜虐待はなんでもござれ、敗者は断じて許されない、
   > まさにひとかけらの愛国心もない。
   > アメリカが東京で慰安所を作ったのも勝者だから許されるのか?
   > そんな存在も勉強していないのか!!吉見義明などを崇めているのだから話にならない!
   > アメリカ人の母に生まれたせいかこの東郷氏は外国人のいうことは
   > 嘘でもそのまま信じるらしい。
   > 賠償金目当ての韓国オランダの人々の証言は絶対正しいらしい。
   > この男戦後の特徴のなんでもかんでも謝罪すれば
   > それが人間としての矜持だとの偽善者そのものである。
   > こんな偽善が道徳観というのだから世話はない。
   > 河野談話という日本人に永久の不名誉を認めた談話、
   > これを論理的に否定していくことが国家の矜持だろうが!!
   >
   >
   > 第三章 日韓の失われた時を求めて
   >
   > 合意による国際的に認知された日韓併合を否定するのなら、
   > サンフランシスコ条約の不当性も批判したらどうなのか?
   > 他国に都合のよいことだけを迎合するこの男、まさに日本の外交官の典型といえる。
   > 西大門刑務所の博物館の展示をそのまま信じるあほさ加減、この男の心情とは
   > 小学生並みの無批判性である。
   > 原爆記念館を訪問したのか? 日本人同胞への残虐行為など目もくれない偽善者である。
   >
   >
   > 第四章 トーゴー先生は台湾独立を支持しますか?
   >
   > 中国べったりの思想からは書いてあることは読む前から理解できるであろう。
   > 東アジア共同体なる日本にとって中国の属国化を推進するような悪夢を
   > 推し進めようとする東郷氏にはまさに無国籍日本人の典型と能天気を見る。
   > とにかくこの男はチベットやウイグルなど中国が犬畜生以下の残虐行為をしていることは
   > あまり触れないのである。 butcher江沢民、胡錦濤を敬う姿勢が各所に見られる。
   >
   >
   > 第五章 原爆投下をアメリカに抗議すべきか?
   >
   > 案の定この原爆が戦争終結を早めたとの”正統論”に組しているようである。
   > 広島市民の耐え難い惨禍に見かけだけでお世辞をいう典型である。
   > こんな原爆が人種差別などで落下されたことに怒らない日本人の典型ともいえる。
   > 慰安婦決議の際に原爆決議を仕返すという案を
   > 第二章でこの男は国益にあらずと否定していたが、
   > 改めてこの章でアメリカに対して抗議するのは日本の国益に反するらしい。
   > むしろ反核運動で日本の立場を世界に吹聴することこそ大切だとの偽善論である。
   > ここにもこの男のDNAの半分をしめる母系アメリカ人がゆえの非民族性を感じ取る。
   >
   >
   > 第六章 私のなかの東京裁判
   >
   > 冒頭述べたようにこの男の頭はサンフランシスコ条約を呑んでいる以上
   > 日本はこの件に対して何も言えないとの一辺倒である。
   > こんな男が外交官で第一線で日本の反国益のために戦ってきたのである。
   > まさに外交官とはパーティとダンスとブリッジに明け暮れ、相手におめんちゃらだけ言って
   > その場を恙無く過ごす接待係でしかない。
   > 外務省をぶっ潰し接待係だけを置けばよいのではないかと言いたくなる。
   >
   > 最後に東郷氏か小和田氏か知らないが日本の自虐史観・謝罪外交を戦後のある時点から
   > 繰り返しにっちもさっちも行かない状況に日本を貶めたのは自分たちの責任であることを
   > 全く自覚せず、この連中のお陰で蒙っている閉塞自虐史観状況で、
   > こうしたら周辺諸国にまずい、ああしたらアメリカを怒らせるなど、
   > 自分の責任は棚にあげてよくまあこんな議論ができるかとまさに破廉恥とはこのことである。
   > こんな男が外交官OBとして世界各地で自虐史観をばら撒くなど
   > まさに国家反逆罪に値する。
   >
   > --------------------------------
   >
   > 奥山篤信氏

 こんな男の発言に迎合することは何もない。


 ■ 判決では、慰安所での生活をどのように事実認定しているでしょうか。

 【3】慰安所での性行為の強制や暴力的な状況を認定した判決

 (1) 朴頭理さん (関釜裁判 下関判決) 以下「  」は判決原文。他は要約。

   〔要約:数えで17歳の時、就労詐欺により台湾の慰安所に連行された。
   客を取れと言われ驚き〕逃げようと考えたが、言葉も分からず道も分からず、
   頼れる人も知っている人もいないため、逃げることはできなかった。
   男と接したのはその時が初めてであり、乱暴な暴行を受け、軍人たちから強姦された。
   日本人の軍人が客の多数を占めていたので、慰安所において朝鮮語を使うことは
   暴力によって禁止されており、同女の呼び名も「フジコ」であった。
   同女は、1日に10人前後の…性交渉を強要された。
   休みは1か月に1日だけであり、自由な外出もできなかった。
   …食事は粗末であり、食べたい物を買う金もなく、あまりの空腹のため、
   …近くのバナナ園のバナナを取って食べ、…ひどく叩かれたこともある。
   同女は、台湾にいた5年間、慰安所の主人から金をもらったことはなく、
   位の高い軍人からもらうチップも慰安婦として身綺麗にしておくための
   化粧品を買える程度のものだった。
   …長年、性交渉を強いられたことにより、右の太股の下がパンパンに腫れ上がるという
   病気に罹り、その手術痕が現在でも残っている。

   〔5年後、敗戦で帰国できた。以下略〕

 

 今度は、朴頭里氏ですか。

   1990/04/02 従軍慰安婦問題を考える
   朴頭里(パク・トゥリ)
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/朴頭里(パク・トゥリ)

   > 【考察】
   >
   > 裁判の証言(以下「裁判」)と「証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」
   > (以下「証言」)を比べて見ると、大まかな流れは変わりませんが、
   > 以下の通り、細かい所で全く異なる内容をなっています。
   >
   >
   > < 村にきた男 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・日本語と韓国語を話す男でしたが、韓国語が上手だったので
   >         たぶん朝鮮人だと思います。
   >
   > ○ 「証言」・・・50代くらいの背の高い日本人でした。
   >         彼は朝鮮語を使いましたが、あまりうまくありませんでした。
   >
   > 「たぶん朝鮮人」だったのが、完全に「日本人」に変わって朝鮮語もヘタになっています。
   > しかも、「証言」では、「日本で暮らしている朝鮮人だとばかり思っていたのですが、
   > 台湾に着いたときに日本人だと知りました」と語り、「裁判」とは全く異なることを
   > 言っています。 これは完全にウソでしょう。
   >
   >
   > < 慰安所の主人 >
   >
   > ○「裁判」・・・村にだましに来た男と同一だとも日本人だとも証言していない
   >
   > ○「証言」・・・同女を連れて行った日本人の男が慰安所の主人
   >
   > 慰安所の主人まで日本人になってしまっていますが、
   > これは、「裁判」では触れなかっただけかも知れません。
   >
   >
   > < 軍人の暴力 >
   >
   > ○「裁判」・・・「もし朝鮮の言葉で話をしたりすれば、相手は日本の軍人なので、
   >         それこそ叩き殺されるぐらいひどい目にあわされました」
   >
   > ○「証言」・・・「軍人たちは私を殴ったりしませんでした」
   >
   > 日本を非難するのに都合のいいように情報が変更されている一方で、
   > 不利な方向にも変わっています。 訳が分かりません。
   >
   > なお、同女が入れられた慰安所は以下の通り、軍専用ではなく
   > 民間人も利用していたようです。
   >
   > 「 民間人の客は、日本人と台湾人でした。
   >  民間人の中にも一時間くらい「一見さん」もいれば、一晩泊まっていくような人も
   >  一月に何人かいました。 」(「証言」P106〜107)
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 細かい所は、コロコロと証言を変えているようで信用できませんが、
   > 大まかな所は本当のことでしょう。

 客として来ている軍人をレイバー(強姦者)として捉えているだけの頭の弱い自称被害者という感じで す。 釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟(別名:関釜裁判))での証言を100%鵜 呑みにしたとしても、親に売られて売春の対価が借金返済に消えた人というだけの話であって旧日本 軍も日本政府も有責になるとは思えません。


 (2) 宋神道さん  在日韓国人裁判 東京地裁判決 (1999・10・1)

   〔昭和13年、数えの17歳の時、騙されて中国の武昌の陸軍慰安所に連行され、〕
   泣いて抗ったが〔無駄で、逃亡の度に〕殴る蹴るなどの制裁を加えられたため、
   否応なく軍人の相手を続けざるを得なかった。
   軍人が慰安所に来る時間帯は、兵士が朝から夕方まで、下士官が夕方から午後9時まで、
   将校がそれ以後と決められており、
   …連日のように朝から晩まで軍人の相手をさせられた。
   〔日曜日や通過部隊があるときは、〕数十人に達することもあった。
   軍人の中には、些細なことで激昂して原告に軍刀を突きつけたり、
   殴る蹴るの暴行を加えるものもあった。
   〔その刀傷痕や呼び名の金子の刺青痕、繰り返しの殴打によって右耳が聞こえないなど
    後遺症が残る。〕
   軍人は避妊用具の使用を義務付けられていたが、使用しない者もあったため、
   性病にかかり、妊娠する慰安婦もいた。〔宋さんも妊娠し、養子に出さざるを得なかった〕

 

 続いて宋神道氏。

   1990/04/02 従軍慰安婦問題を考える
   宋神道(ソン・シンド)
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/宋神道(ソン・シンド)

   > 【考察】
   >
   > 家に帰るに帰れずに他家の手伝い等をしていたところを、人間ブローカーに目を付けられて
   > 慰安婦として売られたという話です。
   > 証言によって、そのブローカーが男であったり女性であったりしますが、
   > 根本的なところでの証言の食い違いはないと言えるでしょう。
   >
   > また、慰安所に行くことになった経緯について以下の通り記述されています。
   >
   > 「 大田(テジョン)で、四十二、三ぐらいのばあさんが、無理して嫁御に行く必要ない、
   >  戦地さ行けば国のために働くにもいいし、とにかく結婚なんかしなくてもよし、心配ないと。
   >  なんだとかかんだとかうまいこと言ったから、その口車に乗ってそのババアにくっついて
   >  行ったわけだ。 国のためって言われても分からないから。
   >  戦地と言っても分からないから。 手任し足任せ。
   >  今考えたら、それが「慰安婦」になるってことだったんだよね。 」
   > (「証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集T」P.45)
   >
   > 果たして、同女が騙されたと言えるのか微妙なところです。
   > 「戦地」も分からないなら、仮に「兵隊を慰安する仕事」というような
   > 婉曲的な説明をされたところで理解できなかったでしょう。
   > 恐らく、「それが「慰安婦」になるってことだったんだよね。」と述べているところを見ると、
   > 振り返って考えてみると慰安婦になることの説明はなされていたと言うことでしょう。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 全体として信憑性はあると思います。

 オツムの弱い女性が口八丁な女衒に誘導されて気が付いたら慰安婦に成っていたという話の様で す。 これじゃ日本軍は関係がありませんね。


 (3) 南二僕さん 山西省性暴力被害者損害賠償請求訴訟 東京地裁判決(2003・4・24)

                     長く詳しい事実認定なので、以下は要約です

   南は、結婚して実家に戻っていた1942年、旧日本軍が作戦行動を実施した際、
   乙下士官が5・6人の部下と南の実家に押し入り、その場で強姦し、
   南を砲台近くの民家に拉致・軟禁した。
   南は乙下士官に専属的に強姦され続けた。
   両親が700銀元もの大金を日本軍に提供したが解放されなかった。
   纏足で走れないため逃亡は失敗し監禁された。
   意に反して彼の子供を出産、親戚はそのことで対日協力者として敵視し、
   実家に乱入して母と2人の弟を殺害した。
   約1年後、再び乙の後任の丙下士官の専属にさせられ、夜は砲台に連行されて
   連日、複数の日本兵に暴行され強姦され続けた。
   ある日、壁に穴をあけて逃げ出したが、怒った丙は実家に探しに来て
   生き残った弟を馬に縛り付けて引きずり回し大怪我を負わせ、家に火を放った。

   日本軍が村を去ってようやく解放されたが、再婚しても子供が産めない体になったため
   養女を取った。
   また、被害者であるのに対日協力者とみなされて、社会から心身ともに迫害を受け、
   その苦痛と性暴力による婦人病の悪化などに堪えかねた後、
   1967年、首を吊って自殺するに至った。

 

 南二僕氏の証言は、いつもの  従軍慰安婦問題を考える - 慰安婦証言 にありませんでしたので、  「慰安婦」問題ってなーに? - 「慰安婦」問題にとりくむ福岡のネットワークです から引用させて頂き ました。

   2013年05月16日 「慰安婦」問題ってなーに?
   南二僕 (Nan Erpu) さん (証言は養女 楊秀蓮さん)
   http://kokoronokaihuku.blog.fc2.com/blog-entry-66.html

   > 私・楊秀蓮は1964年生まれで、生後70日ほどで楊喜順、南二僕夫婦の養女になり、
   > 育てられました。 数えで13歳くらいだった小学校3年生の時のことです。
   > 「憶苦思甜(昔の苦しみを思い 今の幸せをかみしめる)」の大会があり、
   > 河東村の李春富という老人が
   > 「 抗日戦争の時代に盂県城から西煙鎮北部に日本軍が来て砲台を築き、
   >  羊馬山にも砲台注1を作った。そして元気な人を捕まえて働かせ、
   >  村に入って村人を殺したり、女性を強かんした 」
   > と語りました。 その話に私の養母・南ニ僕が出てきたのです。
   > 私は「強かん」の意味がわからなくて養父・楊喜順に尋ねると、
   > 父は泣きながら私を抱きしめ、
   > 「 お前が大人になったらすべて話す 」
   > と言いました。
   > 親戚や村人たちも母のことを知っているようでしたが、話してくれませんでした。
   >
   > 全てがわかったのは1993年、父が肝臓ガンで死ぬ直前です。
   > 「 お母さんは
   >  『 この子が大きくなったら私の被害を全て話して、私の無念を晴らしてもらいたい 』
   >  と言い残して亡くなった。 お前が数えで4歳の時だ 」
   > と話してくれたのです。
   >
   >
   > 【日本軍の隊長に占有されて 男子を出産】
   >
   > 母は17歳で、幼い時に決められた20歳以上も年上の男性と結婚しましたが、
   > 婚家とも夫ともうまくいかず、日本軍が南頭村を掃討にきた1942年の春には、
   > 実家に戻っていました。
   > 祖母の家は、村の人が「バカ隊長」と呼んでいた下士官に襲われ、母は強かんされた後、
   > 河東村の村の中につくられた警備隊注2砲台近くの家に監禁されました。
   > 隊長に強かんされる日々は1年半続き、その間には下士官の子どもを妊娠してしまい、
   > 男の子を出産しますが、まもなく死んでしまいました。
   > 母の実家は裕福な一族だったので、母を取り戻そうと一族の土地を売って
   > 日本軍にお金を渡したのに帰されず、財産も無くして、祖父と親族の仲は険悪になりました。
   >
   > バカ隊長が異動でいなくなると母は逃げ出しました。
   > しかし「ミャオジ」と呼ばれる古参兵にみつかり、今度は夜になると羊馬山の砲台へ
   > 連行されてたくさんの日本兵に強かんされるようになりました。
   > 耐えかねた母が逃亡に成功すると、「ミャオジ」は怒って親族を脅して罰を与え、
   > 母の実家を焼き払いました。
   > 母は日本軍が盂県から撤退するまで、村には戻れませんでした。
   >
   >
   > 【戦後には「歴史的反革命」の烙印】
   >
   > 戦後も苦難の連続でした。
   > 1950年代前半に始まった「三反五反運動」という綱紀粛正運動で、
   > 母は「日本兵と長く一緒にいて子どもまで産んだ」ことを理由に「歴史的反革命」の罪に
   > 問われて、3年間投獄されました。
   > その後、日本兵と長くいたのも子を産んだのも母の責任ではないと、冤罪は晴れましたが、
   > 「歴史的反革命」という烙印はなくなることはありませんでした。
   > 60年代後半の文化大革命では、「歴史的反革命」と書いた札を首から下げさせられたり、
   > 重い労働をさせられました。
   > 父は母の被害事実を全て知った上で、家族の反対を押し切って母と結婚した人です。
   > 夫婦仲は睦まじく、母をそのような迫害から庇護しようとして、自分まで母と同じ仕打ちを
   > 受けました。
   > そして文革が最も激しかった1967年、母は被害の後遺症である婦人病が悪化したことにも
   > 苦しみ、首を吊って死んでしまったのです。
   >
   >
   > 【母の名誉回復を求めて】
   >
   > 私は父からすべて聞いた後、すぐに母の弟にも話を聞き、
   > 母の遺志を果す決意を固めました。
   > 夫・楊建英と共に村の古老たちに聞き取りをして母の被害事実をさらに詳しく調べ、
   > 日本政府に謝罪と損害賠償を求める裁判を起こしました。
   > 「日本軍の協力者」とされてきた母は、村の中でも「被害者」と呼ばれるようになりました。
   > 母の亡骸は、以前は父の一族の墓地への埋葬を許されませんでしたが、
   > 今では羊馬山の麓に父の墓と並んで祀られています。
   > 日本の友人たちと母の墓参りができたとき、嬉しくて嬉しくて
   > 涙が溢れて仕方がありませんでした。
   >
   > 裁判は負けてしまいましたが、私は母の名誉を回復するためにも、
   > 母の被害を訴え続けていきます。
   > 特に、母のような日本軍から性暴力を受けた女性たちの被害が二度と起きないように、
   > 平和な世界を願って、次の世代の子どもたちに教育されることを望みます。
   >
   >
   > 「中国における日本軍の性暴力の実態を明らかにし賠償請求裁判を支援する会」より提供

 創作臭が物凄いけど河東っていっても中国大陸だと

   河東郡 − 中国の歴史上の郡。現在の山西省西部に存在した。
   河東区 (天津市) − 中華人民共和国天津市にある行政区画。
   河東区 (臨沂市) − 中華人民共和国山東省臨沂市にある行政区画。
   河東県 − 山西省永済市の古称。

   wikipedia「河東」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/河東

 と云う風に、四つも在るワケで、これだけの情報では雲を掴む様な話である。 もし、仮に捏造認定が 叶うとしたら、それは、村の座標が確定して、レイプされた時期に日本軍がそんな所に居なかったと判 断されない限り無理だろう。 ただし、猜疑心に塗れた私の目に

   > 母の実家は裕福な一族だったので、母を取り戻そうと一族の土地を売って
   > 日本軍にお金を渡したのに帰されず、

 は非常に嘘臭く映ります。

 なぜなら、私がその「バカ隊長」なら、間違いなくお金を貰って女を返すからです。

 お金を貰ったのに返さなければ、お金も性処理女も手に出来て良いように思えるが、その選択肢が 良い結果を齎すのは一度限りだ。 お金を貰って女を返せば、「攫われた場合でもお金を払えば返して 貰える」という前例が出来る。 南二僕氏を反す事で実績を作り、お金を持っていそうな屋敷の娘を攫 っては適当に輪姦した後で、お金と引き換えに返すことを繰り返せば次々に新しい性処理女に交換で きる上にお金までバンバン入ってくる。

 そんな美味しい手を採らない奴が居るか? 居ないと思う。

 だから、多分、嘘だと思う。 確証に至る根拠が薄いが、ね。


   フィリピンと台湾を除く35人の原告の事実認定は、一人ひとりの慰安所生活での強制性を
   具体的に認定しています。
   そればかりではなく、性暴力の被害の重層性と残酷さ
   ( 当時の性奴隷化はもちろん、戦後も家父長制社会からの蔑視・差別、今に続くPTSDなど
    幸福な一生を台無しにされた )
   を明確に認めています。
   海南島の被害者には、特に「破局的体験後の持続的人格変化」
   (人格と行動への深刻な障害)も認定しています。

   ここにすべての例を挙げられないので、ぜひ、全「事実認定」をご一読ください。

 

 いやいやいや。

 その「事実認定」って何処で読めるんですか?

 章の末尾に3冊の本が紹介されていますが、

 『証言 未来への記憶』

 『司法が認定した日本軍「慰安婦」』

 『黄土の村の性暴力』

 (真ん中のヤツがそれかな?と思わないでもありませんが)いずれも「事実認定」というタイトルではあ りません。 「事実認定」という所にリンクを貼り忘れたのなら直しておいて下さい。


 ■ では、この判決の事実認定は証言をどのように吟味し、判断してなされたのでしょうか。

 【4】被害者の証言を認定する根拠

 もちろん、他の証拠
 (当時の歴史背景・現場写真・文書資料・目撃証言・研究者証言等々)
 と照らし合わせるとともに、以下のように判決の中で述べられています。

 
 下関判決の例をあげます。

   従軍慰安婦制度の実態及び慰安婦原告らの被害事実、

   2、慰安婦原告らの被害事実

     〔明瞭詳細な事実の確定が不可能な証拠状態であるため〕ここではひとまず
     証拠(甲1、甲3ないし甲6、原告朴頭理、原告李順徳)の内容を摘記した上、
     末尾においてその証拠価値を吟味し、確実と思われる事実を認定することとする。

     〔次にくる(一)(二)(三)は、原告3人の陳述・供述が摘記されている〕

     (四)、慰安婦原告らの陳述や供述の信用性

     〔慰安所の詳しい所在地や人物・部隊名特定など詳細は分からないが、〕
     いずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかった〔上に〕
     高齢に達していることを考慮すると、その陳述や供述が断片的であり、
     視野の狭い、ごく身近なことに限られてくるのもいたし方ないというべきであって、
     その具体性の乏しさのゆえに、陳述や供述の信用性が傷つくものではない。
     かえって、…原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、
     本訴にいたって初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、
     本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消し難い
     原体験に属するものとして、その信用性は高いと評価され、
     反証の全くない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。

 ( ゚д゚) ・・・

 ( ゚д゚) ・・・

 ( ゚д゚) ・・・

 ( ゚д゚) ・・・

 ( ゚д゚) は?

 

 あまりのトンデモ判決に意識が飛んでしまいました。

 冗談で言っているんじゃないとしたら、裁判官の精神を疑うレベルの判決です。

   〔慰安所の詳しい所在地や人物・部隊名特定など詳細は分からないが、〕
   ↑
   └― 本件は、どこで犯行されたか分からない,誰に犯行されたかわからない。

   いずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかった〔上に〕
   ↑
   └─ 原告は貧乏人でバカ、しかも

   高齢に達していることを考慮すると、
   ↑
   └─ ボケ老人だから

   その陳述や供述が断片的であり、
   ↑
   └─ 供述内容が支離滅裂だったり

   視野の狭い、ごく身近なことに限られてくるのもいたし方ないというべきであって、
   ↑
   └─ 訊いている事にまともに答えられないのも仕方がない

   その具体性の乏しさのゆえに、陳述や供述の信用性が傷つくものではない。
   ↑
   └─ 抽象的で的を射ない内容でも盲目的に信用するしかない。

   かえって、…原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、
   ↑
   └─ 原告の婆共は、慰安婦であったことを恥として、隠し続けて来た

   本訴にいたって初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、
   ↑
   └─ それを今になって明らかにしたというのは(きっと)断腸の想いであったに違いない

   本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消し難い原体験に
   属するものとして、
   ↑
   └─ 辛いだろうに無理して話したんだから

   その信用性は高いと評価され、
   ↑
   └─ きっと真実に違いない。

   反証の全くない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。
   ↑
   └─ 本件は、どこで犯行されたか分からない,誰に犯行されたかわからないので、
       どんな出鱈目な判決を下しても「異議あり!」と反駁できない。
       よって本件は真実である。

 ・・・正直、キチガイって凄いと思う。


 別の例として「河野談話」の場合をあげましょう。談話には

   … 慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、
   その場合も、甘言・強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、
   更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
   また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。…

 と書かれています。
 「河野談話」は政府調査結果
 ( 各省庁・国会図書館・米国国立公文書館等々260件以上の資料、
  「慰安婦」・軍人・慰安所経営者・研究者からの聞き取りを対象 )
 に基いています。

 

 だーかーらー。

 その260件以上の資料と“裏付けのある”「慰安婦」・軍人・慰安所経営者・研究者からの聞き取り中 から、

 「『これ』と『これ』と『これ』が旧日本軍および日本政府が強制連行に関与した証拠である」

 を出せ!

 「260件以上の資料」と「聞き取り調査」を統合的に判断して・・・なんて詭弁は聞き飽きた。

 ゼロは幾つかけてもゼロだ。 ゼロは幾つ足してもゼロだ。

 0.1でも0.001でも良い。

 足してやがて1以上に成り得る証拠を出せ!

 だせないなら黙っていろ!


 河野洋平元官房長官は、次のように述べています。

 半世紀以上も前の話だから、その場所とか、状況とかに記憶違いがあるかもしれない。
 だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、
 傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。
 実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。
 相当な強圧があったという印象が強い。」、
 「 それはもう明らかに厳しい目に遭った人でなければ証言できないような状況説明が
  次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信憑性がある、
  信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言える
  ということがわかってきました。」

 ( デジタル記念館の基金に関わった人の回想、
  朝鮮日報「私の立場に変わりはない」2012・8・30他。
  他に当時の石原信雄官房副長官も同様な意見を述べています )

 

 本当に河野談話しか因る由が無いんだな。 笑ってしまったわ。

 そちらがこのサイトを開いた後に暴かれた事実ですが、河野談話自体が捏造です。

 

 ( 2ちゃんねるまとめブログに見る 河野談話の崩壊 より )

   2013/10/16 Hyper News 2ch
   【政治】元慰安婦報告書、韓国でのずさん調査浮き彫り
   …慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧、「河野談話」の根拠崩れる(産経)
   http://hypernews.2chblog.jp/archives/51557449.html
   > 産経新聞は
   > 15日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の
   > 根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手した。
   > 証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、
   > 氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だった。
   > 軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、
   > 決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったと判明したことで、
   > 河野談話の正当性は根底から崩れたといえる。
   > 産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった。
   >
   > 5年7月26日から30日までの5日間、ソウルで実施した聞き取り調査に関しては
   > 9年、当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で
   > 「 (強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった 」
   > と証言している。
   > ところが政府は、この調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかった。
   >
   > 産経新聞が今回入手した報告書はA4判13枚で、調査対象の16人が慰安婦となった
   > 理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。
   > だまされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が
   > 描写されている。
   >
   > しかし、資料としての信頼性は薄い。
   > 当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず、
   > 報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人で空欄が6人いた。
   > やはり朝鮮半島で重視される出身地についても、大半の13人が不明・不詳となっている。
   >
   > 肝心の氏名に関しても、「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの、
   > 「カン」などと漢字不明のものもある。
   > また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたと
   > みられる箇所も存在する。
   >
   > 大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で
   > 働いたとの証言もある。
   > 元慰安婦が台湾中西部の地名「彰化」と話した部分を日本側が「娼家」と勘違いして
   > 報告書に記述している部分もあった。
   >
   > また、聞き取り調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。
   > 調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、
   > 訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。
   >
   > 日本側の聞き取り調査に先立ち、韓国の安秉直ソウル大教授(当時)が中心となって
   > 4年に行った元慰安婦への聞き取り調査では、連絡可能な40人余に
   > 5〜6回面会した結果、
   > 「 証言者が意図的に事実を歪(わい)曲(きょく)していると思われるケース 」 (安氏)
   > があったため、採用したのは19人だった。
   >
   > 政府の聞き取り調査は、韓国側の調査で不採用となった元慰安婦も
   > 複数対象としている可能性が高いが、政府は裏付け調査や確認作業は一切行っていない。
   >
   > 談話作成に関わった事務方トップの石原信雄元官房副長官は産経新聞の取材に対し
   > 「 私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、
   >  談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信憑性を疑わせるとなると
   >  大変な問題だ。 人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる 」
   > と語った。
   >
   >
   > ■ 河野談話
   > 平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に
   > 心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。
   > 慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が
   > 国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、
   > 「 官憲等が直接これに加担したこともあった 」
   > 「 募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた 」
   > などと強制性を認定した。 閣議決定はされていない。 
   >
   > (終わり)
   >
   >
   > ソース(MSN産経ニュース、政治面)
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101608380010-n1.htm ( 魚拓 )
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101608380010-n2.htm ( 魚拓 )


   2013年10月16日 まとめたニュース
   【何これw】 従軍慰安婦の存在は、韓国から「信頼して下さい」と言われたから信じた
           騙された思いだ
   http://matometanews.com/archives/1647399.html
   > 「韓国を信頼し『公正・冷静に語れる人を』と言い韓国は約束した」 石原元官房副長官
   >
   > 河野談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官は
   > 15日までに、産経新聞のインタビューに次のように語った。
   >
   > −−聞き取り調査結果を見ると生年月日や氏名、出身地の明記がない者が多い
   >
   > 「 証言者の身元がかなりあやふやという印象を持ったわけですね。
   >  (身元は)証言内容を判断する上で非常に重要な要素だ 」
   >
   > −−16人の中には、安秉直ソウル大教授(当時)らの調査で信頼性が低いとされ、
   >    韓国側の証言集から省かれた人が含まれているようだ
   >
   > 「 信用できない人について日本政府が聞き取りしたと? 」
   >
   > −−日本の複数の新聞や韓国側の調査に対し、
   >    それぞれ異なる証言をした人も含まれている
   >
   > 「 うーん。 そういう話になると、基本がおかしくなる。
   >  もともとの証言の信憑性が揺らいでくる 」
   >
   > −−そういうことになる
   >
   > 「 証言者の人選は韓国側が行った。
   >  私たちは韓国側を信頼し
   >  『反日運動をやっておらず、公正・冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ』
   >  と言い、韓国側がそれを約束したから調査に行った。
   >  その根っこが揺らぐと何をか言わんやだ 
   >
   > −−対日裁判を起こした当事者も5人含まれる
   >
   > 「 反日運動に関わっている人は外してくれと言い、韓国側はそうします、と言っていた 」
   >
   > −−石原さんら日本側の理解はそうでも、現実は違っていた可能性が高い
   >
   > 「 残念ながら、当時の状況では身元調べというか、裏打ちするまで能力がなかった。
   >  だから信頼関係でやったわけだ、あくまで。 その信頼が崩れるとなると何をか言わんやだ 
   >
   >
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101610180011-n1.htm ( 魚拓 )


   2013年10月17日 気になったニュース(`・ω・´)
   【元慰安婦報告書】韓国に配慮、まず強制ありき 「事実より外交」のツケ重く
   http://kininatta2chmatome.doorblog.jp/archives/7365894.html
   > 河野談話の根拠となった元慰安婦への政府聞き取り調査のずさんさが
   > 産経新聞が入手した資料で浮き彫りになった。
   > 談話はその後も独り歩きし、国際社会での日本の立場を大きく傷つけ続けている。
   >
   > (阿比留瑠比)
   >
   > 「 当時、日韓関係を考えて、ポイントは(慰安婦募集の)強制性を認めるかの一点だけ
   >  だった。
   >  それを、元慰安婦の聞き取り調査内容を担当官から聞いた心証として認めたわけだ 」
   >
   > 石原信雄元官房副長官は今回、河野談話作成時の宮沢喜一内閣の事情を振り返った。
   > 石原氏は平成19年の民主党の会合では、
   > 「 事実判断ではなく、政治判断だった 」
   > と証言しており、 当時の政府首脳らのあやふやな「心証」が
   > 今も日本の足を引っ張っている。
   >
   > この頃、韓国側は元慰安婦の名誉回復に非常にこだわっていた。
   > そのため、日本政府に「強制」を認めるよう強く求めていた。
   >
   > 「 強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった 」
   >
   > 石原氏は産経新聞の17年のインタビューで、当時の政府の見通しをこう明かしている。
   > ところが、政府が国内外、関係省庁に公文書館と
   > 「 八方手を尽くして調べた 」 (石原氏)
   > にもかかわらず、
   > 証拠文書も日本側の証言も見つからない。
   >
   > 物的証拠を発見できなかった政府は、5年3月23日には、
   > わざわざ「強制」の定義を広げる国会答弁までしている。
   > 談話作成に関与した当時の谷野作太郎内閣外政審議室長は、
   > 参院予算委員会でこう述べた。
   >
   > 「 単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて
   >  本人の意思に反してある種の行為をさせた場合も含む 」
   >
   > 同じ頃、政府首脳も
   > 「 精神的苦痛、心理的なものも含めて強制とする 」
   > という見解を示した。
   > 石原氏は今回、
   > 「 かなり広げた。 宮沢首相や河野洋平官房長官は、日韓関係を将来良くしようと考えたら、
   >  彼らの言い分をある程度もう認めざるを得ないという気持ちがあった 」
   > と振り返る。
   >
   >
   > このようにして、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話の下準備を進め、
   > その上で臨んだのが、韓国側の要請と人選による元慰安婦の聞き取り調査だった。
   >
   > ただ、実際には調査は元慰安婦一人当たり3時間程度で、
   > 通訳や質問者が話す時間を考えると、証言時間は短い駆け足調査だった。
   > そして、この「形式的な調査」(現在の政府関係者)のわずか5日後、
   > 河野談話は発表された。
   >
   > 苦心惨憺して韓国のために強制性を認めた結果、日韓関係は逆に悪化した。
   >
   >
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101614160015-n1.htm


   2013/10/18 政経ch
   【慰安婦問題】 産経新聞「大スクープ」・・・橋下市長は評価、韓国マスコミは反発
   http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-10929.html
   > 産経新聞が2013年10月16日付朝刊で、特大の「スクープ」記事を発表した。
   > 「河野談話」(1993年)の根拠となった日本政府による元慰安婦女性への聞き取り調査が、
   > ひどく「ずさん」なものだったと指摘したのだ。
   >
   > 「河野談話の正当性は根底から崩れた」と産経は高らかに主張する。
   > 橋下徹大阪市長ら一部政治家からは拍手が上がるが、他紙はほぼ黙殺、
   > 閣僚たちも事実上「ノーコメント」だ。
   >
   > 記事は計4面にわたって掲載され、文字数は1万を超える超特大記事だ。
   > 産経新聞の力の入れぶりがうかがえる。
   >
   > 以前から聞き取りの「証拠能力」を疑問視する声は少なからずあった。
   > そもそも調査を行う以前から、
   > 「 証言の『信憑性』の問題が生じる 」(朝日、93年3月24日朝刊)
   > として、政府は実施そのものに難色を示していた。
   > 河野洋平氏自身、「 証言には間違いがある 」 との指摘が当時からあったことを認めている。
   > 今回の報道は、こうした指摘を新出資料から「蒸し返した」形だ。
   >
   > 各界の反応は分かれた。
   > 菅義偉官房長官の16日会見では、産経記者からたびたび質問が飛んだが、
   > 菅官房長官は談話を引き継ぐ立場を繰り返すとともに、談話の根拠について、
   > 「 当時日本政府としては、政府文書の包括的調査や韓国で実施した聞き取り調査などを
   >  行ったものと、そうしたことについては承知しています 」
   > との認識を示した。
   > 産経の「聞き取りのみが河野談話の根拠」という主張に釘を刺した格好だ。
   > 岸田文雄外相も18日、同様の見解を述べている。
   >
   > 一方、かつて「慰安婦発言」で論争を呼んだ橋下市長は、
   > 「 きちっとあのような事実は報じてもらいたい 」
   > を評価し、各社による積極的報道を促した。
   > 自民の高市早苗政調会長も、産経の取材に「大変残念だ」などと「ずさんな調査」を
   > 批判したという。
   > 維新の中山成彬衆院議員は記事への賛同をツイッターでつぶやき、
   > 河野氏に対し「釈明」を求めた。
   >
   > 産経記事では新聞各紙のこれまでの慰安婦報道も「検証」、
   > 産経のみが一貫して「正しい」報道をしてきたと主張し、
   > 特に朝日新聞などに対しては「誤報」で誤解を広めたとして批判している。
   >
   > しかし産経の報道を、各紙はほぼ黙殺している。
   > わずかに毎日新聞が、前述の菅官房長官会見に触れたのみだ。
   >
   > 逆に韓国紙は
   > 「 河野談話を無力化しようと攻勢 」(朝鮮日報)、
   > 「 日本右翼言論が大々的に報道 」(京郷新聞)
   > などとこぞって大きく取り上げている。
   >
   > このうち左派系紙「ハンギョレ」は、報道の内容を「詭弁」とした上で、
   > 報告書の「曖昧さ」については、
   > 「 当時の朝鮮人女性は9割が文盲であり、
   >  こうした高齢女性に何十年も前の経験を聞くということの『限界』と見るべきだろう 」
   > と擁護した。
   >
   > 産経新聞は、こうした反応も盛んに取り上げるなど、
   > 連日「慰安婦キャンペーン」を続けている。
   >
   > (抜粋)
   >
   >
   > http://www.j-cast.com/2013/10/18186655.html?p=2


   2013年10月18日 保守速報
   【韓国最高学府】安秉直・ソウル大学名誉教授
   「 調べた限り、日本軍が女性を強制動員して慰安婦にした客観的資料はない! 」
   ついにキタ━━━(゚∀゚)━━━!!
   http://www.hoshusokuhou.com/archives/33224767.html
   > 本来なら河野談話の主役である河野洋平元官房長官に直接問いただしたいところだ。
   > だが、残念ながら産経新聞の取材は受けてもらえないので、河野氏の言葉を他媒体から
   > 引用したい。
   >
   >  「 日本政府調査団の慎重姿勢に徐々に心を開いた16人が当時、
   >   『出所や中身は公表しない』との約束で口を開いてくれた 」
   >  ( 平成20年10月8日付読売新聞 )
   >
   > 河野氏は聞き取り調査内容を公表しない理由についてこう主張するが、
   > 実際には日本での慰安婦賠償訴訟の原告が5人いる。
   > 日本の新聞のインタビューを受けて連載記事で取り上げられた人も、
   > 安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大教授(当時)ら韓国側が行った聞き取り調査に応じ、
   > 元慰安婦の「証言集」に収録されている人もいた。
   >
   > つまり、日本政府が内容を秘匿することにあまり意味はないのである。
   > また、河野談話作成にかかわった当時の政府高官は
   > 今回、産経新聞に河野氏の主張と矛盾することを語った。
   > 「 私は公開してもいいと言ったが、河野さんが 『 絶対だめだ 』 と反対した 」
   >
   > どちらの言い分が本当かはまだ「藪(やぶ)の中」だが、いずれにしても河野氏の発言は
   > 情緒的すぎる。
   > 河野氏は月刊誌「世界」の昨年10月号のインタビューではこんな言い方をしている。
   >
   > 「 日本政府の調査に対し、当事者の方々がその辛(つら)い体験を話してくださったのは、
   >  こちらの姿勢への信頼が生まれて初めて語ってくださったのです。
   >  『 証拠がない 』 という批判は、その信頼を裏切るものだ 」
   >
   > とはいえ、実際の調査は1人当たりわずか約3時間程度で、
   > それも通訳を介してのやりとりである。
   > 安氏ら韓国側の調査のように、5、6回面会してじっくり話を聞いたわけではない。
   >
   > また、河野氏は当事者の信頼を裏切るなというが、およそ論理的ではない。
   > まるで、元慰安婦の証言はすべて丸ごと信じるべきだと言わんばかりで、
   > そこには事実関係の追究・解明という視点も、国益という観点も見あたらない。
   >
   > 一方、福井県立大の島田洋一教授が19年3月にソウルで安氏と会った際、
   > 安氏はこう語ったという。
   >
   > 「 私も元慰安婦の聞き取りも含め詳しく調査したことがあるが、
   >  調べた限り、日本軍が女性を強制動員して慰安婦にした客観的資料はない。
   >  研究者として証拠といえる証言もなかった 」
   >
   > (抜粋)
   >
   >
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131017/plc13101712140014-n1.htm


   2013年10月25日 何でもありんす
   【慰安婦問題】 聞き取り調査には「韓国の民間団体の強い要望」で、
            福島瑞穂・社民党前党首が同席していた
   http://milfled.seesaa.net/article/378459593.html
   > ■ 公正、真実、信頼…どこまでも怪しい河野談話(MSN産経)
   >
   > 引用ここから〜〜〜〜〜〜〜〜
   >
   > 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野談話の根拠となった、韓国での
   > 元慰安婦16人の聞き取り調査の実態について、改めて考えてみたい。
   >
   > 「 バイアスのかかった人たち、反日運動をやっている人から聞いたのでは、
   >  初めから参考にならない。
   >  そうではなくて、真実を語れるような状況のもとで公正な、
   >  真実を語ってくれる人を選んでくれと韓国側に言った。 韓国側も同意した 」
   >
   > 河野談話作成に事務方のトップとしてかかわった石原信雄元官房副長官は
   > 今回、産経新聞のインタビューでこう繰り返した。
   >
   > その考え自体に異論はないが、肝心なのは実態はどうかだ。
   > 石原氏は韓国側を 「 信頼していた 」 と振り返ったが、聞き取り調査が
   > そんな公正性が担保されるような環境下になかったことは明々白々なのである。
   >
   > もともと聞き取り調査は、慰安婦募集の強制性を示す物的証拠が一切見つからない中で
   > 「 向こう(韓国政府)が 『 当事者の意見を聞いてくれ 』 と言ってきた 」(石原氏)
   > という。
   > だが、実際に調査が実施された場所は韓国政府の公館でも何でもなく、
   > 太平洋戦争犠牲者遺族会という民間団体の事務所だった。
   >
   > そしてこの遺族会とは当時、日本政府を相手に慰安婦賠償訴訟を起こしていた
   > いわくつきの団体である。
   > そもそも慰安婦問題に火がついた一つのきっかけは、
   > 朝日新聞が3年8月に 「 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く 」 と報じたことだ。
   > 記事は 「 女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に連行 」 などと事実に反した内容だったが、
   > これを書いた記者の義母が幹部を務めていたのが、この遺族会というのも因縁めいている。
   >
   > また、聞き取り調査には「韓国の民間団体の強い要望」(5年7月29日付朝日)で、
   > オブザーバーとして福島瑞穂弁護士(社民党前党首)が同席していた点もしっくりこない。
   >
   > 福島氏は当時、遺族会による賠償訴訟の原告側弁護士であり、
   > さらに、聞き取り調査対象16人中の5人までもがこの訴訟の原告なのである。
   > こうなると、石原氏の言う「公正」「真実」などむなしい限りで、むしろ一定の政治的意図を
   > 感じない方が不自然だろう。
   >
   > 付け加えれば、遺族会は後に詐欺の疑いで警察に摘発された。
   > 日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府から補償金を受け取ってやるとして
   > 弁護士費用名目などでカネをだまし取っていたという理由だ。
   >
   > 福島氏は前述の5年の朝日記事の中で、日本政府の調査団が聞き取り調査の冒頭、
   > 元慰安婦に 「 日本は、やってはいけないことをした 」 と必ず謝罪したとのエピソードを
   > 明かしている。 何のことはない、日本側は話を聞く前から結論を決めていたのではないか。
   >
   > ちなみに政府は聞き取り調査内容を非公開としているが、
   > 当時の新聞には調査に応じた複数の元慰安婦の名前が堂々と掲載されている。
   > 今さらプライバシー保護でもあるまい。 河野談話は、どこまでもうさんくさい。
   >
   > (政治部編集委員)
   >
   > 〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで

 すべては、愚かでお人好しな日本政府が韓国に配慮して創った嘘です。 こんなものは、溺れる者が 掴む藁にすらなりません。


 ■ 以上、一般的に「文書が無いからその事実もない」という論理は成立せず、当然、
   「 軍による狭義の強制連行を示す文書が無いからその事実はなく、
    従って商行為(売春婦)であり、従軍慰安婦はいなかった、日本に責任は無い、
    河野談話の見なおしを!」
   という議論は、歴史歪曲であり、被害者の人権を重ねて蹂躙するものです。

 

 何の裏付けもない朝鮮人の証言なんか盲信できるわけがありません。

 

 韓国人の場合、『偽証』という問題が付き纏う。

   《2》 韓国人は日本人の671倍ウソつきらしい
   http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/k2.htm

   > 2000年の場合、韓国で偽証罪で起訴された人が1198人であることに比べ
   > 日本は5人だった。
   > 韓国と日本の人口の差を考慮した場合、
   > 国内の偽証が日本の671倍に達するというのが最高検察庁の分析だ。
   >
   > 偽証がこのように多い理由は、嘘を大したことと思わない社会の風潮と、
   > 「情」にもろい韓国の文化が最も大きな理由だと判・検事は話す。

 罰金程度とは言え、一応は刑罰が伴う法廷でコレです。


   2011/12/18 博士の独り言 II
   韓国・偽証大国の憂鬱
   http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-597.html

   > 平成21年8月19日付メモより重稿
   > 偽証罪は日本の約300倍
   >
   > 偽証に悩まされる韓国の法廷(上)
   > (前略)
   > 民事裁判、刑事裁判ともに、法廷での偽証行為が一向に減らないため、
   > 裁判所や警察が頭を抱えている。
   > 巧妙で悪意のある偽証が司法の信用を失墜させているばかりでなく、
   > 裁判所が意欲的に試行している公判中心主義を定着させる支障となっている。
   >
   >
   > 韓国は偽証大国
   >
   > グラフによれば、2008年の「立件数」が1786人、「正式裁判回付数」が1251人とあり、
   > 仮に、後者と、日本の「年間10人前後」を10人として単純比較しても、
   > 偽証罪は121.1倍となる。
   > 仮に、韓国の人口が日本の2分の1とすれば、242.2倍。
   > あるいは、日本の40%程度とすれば、312.8倍(四捨五入)にもなる。
   > その国を観る時の1つの重要な参考要素として、犯罪件数やその内容を問う見方が
   > あろうかと思う。
   > この「偽証罪」の一点を観察しても、韓国は、まさに「偽証大国」であることが判る
   > のではないか。

 嘘を吐いても反駁されない。 いや、それ以前に、どこで犯行されたか分からない, 誰に犯行された かわからないまま進行する裁判では偽証がし放題である。 普通に偽証が咎められる裁判でさえ日本 人の数百倍も偽証がまかり通る韓国人。 そんな韓国人が幾ら偽証しても咎められない裁判で本当の 事しか言わないなどと、どうして盲目的に信用できるのか。

 たとえ加害者が日本軍関係者でなくても、被害そのものが実際に起こった事ならマダましだ。

 存在しない被害を訴えている可能性が高い ―― なにせ偽証がバレたら刑罰が伴う裁判でさえ、日 本人の数百倍も偽証しまくる韓国人が証言するんだから、裏付けが無い以上、基本的に嘘であるとい う前提で扱うべきである。


   何より日本の司法が、被害事実を明確に認定していることを一人でも多くの皆さんに
   知ってほしいと思います。

 

 既に解説済みの通り、

   日本の司法が、適切な検証を行った上で、被害事実を明確に認定

 しているわけではありません。

 証言通りの罪を日本軍関係者が起こしていないということが悪魔の証明であるが故に

   日本の司法が、検証を全く行えないまま、
   告訴状に書かれた被害をそのまま判決文に丸写ししている

 のです。

 これは、法学上の基礎概念である 「 疑わしきは被告人の利益に 」 や 「 推定無罪 」 に明白に反す る禁忌であり、法治国家に於ける裁判で出すことが許される判決文ではありません。


 ■ 判決では、被害の事実認定だけではなく、加害の事実認定もしています。

 【5】日本の加害事実を認定している判決

 多くは、1993年8月4日、政府の二次調査発表の際、
 内閣外政審議室が出した発表文(調査結果のまとめ)をほぼ全面的に引用して、
 日本軍の慰安所制度の実態事実を認定しています
 ( アジア太平洋、関釜、在日、海南島の各裁判 )。

 在日裁判(東京地裁判決・1999)で紹介します。   (高裁も地裁を引用して認定)

   第三 争いがない事実など判断の前提として認定される事実

       一 争いがない事実
         (資料に記載されていることが争いがない記載によって認められる事実を含む)

         1 昭和7年…上海事変に際して、日本軍人による強姦事件が発生したことから、
           派遣軍参謀副長であった者の発案により、その頃その地に
           創設された海軍のものにならって、醜業を目的とするいわゆる
           従軍慰安所が設置された。
            …その頃から終戦時まで、長期に、かつ広範な地域にわたり
            慰安所が設置され、数多くの従軍慰安婦が配置された。
           当時の政府部内資料によれば、…慰安所開設の理由は、
            …日本軍人が住民に対し強姦などの不法な行為を行い、
           その結果反日感情が醸成されるのを防ぐ必要性があることなどとされていた。

         2 …募集は、日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、
           斡旋業者がこれに当たることが多かったが、…業者らがあるいは甘言を弄し、
           あるいは畏怖させるなど詐欺脅迫により本人たちの意思に反して集められる
           ことが多く、さらに、官憲が直接これに加担するなどの事例もみられた。…

 

 はい。

   「(個人的な判断で勝手に行動した)官憲が家に押し入っていって
    人を人攫いの如く連れて行く」

 の一例ですね。

 これを以て、旧日本軍や日本政府を有責にするためには。

   「(個人的な判断で勝手に行動した)〜以下略

 ではなくて

   「(日本軍の軍命を受けた)官憲が家に押し入っていって
    人を人攫いの如く連れて行く 」

 であることを証明しなくてはなりません。


         3 …輸送に際し、日本軍は特別に軍属に準じて扱うなどして
           その渡航許可申請に許可を与え、また、日本国政府は身分証明書の発給を
           行うなどした。

 

 これは本頁で既に説明済みですね。

 はい、上からコピペ。

   業者が「この人は慰安婦希望だ」と言って嘘を吐いている以上、渡航許可と身分証明書を
   発行した旧日本軍や日本政府に罪はありません。
   そりゃあ、もちろん、一件の申請がある度に審査を中断して調査をすれば、
   本当は嫌々連れて来られたと分かったかも知れません。
   しかし当時は、朝鮮半島の貧困層は貧しく、日本本土でさえも東北の農村は貧しかった。
   泣いている少女を見て 「 お嬢ちゃん、もしかして慰安婦になんか成りたくないのかな? 」 と
   訊いて 「 はい 」 と答えたら何が変わるでしょう。
   その子が親元に戻される代わりに親は子を売って得た金を失います。

   そもそも親は何の為に子供を売ったのでしょう。

   某ブランドメーカーの新しい服を買う為でしょうか。
   それとも、新型のi-phoneを買う為でしょうか。

   どちらも違いますね。

   子供を売らなければならない状況ってのは、半端なく切羽詰まった状況です。

   今日の飯が食える,明日の飯も(多分)食えるって状況下で子供を売る親なんかいません。

   生活道具を食糧に換え、衣服を食料に換え、そして、最後の最後にもうどうしようもなくなって
   初めて 親は子を断腸の思いで手放すのです。

   まさしく断腸の想いで、売られた子と売った自分と自分の家族を飢え死にさせない為に、
   泣いて子を売るのです。

   それが、舞い戻って来たらどうなりますか?

   子を売って生き延びるという最後の最後の手段が奪われて、一家が冬を越せずに
   全員飢え死にするだけです。

   それが判っていたから、旧日本軍は渡航許可を発行し、
   日本政府は身分証明書発行を発行したのです。

   貧乏人は子供でも売らなきゃ生きていけない時代だったということを忘れてはいけません。


         4 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、
           日本軍が直接経営していた例もあった。
           民間業者が経営していた場合においても、日本軍がその開設に許可を与えたり、
           慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金、注意事項等を
           定めた慰安所規定を定めたりするなど、日本軍は慰安所の設置、管理に
           直接関与した。
           また、従軍慰安婦は、戦地では常時日本軍の管理下に置かれ、
           日本軍とともに行動させられ、日本軍は…定期的に軍医による従軍慰安婦の
           性病の検査を行うなどしていた。

           〔注:「慰安婦」のためというより、兵士の性病予防のため。
              また、慰安所規定の中には、外出時間・場所を限定するなど
              「慰安婦」の管理も含む。〕

 

 朝鮮人女衒に丸投げしたら、折角慰安婦に応募して下さった売春婦の皆さんがどんなに酷い扱いを 受けるか分かったものじゃないから、日本軍が関与しただけです。

 これは、そちらが防衛庁防衛研究所図書館で見つかった軍の深い関与を示す資料として嬉々として 放ったブーメランによって証明されています。

 

   万死に値する朝日・慰安婦報道 (その2)
   http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/ianfu/ianfu-asahi-2.html
   > (1) 「軍関与」とは具体的に何なのか
   >
   > 見された「資料」には何が書いてあったのでしょうか。
   > また、見出しにいう「軍関与」というのは何を指し、「強制連行」の存在を公的に裏づける
   > 資料だったというのでしょうか。
   > 朝日新聞  記事によると、吉見 義明教授(日本現代史)が
   > 防衛研究所図書館に保管されていた「陸支密大日記」などの資料から見つけた
   > 「軍慰安所従業婦等募集に関する件」と題したものとし、以下のように報じています。
   >
   > 〈 日本国内で慰安婦を募集する際、業者などがトラブルを起こして警察ざたになるなどした
   >  ため、陸軍省兵務課が作成、派遣軍などに通達された。
   >  「募集などに当たっては、派遣軍が統制し、これに任ずる人物の選定を周到適切にし、
   >   実施に当たっては関係地方の憲兵および警察当局の連携を密にして
   >   軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮」
   >  するよう指示・・・〉
   >
   >  などと書かれ、梅津美治郎陸軍次官らの承認印が押されているとしています。
   >  また、歩兵41連隊の「陣中日誌」につづられていた北支那参謀長名の通牒の写しが
   >  見つかったとし、
   >
   > 〈 占領地域内で交通網の破壊など治安回復が進まないのは、
   >  住民に対する強姦事件などの不法行為が反日感情を高め、
   >  軍の作戦を阻害しているため、とし、「すみやかに性的慰安の整備を整え・・・」と
   >  慰安所の設置を指示している。 〉
   >
   > と写しの内容を報じています。
   >
   > これらの資料は戦後、連合軍に押収され、ワシントンで保管されていたものが
   > 1958(昭和33)年に返還され、防衛庁の戦史資料室に引き渡されたとあります。
   >
   > そして、吉見教授の「軍関与は明白 謝罪と補償を」とする談話を
   > 以下のように載せています。
   >
   > 〈 当時、軍の部隊や支隊単位で慰安婦がどれだけいたかもわかる資料で、
   >  軍が関与していたことは明々白々。
   >  元慰安婦が証言をしている段階で「関与」を否定するのは恥ずべきだろう。
   >  日韓協定で、補償の請求権はなくなったというが、
   >  国家対国家の補償と個人対国家の補償は違う。
   >  慰安婦に対しては、謝罪はもとより補償をすべきだと思う。 〉
   >
   >
   > (2) 何が証明されたのか
   >
   > では、この「新発見」で何が判明したのでしょうか。
   > もっともこれらの資料は「新発見」ではなく、研究者の間では知られていたとのことです。
   > 資料の中身を要約すれば、次のようになるでしょう。
   >
   > @ 募集などにあたって、国内で業者などがトラブルを起こし警察ざたになったことを考慮し、
   >   現地でこうしたことを防ぐために、募集の任にあたる適切な人物を選定すること。
   >   実地にあたっては憲兵、警察と緊密にし、社会問題になることのないよう配慮すること。
   >
   > A 住民に対する強姦などの不法行為を防ぐため、慰安所の設置が指示されていたこと。
   >
   > 軍にとって、「結核と性病」 は厄介あつかいで、軍の内部に持ち込んではならない病でした。
   > 今と違って抗生物質もなく、蔓延する恐れが高かったからです。
   > このため、結核は徴兵検査の際、慎重に検査され、戦争たけなわの頃でも
   > 重症と判断されれば兵役免除となりました。
   > 性病も同様に徴兵検査の対象となりましたし、兵の士気にかかわりますので、
   > 嫌われていたのです。
   > ですから、慰安婦の性病予防は軍にとって関心事ですから、
   > この面からも「慰安所」との係わり合い、つまり「軍の関与」がでてきたわけです。
   >
   > また、また募集業務にあたっては、誘拐まがいの民間悪質業者(朝鮮人女衒)を排除する
   > ために、業者の選択および指導・監督が行われました。
   > こうしないと軍の名を使い、あるいは騙って募集が行われてしまい、
   > 軍の威信が失墜するからです。
   > また、慰安所内で慰安婦が業者から金銭面で騙されたりしないよう監督してもいました。
   > こうしたことは、将兵はじめ軍の関係者にとって周知の事柄で、
   > こうした意味の「軍の関与」を否定する人など1人もいないはずです。
   > もちろん慰安婦、慰安所の存在もです。
   > ですから吉見教授がいう
   >
   > 〈 「関与」を否定するのは恥ずべき行為 〉
   >
   > は、「強制連行」に日本が「関与」したことの証明がないかぎり、言えることではありません。
   > 新発見されたという資料には、「強制連行」を裏づけるものはなかったのですから。

 軍の深い関与と云う物は、「慰安婦の身の安全と衛生を守る」という意味での「関与」です。


          5 戦線の拡大の後、敗走という混乱した状況の下で、
            日本軍がともに行動していた従軍慰安婦を現地に置き去りにした事例も
            あった。

 

 これは、「入門編 - 6 戦後はどうした? を斬る」で解説済みですね。

 このページの一番下に在る [ BACK ] をクリックして「 webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」 ――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る」のメニューへ移動して頂き、メニューの中から「入門編 - 6  戦後はどうした? を斬る」をご覧ください。

 簡単に要約しておきますと、そもそも現地から祖国に帰ることが困難を極めたのは自称従軍慰安婦 の婆サマだけではありません。 条約を破って侵攻した鬼畜ロシア軍によって、旧満州地区や千島を 含む樺太に居た多くの日本人民間人が戦火に巻き込まれて命を落としました。 慰安婦だけが置き去 りにされたのではありません。 軍人も民間人も、大勢の人が艱難辛苦の末に帰郷したのです。
 また、「入門編 - 6  戦後はどうした?」では、置き去りにした外国人慰安婦を日本政府が戦後に救 助しなかった事をサヨクが責めていますが、とんだお門違いです。 日本はポツダム宣言を受け入れ て、サンフランシスコ条約に基き、多くの領土を手放しました。 そのために、一時的に日本人になって いた外国人は、日本国籍を喪失して元の国籍に戻っています。 つまり、置き去り(?)にされた慰安婦 は、日本政府にとって異国にいる他国人です。 そうなった以上、慰安 婦の祖国が要請していないの に、勝手に救出するなんて出来ません。  それは内政干渉です。


 政府自らの調査、それに基いた司法の事実認定を無視した議論は、どういう根拠でもって、
 国に責任がないと言えるのでしょうか。

 

 どういう根拠も何も、事実認定に根拠がないではありませんか。

 図らずもそちらが提供して下さった、釜山「従軍慰安婦」・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟の山 口地裁下関支部での判決文が、如実に物語っています。

 

   〔慰安所の詳しい所在地や人物・部隊名特定など詳細は分からないが、〕
   ↑
   └― 本件は、どこで犯行されたか分からない,誰に犯行されたかわからない。

   いずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかった〔上に〕
   ↑
   └─ 原告は貧乏人でバカ、しかも

   高齢に達していることを考慮すると、
   ↑
   └─ ボケ老人だから

   その陳述や供述が断片的であり、
   ↑
   └─ 供述内容が支離滅裂だったり

   視野の狭い、ごく身近なことに限られてくるのもいたし方ないというべきであって、
   ↑
   └─ 訊いている事にまともに答えられないのも仕方がない

   その具体性の乏しさのゆえに、陳述や供述の信用性が傷つくものではない。
   ↑
   └─ 抽象的で的を射ない内容でも盲目的に信用するしかない。

   かえって、…原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、
   ↑
   └─ 原告の婆共は、慰安婦であったことを恥として、隠し続けて来た

   本訴にいたって初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、
   ↑
   └─ それを今になって明らかにしたというのは(きっと)断腸の想いであったに違いない

   本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消し難い原体験に
   属するものとして、
   ↑
   └─ 辛いだろうに無理して話したんだから

   その信用性は高いと評価され、
   ↑
   └─ きっと真実に違いない。

   反証の全くない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。
   ↑
   └─ 本件は、どこで犯行されたか分からない,誰に犯行されたかわからないので、
       どんな出鱈目な判決を下しても「異議あり!」と反駁できない。
       よって本件は真実である。

 こんなものが政府自らの調査、それに基いた司法の事実認定に見えるなら、病院へ行って脳の検査 を受けるべきです。 明らかに異常です。


 ■ こうした事実認定に基き、一部勝訴の判決や付言を付けた判決があります。

 【6】一部勝訴判決、立法的・行政的解決が望ましいという付言を付けた判決

 (1) 関釜裁判・下関判決は、
    「 極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白 」
    「 いわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害 」
    で
    「 損害を放置することもまた新たに人権侵害を引き起こす 」
    とし、原告に立法不作為に基く精神的損害賠償を認めた勝訴の判決を導きました。
    ( 将来の立法により被害回復があることを考慮し各30万とした )

 

   〔慰安所の詳しい所在地や人物・部隊名特定など詳細は分からないが、〕
   ↑
   └― 本件は、どこで犯行されたか分からない,誰に犯行されたかわからない。

   いずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかった〔上に〕
   ↑
   └─ 原告は貧乏人でバカ、しかも

   高齢に達していることを考慮すると、
   ↑
   └─ ボケ老人だから

   その陳述や供述が断片的であり、
   ↑
   └─ 供述内容が支離滅裂だったり

   視野の狭い、ごく身近なことに限られてくるのもいたし方ないというべきであって、
   ↑
   └─ 訊いている事にまともに答えられないのも仕方がない

   その具体性の乏しさのゆえに、陳述や供述の信用性が傷つくものではない。
   ↑
   └─ 抽象的で的を射ない内容でも盲目的に信用するしかない。

   かえって、…原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、
   ↑
   └─ 原告の婆共は、慰安婦であったことを恥として、隠し続けて来た

   本訴にいたって初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、
   ↑
   └─ それを今になって明らかにしたというのは(きっと)断腸の想いであったに違いない

   本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消し難い原体験に
   属するものとして、
   ↑
   └─ 辛いだろうに無理して話したんだから

   その信用性は高いと評価され、
   ↑
   └─ きっと真実に違いない。

   反証の全くない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。
   ↑
   └─ 本件は、どこで犯行されたか分からない,誰に犯行されたかわからないので、
       どんな出鱈目な判決を下しても「異議あり!」と反駁できない。
       よって本件は真実である。

 なのに、

    「 極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白 」
    「 いわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害 」

 ってどんな脳内被害妄想だよ。

 正直言って「クスッ」と笑っちまったわ。

 それに

 >   「 損害を放置することもまた新たに人権侵害を引き起こす 」
 >   とし、原告に立法不作為に基く精神的損害賠償を認めた勝訴の判決を導きました。
 >   ( 将来の立法により被害回復があることを考慮し各30万とした )

 ってのは、1998年4月27日 山口地裁下関支部での一部勝訴だろう。

 そんな“地裁のキチガイ判決”は、2001年3月29日に広島高裁で全面敗訴 → 2003年3月25日に最高 裁で上告棄却・不受理決定で霧散したじゃないか。

 あたかも、最終判決に於いて、告訴人一人あたり賠償金30万円の支払い命令が決まったかの様な 書き方をするな。

 悪質な嘘はヤメロ。


 (2) 山西省裁判・東京地裁判決も、
    「 著しく常軌を逸した卑劣な蛮行 」
    と述べ、損額賠償請求自体は棄却しましたが、
    「( 過去形の判断である司法による救済は不可能だが )
     現在も原告らの心の奥深くに消え去ることのない痕跡として残り続けると思うと、
     …その損害の救済のために、改めて立法的・行政的措置を講ずることは
     十分に可能であると思われる」、
    「 被害者らに直接、間接に何らかの慰藉をもたらす方向で解決されることが
     望まれることを当裁判所として付言せざるを得ない 」
    と付言しています。

 これらには、甚大な人権侵害の被害事実に直面しての裁判官の良心がうかがえます。

 

 何処でやられたか分からない,誰にやられたか分からない,被害の痕跡が残っていない,原告以外 に目撃者が居ない、というないない尽くしで検証不可能な被害報告を事実認定するのは、法の精神に 反したキチガイでしかありません。

 大昔の話であり、地裁の段階に於いて既に最高裁で上告棄却・不受理決定となることが分かってい て、地裁も高裁も請求棄却する前提での“事実認定”だから何の問題も起こらずに済んでいますが、こ んな判断が通常の民法裁判で下されたとしたら、大問題になります。

 法の精神に後ろ足で砂を掛けて唾を吐く行為であることを忘れてはなりません。

 ないない尽くしで検証不可能な被害報告は 「 疑わしきは被告人の利益に 」 と 「 推定無罪 」 の原則 に従って処理されるべきです。

 そうでなければ、一人の被害妄想患者が世界中の人間をあるとあらゆる罪状で有責にすることが叶 います。 そんなことが許されて良い道理がありません。


 ■以上、結論として、

 1、「“文書”がないから事実(被害)を証明できない」ということは間違いであり、
   日本の司法が、“証言”を証拠調べなど吟味して、狭義の強制連行をはじめ、
   この問題にとってより本質的な慰安所での強制という被害事実を明確に認定しています。

 

 では問う。

 日本の司法が如何なる方法・手段を用いて“証言”を吟味したのか示せ。

 奇しくもそちらが示した判決文がコレだ。

 >    〔慰安所の詳しい所在地や人物・部隊名特定など詳細は分からないが、〕
 >    いずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかった〔上に〕
 >    高齢に達していることを考慮すると、その陳述や供述が断片的であり、
 >    視野の狭い、ごく身近なことに限られてくるのもいたし方ないというべきであって、
 >    その具体性の乏しさのゆえに、陳述や供述の信用性が傷つくものではない。
 >    かえって、…原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、
 >    本訴にいたって初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、
 >    本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消し難い
 >    原体験に属するものとして、その信用性は高いと評価され、
 >    反証の全くない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。

 「 反証できないから事実 」 と明確に書かれている。

 これの何処が『証拠調べなど吟味』であるか。 ふざけるのも大概にしろ。


 2、さらに、慰安所制度についての日本軍の責任についても、
   政府調査の“文書”によって事実認定しています(これは国側も「争いがない」)。
   政府調査以外にも長年、研究者の調査も重ねられ、慰安所制度に関し
   日本軍・政府の責任は明白です。

   ( 陸軍経理学校で慰安所開設要綱を教えていたこと等枚挙に暇がありません )、
   「慰安婦」は(仕方なくであっても)自発的に行った「売春婦」であるといった
   右派の言説に対しては、政府自らが公的に厳しく反駁すべきです。

 

 2013年10月末現在に於いて、慰安所に旧日本軍や日本政府が関与していたとする物証が数多存在 するが、その全てが『善き関与』を示す物である。

 旧日本軍や日本政府が嫌がる婦女子に慰安婦としての業務を強いたという根拠を示せ。

 被害妄想の患者であれば、世界中の人間を有罪にしてしまうような裏付けのない“証言”に意味は無 い。 れっきとした根拠を、右派が「ぐぬぬ」と言葉に詰まるような根拠を示せ。

 できないなら、その妄言を止めろ。


 3、従って「河野談話」の見直しは許されないことです。
   前安倍内閣自体が「河野談話」を継承すると断言し、各内閣が踏襲し、
   国際的に日本の公式見解となっています。
   これまでも国連の人権理事会(前身の人権委員会も)、
   各人権条約委員会(社会権規約委員会・自由権規約委員会、女性差別撤廃委員会、
   拷問禁止委員会)、ILO等々からも解決が何度も勧告されています。
   そうした中、見直しを強行すれば、2013年春、安倍政権に対して
   英米等から厳しく批判されたように、人権感覚の欠けた不名誉な国家として、
   アジアはもとより国際社会から孤立するに違いありません。

 

 だから、そちらがそのwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』を開設した時点で、河野談話は 「 強制連行に日本軍が関与したという事実はない 」 とセットで 「  日本の所為で強制があってゴメンね 」 というある意味、ワケのわからん代物であったが、平成25年10 月16日に産経新聞がスッパ抜いた記事によって、河野談話そのものが捏造であったと確定している。

 はい、もう一度。

 

 ( 2ちゃんねるまとめブログに見る 河野談話の崩壊 より )

   2013/10/16 Hyper News 2ch
   【政治】元慰安婦報告書、韓国でのずさん調査浮き彫り
   …慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧、「河野談話」の根拠崩れる(産経)
   http://hypernews.2chblog.jp/archives/51557449.html
   > 産経新聞は
   > 15日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の
   > 根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手した。
   > 証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、
   > 氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だった。
   > 軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、
   > 決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったと判明したことで、
   > 河野談話の正当性は根底から崩れたといえる。
   > 産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった。
   >
   > 5年7月26日から30日までの5日間、ソウルで実施した聞き取り調査に関しては
   > 9年、当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で
   > 「 (強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった 」
   > と証言している。
   > ところが政府は、この調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかった。
   >
   > 産経新聞が今回入手した報告書はA4判13枚で、調査対象の16人が慰安婦となった
   > 理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。
   > だまされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が
   > 描写されている。
   >
   > しかし、資料としての信頼性は薄い。
   > 当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず、
   > 報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人で空欄が6人いた。
   > やはり朝鮮半島で重視される出身地についても、大半の13人が不明・不詳となっている。
   >
   > 肝心の氏名に関しても、「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの、
   > 「カン」などと漢字不明のものもある。
   > また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたと
   > みられる箇所も存在する。
   >
   > 大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で
   > 働いたとの証言もある。
   > 元慰安婦が台湾中西部の地名「彰化」と話した部分を日本側が「娼家」と勘違いして
   > 報告書に記述している部分もあった。
   >
   > また、聞き取り調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。
   > 調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、
   > 訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。
   >
   > 日本側の聞き取り調査に先立ち、韓国の安秉直ソウル大教授(当時)が中心となって
   > 4年に行った元慰安婦への聞き取り調査では、連絡可能な40人余に
   > 5〜6回面会した結果、
   > 「 証言者が意図的に事実を歪(わい)曲(きょく)していると思われるケース 」 (安氏)
   > があったため、採用したのは19人だった。
   >
   > 政府の聞き取り調査は、韓国側の調査で不採用となった元慰安婦も
   > 複数対象としている可能性が高いが、政府は裏付け調査や確認作業は一切行っていない。
   >
   > 談話作成に関わった事務方トップの石原信雄元官房副長官は産経新聞の取材に対し
   > 「 私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、
   >  談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信憑性を疑わせるとなると
   >  大変な問題だ。 人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる 」
   > と語った。
   >
   >
   > ■ 河野談話
   > 平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に
   > 心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。
   > 慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が
   > 国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、
   > 「 官憲等が直接これに加担したこともあった 」
   > 「 募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた 」
   > などと強制性を認定した。 閣議決定はされていない。 
   >
   > (終わり)
   >
   >
   > ソース(MSN産経ニュース、政治面)
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101608380010-n1.htm ( 魚拓 )
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101608380010-n2.htm ( 魚拓 )


   2013年10月16日 まとめたニュース
   【何これw】 従軍慰安婦の存在は、韓国から「信頼して下さい」と言われたから信じた
           騙された思いだ
   http://matometanews.com/archives/1647399.html
   > 「韓国を信頼し『公正・冷静に語れる人を』と言い韓国は約束した」 石原元官房副長官
   >
   > 河野談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官は
   > 15日までに、産経新聞のインタビューに次のように語った。
   >
   > −−聞き取り調査結果を見ると生年月日や氏名、出身地の明記がない者が多い
   >
   > 「 証言者の身元がかなりあやふやという印象を持ったわけですね。
   >  (身元は)証言内容を判断する上で非常に重要な要素だ 」
   >
   > −−16人の中には、安秉直ソウル大教授(当時)らの調査で信頼性が低いとされ、
   >    韓国側の証言集から省かれた人が含まれているようだ
   >
   > 「 信用できない人について日本政府が聞き取りしたと? 」
   >
   > −−日本の複数の新聞や韓国側の調査に対し、
   >    それぞれ異なる証言をした人も含まれている
   >
   > 「 うーん。 そういう話になると、基本がおかしくなる。
   >  もともとの証言の信憑性が揺らいでくる 」
   >
   > −−そういうことになる
   >
   > 「 証言者の人選は韓国側が行った。
   >  私たちは韓国側を信頼し
   >  『反日運動をやっておらず、公正・冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ』
   >  と言い、韓国側がそれを約束したから調査に行った。
   >  その根っこが揺らぐと何をか言わんやだ
   >
   > −−対日裁判を起こした当事者も5人含まれる
   >
   > 「 反日運動に関わっている人は外してくれと言い、韓国側はそうします、と言っていた 」
   >
   > −−石原さんら日本側の理解はそうでも、現実は違っていた可能性が高い
   >
   > 「 残念ながら、当時の状況では身元調べというか、裏打ちするまで能力がなかった。
   >  だから信頼関係でやったわけだ、あくまで。 その信頼が崩れるとなると何をか言わんやだ
   >
   >
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101610180011-n1.htm ( 魚拓 )


   2013年10月17日 気になったニュース(`・ω・´)
   【元慰安婦報告書】韓国に配慮、まず強制ありき 「事実より外交」のツケ重く
   http://kininatta2chmatome.doorblog.jp/archives/7365894.html
   > 河野談話の根拠となった元慰安婦への政府聞き取り調査のずさんさが
   > 産経新聞が入手した資料で浮き彫りになった。
   > 談話はその後も独り歩きし、国際社会での日本の立場を大きく傷つけ続けている。
   >
   > (阿比留瑠比)
   >
   > 「 当時、日韓関係を考えて、ポイントは(慰安婦募集の)強制性を認めるかの一点だけ
   >  だった。
   >  それを、元慰安婦の聞き取り調査内容を担当官から聞いた心証として認めたわけだ 」
   >
   > 石原信雄元官房副長官は今回、河野談話作成時の宮沢喜一内閣の事情を振り返った。
   > 石原氏は平成19年の民主党の会合では、
   > 「 事実判断ではなく、政治判断だった 」
   > と証言しており、 当時の政府首脳らのあやふやな「心証」が
   > 今も日本の足を引っ張っている。
   >
   > この頃、韓国側は元慰安婦の名誉回復に非常にこだわっていた。
   > そのため、日本政府に「強制」を認めるよう強く求めていた。
   >
   > 「 強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった 」
   >
   > 石原氏は産経新聞の17年のインタビューで、当時の政府の見通しをこう明かしている。
   > ところが、政府が国内外、関係省庁に公文書館と
   > 「 八方手を尽くして調べた 」 (石原氏)
   > にもかかわらず、
   > 証拠文書も日本側の証言も見つからない。
   >
   > 物的証拠を発見できなかった政府は、5年3月23日には、
   > わざわざ「強制」の定義を広げる国会答弁までしている。
   > 談話作成に関与した当時の谷野作太郎内閣外政審議室長は、
   > 参院予算委員会でこう述べた。
   >
   > 「 単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて
   >  本人の意思に反してある種の行為をさせた場合も含む 」
   >
   > 同じ頃、政府首脳も
   > 「 精神的苦痛、心理的なものも含めて強制とする 」
   > という見解を示した。
   > 石原氏は今回、
   > 「 かなり広げた。 宮沢首相や河野洋平官房長官は、日韓関係を将来良くしようと考えたら、
   >  彼らの言い分をある程度もう認めざるを得ないという気持ちがあった 」
   > と振り返る。
   >
   >
   > このようにして、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話の下準備を進め、
   > その上で臨んだのが、韓国側の要請と人選による元慰安婦の聞き取り調査だった。
   >
   > ただ、実際には調査は元慰安婦一人当たり3時間程度で、
   > 通訳や質問者が話す時間を考えると、証言時間は短い駆け足調査だった。
   > そして、この「形式的な調査」(現在の政府関係者)のわずか5日後、
   > 河野談話は発表された。
   >
   > 苦心惨憺して韓国のために強制性を認めた結果、日韓関係は逆に悪化した。
   >
   >
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101614160015-n1.htm


   2013/10/18 政経ch
   【慰安婦問題】 産経新聞「大スクープ」・・・橋下市長は評価、韓国マスコミは反発
   http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-10929.html
   > 産経新聞が2013年10月16日付朝刊で、特大の「スクープ」記事を発表した。
   > 「河野談話」(1993年)の根拠となった日本政府による元慰安婦女性への聞き取り調査が、
   > ひどく「ずさん」なものだったと指摘したのだ。
   >
   > 「河野談話の正当性は根底から崩れた」と産経は高らかに主張する。
   > 橋下徹大阪市長ら一部政治家からは拍手が上がるが、他紙はほぼ黙殺、
   > 閣僚たちも事実上「ノーコメント」だ。
   >
   > 記事は計4面にわたって掲載され、文字数は1万を超える超特大記事だ。
   > 産経新聞の力の入れぶりがうかがえる。
   >
   > 以前から聞き取りの「証拠能力」を疑問視する声は少なからずあった。
   > そもそも調査を行う以前から、
   > 「 証言の『信憑性』の問題が生じる 」(朝日、93年3月24日朝刊)
   > として、政府は実施そのものに難色を示していた。
   > 河野洋平氏自身、「 証言には間違いがある 」 との指摘が当時からあったことを認めている。
   > 今回の報道は、こうした指摘を新出資料から「蒸し返した」形だ。
   >
   > 各界の反応は分かれた。
   > 菅義偉官房長官の16日会見では、産経記者からたびたび質問が飛んだが、
   > 菅官房長官は談話を引き継ぐ立場を繰り返すとともに、談話の根拠について、
   > 「 当時日本政府としては、政府文書の包括的調査や韓国で実施した聞き取り調査などを
   >  行ったものと、そうしたことについては承知しています 」
   > との認識を示した。
   > 産経の「聞き取りのみが河野談話の根拠」という主張に釘を刺した格好だ。
   > 岸田文雄外相も18日、同様の見解を述べている。
   >
   > 一方、かつて「慰安婦発言」で論争を呼んだ橋下市長は、
   > 「 きちっとあのような事実は報じてもらいたい 」
   > を評価し、各社による積極的報道を促した。
   > 自民の高市早苗政調会長も、産経の取材に「大変残念だ」などと「ずさんな調査」を
   > 批判したという。
   > 維新の中山成彬衆院議員は記事への賛同をツイッターでつぶやき、
   > 河野氏に対し「釈明」を求めた。
   >
   > 産経記事では新聞各紙のこれまでの慰安婦報道も「検証」、
   > 産経のみが一貫して「正しい」報道をしてきたと主張し、
   > 特に朝日新聞などに対しては「誤報」で誤解を広めたとして批判している。
   >
   > しかし産経の報道を、各紙はほぼ黙殺している。
   > わずかに毎日新聞が、前述の菅官房長官会見に触れたのみだ。
   >
   > 逆に韓国紙は
   > 「 河野談話を無力化しようと攻勢 」(朝鮮日報)、
   > 「 日本右翼言論が大々的に報道 」(京郷新聞)
   > などとこぞって大きく取り上げている。
   >
   > このうち左派系紙「ハンギョレ」は、報道の内容を「詭弁」とした上で、
   > 報告書の「曖昧さ」については、
   > 「 当時の朝鮮人女性は9割が文盲であり、
   >  こうした高齢女性に何十年も前の経験を聞くということの『限界』と見るべきだろう 」
   > と擁護した。
   >
   > 産経新聞は、こうした反応も盛んに取り上げるなど、
   > 連日「慰安婦キャンペーン」を続けている。
   >
   > (抜粋)
   >
   >
   > http://www.j-cast.com/2013/10/18186655.html?p=2


   2013年10月18日 保守速報
   【韓国最高学府】安秉直・ソウル大学名誉教授
   「 調べた限り、日本軍が女性を強制動員して慰安婦にした客観的資料はない! 」
   ついにキタ━━━(゚∀゚)━━━!!
   http://www.hoshusokuhou.com/archives/33224767.html
   > 本来なら河野談話の主役である河野洋平元官房長官に直接問いただしたいところだ。
   > だが、残念ながら産経新聞の取材は受けてもらえないので、河野氏の言葉を他媒体から
   > 引用したい。
   >
   >  「 日本政府調査団の慎重姿勢に徐々に心を開いた16人が当時、
   >   『出所や中身は公表しない』との約束で口を開いてくれた 」
   >  ( 平成20年10月8日付読売新聞 )
   >
   > 河野氏は聞き取り調査内容を公表しない理由についてこう主張するが、
   > 実際には日本での慰安婦賠償訴訟の原告が5人いる。
   > 日本の新聞のインタビューを受けて連載記事で取り上げられた人も、
   > 安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大教授(当時)ら韓国側が行った聞き取り調査に応じ、
   > 元慰安婦の「証言集」に収録されている人もいた。
   >
   > つまり、日本政府が内容を秘匿することにあまり意味はないのである。
   > また、河野談話作成にかかわった当時の政府高官は
   > 今回、産経新聞に河野氏の主張と矛盾することを語った。
   > 「 私は公開してもいいと言ったが、河野さんが 『 絶対だめだ 』 と反対した 」
   >
   > どちらの言い分が本当かはまだ「藪(やぶ)の中」だが、いずれにしても河野氏の発言は
   > 情緒的すぎる。
   > 河野氏は月刊誌「世界」の昨年10月号のインタビューではこんな言い方をしている。
   >
   > 「 日本政府の調査に対し、当事者の方々がその辛(つら)い体験を話してくださったのは、
   >  こちらの姿勢への信頼が生まれて初めて語ってくださったのです。
   >  『 証拠がない 』 という批判は、その信頼を裏切るものだ 」
   >
   > とはいえ、実際の調査は1人当たりわずか約3時間程度で、
   > それも通訳を介してのやりとりである。
   > 安氏ら韓国側の調査のように、5、6回面会してじっくり話を聞いたわけではない。
   >
   > また、河野氏は当事者の信頼を裏切るなというが、およそ論理的ではない。
   > まるで、元慰安婦の証言はすべて丸ごと信じるべきだと言わんばかりで、
   > そこには事実関係の追究・解明という視点も、国益という観点も見あたらない。
   >
   > 一方、福井県立大の島田洋一教授が19年3月にソウルで安氏と会った際、
   > 安氏はこう語ったという。
   >
   > 「 私も元慰安婦の聞き取りも含め詳しく調査したことがあるが、
   >  調べた限り、日本軍が女性を強制動員して慰安婦にした客観的資料はない。
   >  研究者として証拠といえる証言もなかった 」
   >
   > (抜粋)
   >
   >
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131017/plc13101712140014-n1.htm


   2013年10月25日 何でもありんす
   【慰安婦問題】 聞き取り調査には「韓国の民間団体の強い要望」で、
            福島瑞穂・社民党前党首が同席していた
   http://milfled.seesaa.net/article/378459593.html
   > ■ 公正、真実、信頼…どこまでも怪しい河野談話(MSN産経)
   >
   > 引用ここから〜〜〜〜〜〜〜〜
   >
   > 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野談話の根拠となった、韓国での
   > 元慰安婦16人の聞き取り調査の実態について、改めて考えてみたい。
   >
   > 「 バイアスのかかった人たち、反日運動をやっている人から聞いたのでは、
   >  初めから参考にならない。
   >  そうではなくて、真実を語れるような状況のもとで公正な、
   >  真実を語ってくれる人を選んでくれと韓国側に言った。 韓国側も同意した 」
   >
   > 河野談話作成に事務方のトップとしてかかわった石原信雄元官房副長官は
   > 今回、産経新聞のインタビューでこう繰り返した。
   >
   > その考え自体に異論はないが、肝心なのは実態はどうかだ。
   > 石原氏は韓国側を 「 信頼していた 」 と振り返ったが、聞き取り調査が
   > そんな公正性が担保されるような環境下になかったことは明々白々なのである。
   >
   > もともと聞き取り調査は、慰安婦募集の強制性を示す物的証拠が一切見つからない中で
   > 「 向こう(韓国政府)が 『 当事者の意見を聞いてくれ 』 と言ってきた 」(石原氏)
   > という。
   > だが、実際に調査が実施された場所は韓国政府の公館でも何でもなく、
   > 太平洋戦争犠牲者遺族会という民間団体の事務所だった。
   >
   > そしてこの遺族会とは当時、日本政府を相手に慰安婦賠償訴訟を起こしていた
   > いわくつきの団体である。
   > そもそも慰安婦問題に火がついた一つのきっかけは、
   > 朝日新聞が3年8月に 「 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く 」 と報じたことだ。
   > 記事は 「 女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に連行 」 などと事実に反した内容だったが、
   > これを書いた記者の義母が幹部を務めていたのが、この遺族会というのも因縁めいている。
   >
   > また、聞き取り調査には「韓国の民間団体の強い要望」(5年7月29日付朝日)で、
   > オブザーバーとして福島瑞穂弁護士(社民党前党首)が同席していた点もしっくりこない。
   >
   > 福島氏は当時、遺族会による賠償訴訟の原告側弁護士であり、
   > さらに、聞き取り調査対象16人中の5人までもがこの訴訟の原告なのである。
   > こうなると、石原氏の言う「公正」「真実」などむなしい限りで、むしろ一定の政治的意図を
   > 感じない方が不自然だろう。
   >
   > 付け加えれば、遺族会は後に詐欺の疑いで警察に摘発された。
   > 日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府から補償金を受け取ってやるとして
   > 弁護士費用名目などでカネをだまし取っていたという理由だ。
   >
   > 福島氏は前述の5年の朝日記事の中で、日本政府の調査団が聞き取り調査の冒頭、
   > 元慰安婦に 「 日本は、やってはいけないことをした 」 と必ず謝罪したとのエピソードを
   > 明かしている。 何のことはない、日本側は話を聞く前から結論を決めていたのではないか。
   >
   > ちなみに政府は聞き取り調査内容を非公開としているが、
   > 当時の新聞には調査に応じた複数の元慰安婦の名前が堂々と掲載されている。
   > 今さらプライバシー保護でもあるまい。 河野談話は、どこまでもうさんくさい。
   >
   > (政治部編集委員)
   >
   > 〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで

 すべては、愚かでお人好しな日本政府が韓国に配慮して創った嘘です。 こんなものは、溺れる者が 掴む藁にすらなりません。

 したがって、捏造を撤回するのは当然の行為であり、むしろ、捏造だと判明したのに尚も撤回しない で後生大事に懐に抱え込み続けたら、国際感覚の欠けた不名誉な国家として、アジアはもとより国際 社会から孤立するに違いない。

 一刻も速やかに撤回すべきです。

 “見直し”ではなく“撤回”。 それが主権国家日本が採る唯一無二の選択肢です。



 以上、読むだけで疲れる、書く方はもっと疲れた長文に最後の一行までお付き合い頂き誠にありがと うございました。

 まだまだ続きます。 褌の紐を締めて踏ん張りましょう。





 参考文献:

   [ 画像:2-1-6b 本 圧縮、 省略
   朴頭理さんと宋神道さんの体験証言が掲載されている本
   アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編
   『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集T 南・北・在日コリア編・上』
   明石書店、2006年
   (引用元アドレスをご参照ください)


   [ 画像:2-1-6a 本 圧縮、 省略
   『日本の司法が認定した「慰安婦」』坪川宏子・大森典子編著
   かもがわブックレット、2011年
   (引用元アドレスをご参照ください)



   [ 画像:2-1-6c 本 圧縮、 省略
   南二僕さんら山西省性暴力被害者損害賠償請求訴訟の詳細については、
   石田米子、内田知行編『黄土の村の性暴力―大娘たちの戦争は終わらない』創土社、2004年、
   を参照
   (引用元アドレスをご参照ください)


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