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よろずQ&A
【通信教育】 口語訳「基礎教育V 序章P002〜005」
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【問】 任用資格なので止む無く通信教育で大学生になったのですが、現役を離れて数十年、もはや学
術的記述の文章を理解することさえできません。
最初に学ぶべき基礎教育の文章にいきなり詰まっています。
レポートの題材が「社会問題とは何か? また社会問題との関連から社会福祉の対象としての生活
問題について述べよ」ですから、当該するページは僅か15頁だけなのです。
にも関わらず、手も足もでません。
どーにかなんないスか?
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
【答】 んじゃまぁ。
基礎教育V 序章P002〜005
1 社会福祉における対象の問題
A 所謂「対象論」について
1950年代の半ばに行われた社会福祉の本質をめぐる論議の頃から、社会福祉の本質や固有性を、
社会福祉が対象としている物から把握しようとする物として特徴付けられた理論があった
→社会福祉が対象としている物を研究して、社会福祉の本質や固有性を特徴付けようとする理論があ
ったのは、1950年断の半ばに行われた社会福祉の本質をめぐる論議の頃からである。
いわゆる「対象論」は、社会福祉の本質・固有性をその方法、とくに技術に求めた見解と対蹠的な物と
して当時提起された物であったが、この理論は社会福祉を、また固有の対象に対する支配階級の対
策として掴む物でもあったので、「政策論」と呼ばれる物とも重なり合っていた。
※対蹠的=正反対な
→その理論は「対象論」と呼ばれ、当時、社会福祉の本質と固有性を方法(とくに技術)とは正反対の
物に求めて提唱された。 その「対象論」は「政策論」呼ばれる物と重複する部分が有る。 それは社
会福祉を「支配階級が固有の対象に対する対策」として捉えているという点においてである。
したがって、「対象論」=「政策論」を系譜で位置付けるとすれば、資本主義社会での支配階級が行う
社会問題対策を、理論的・科学的に解明しようとしてきた社会政策論の展開・延長線上にあるもので、
社会福祉をも資本家階級による社会問題対策のひとつとして捉え、それを社会政策と区別する際には
対象の違いに求めるというものであった。
→資本主義社会において支配階級は社会問題対策を行う。 それを、理論的・科学的に解明しようと
するのが社会政策論である。 その社会政策論の延長にあって、社会福祉をも同様な社会問題対策
のひとつとして捉えるのが「対象論」と「政策論」である。 両者は対象の違いによって、社会福祉と社
会政策を区別する。
同じ政策論=対象論に立つ場合でも、社会福祉の固有の対象を何にするかについては、また色々な
違いがあったが、ここでは二つの例を挙げておく。
→様々な意見の中には、「政策論」=「対象論」を支持する同じような意見があっても、何が社会福祉
の固有の対象になるのかが違っていました。 ここでは代表的なふたつの例を挙げておきます。
一つは大河内一男氏の見解で、社会政策と社会事業の違いを、現役労働者とそれからの脱落層とい
う対象の違いに求めた。
→ひとつは大河内一男氏の見解です。 それは、対象者を現役労働者とするのか、それとも労働から
の脱落層とするのかの違いで、社会政策と社会事業を区別しようとする見解です。
もう一つは、この所謂大河内理論に示唆を受けながら、対象の違いを階層の違いにではなく社会問題
の違いに求めた考橋正一氏の見解である。
→もうひとつは考橋正一氏の見解です。 それは大河内一男氏の大河内理論に影響を受けた意見で
す。 しかし、大河内理論が対象の違いを階層の違いに求めたのに対し、考橋正一氏は社会問題の
違いに求めています。
この両者は、対象の捉え方では右のように異なっていたが、共に社会問題対策の中では社会政策を
基軸に置いてこれが資本主義社会においては不十分な物に成らざるを得ないので、この不十分さの
産物が社会福祉の対象であり、あるいはその不十分さを肩代わりするのが社会福祉だとしている。
いわゆる、社会福祉の補充性および代替性と言われてきた事柄である。
→資本主義社会において社会問題対策を講じる際、社会政策を基軸に置いて社会政策を施そうとして
も不十分な物にしか成りません。 そこでこの不十分さに因って生じた物が社会福祉の対象となりま
す。 これを「社会福祉の補充性」といいます。 また、その不十分さを肩代わりするのが社会福祉だと
も言えます。 こちらは「社会福祉の代替性」といいます。 大河内一男氏と考橋正一氏は、対象の捉
え方が上記のように違っています。 しかし、両者共、「社会福祉の補充性」ならびに「社会福祉の代替
性」の見解においては一致しています。
社会福祉における「対象論」は、社会福祉を資本主義社会の仕組みの中で捉え、一定の必然性を持っ
た物として解明しようとした物であり、資本主義社会に必然的な社会問題に関わらせて社会福祉の成
立のモメントを明らかにしようとした物で、資本主義社会の仕組みや社会的現実とは関わり無しに社会
福祉を規定し捉えようとした幾つかの見解とは異なっていた。そして、このような社会福祉の社会科学
的な把握の支点のひとつに対象から社会福祉を捉えようという方針があったとみて良い。
(末尾の「社会福祉の社会科学的な把握の支点」の「支点」は、「支える点」でも意味が通らない訳じゃ
ないけど、「視点」の方が適切だと思う。 誤植じゃないかな?)
→社会福祉における「対象論」は、社会福祉を資本主義社会の仕組みの中で捉えることに拠り、一定
の必然性を持った物として解明しようとしました。 それは社会福祉が何故成立したのか?を、資本主
義社会で必然的に発生する社会問題に関わらせて解明しようとする物です。 それは社会福祉を、資
本主義社会の仕組みや社会的現実とは関わり無しに規定し捉えようとした幾つかの見解とは異なって
いました。 この「対象論」のように、社会福祉を対象から捉えようとする考え方が、社会福祉を科学的
に分析する手段のひとつとして論議されたと言えるでしょう。
B 対象と政策主体
社会福祉を資本主義社会の仕組みの中で捉えるという場合、対象としての社会問題を軸に据えるの
が一つであるが、もう一つは、社会政策研究会の中での重要な到達点である政策主体の概念に集中
表現されたようなモメントがあると思う。
→資本主義社会の仕組みの中で社会福祉を捉えようとした場合、ふたつの考え方があります。 ひと
つは対象となる社会問題を軸に据えて捉える考え方です。 もうひとつは以下に説明する「政策主体の
概念」を軸に据えて捉える考え方です(なお、この「政策主体の概念」は社会政策研の中での重要な到
達点でもあります)。
(↑「もうひとつは〜考え方です」は意訳です)
政策主体の概念は、資本主義社会で行われる社会問題対策が、いわば真空地帯で掛け値無しに行
われるのではなく、社会問題対策を行う資本主義国家の利害や狙いを反映した物にされるという点を
指摘した概念である。
→「政策主体の概念」とは、資本主義社会で行われる社会問題対策が、対象となり得る全てに対して
無制限・無選別に行われるのではなく、国家の利害や狙いに拠って対策の内容が調整されるという点
を指摘した概念です。
つまり、社会福祉や社会政策といった物を成立させ規定している物は、社会問題とそれを無視できな
いで要求したり動いたりする人とだけでなく、政策主体=資本主義国家の利害、狙い、判断があり、む
しろこれが非常に大きなウェイトを占めるということである。
→つまり、社会福祉や社会政策といった物を成立させたり規定したりしている物は、社会問題を無視で
きないで要求したり動いたりする人と社会問題だけではありません。 政策主体、つまり資本主義国家
の利害や狙い、判断が加わっているのです。 いいえ、加わっていると言うよりもその利害や狙い、判
断こそが重要なのです。
これまでの筋道と関連させて言えば、社会福祉は対象である社会問題に拠ってだけ規定され性格付け
られるだけではなく、政策主体に拠っても規定され性格付けられる所が大きいということであり、社会福
祉の対象が政策主体を規定することはあるが、同時に政策主体が対象を規定することさえもある。
→これまで述べた「政策論」「対象論」と絡めて纏めると、社会福祉は「対象である社会問題」と「政策主
体(=資本主義国家)」によって規定され性格付けられています。 そしてそれは後者の影響の方が大
きいのです。 貧困者の存在が生活保護を生むように社会福祉の対象が政策主体を規定することが
あります。 しかしそれと同時に、貧困の程度で生活保護の供給がされたりされなかったりするように、
政策主体が対象を規定することもあるのです。
(↑以降の文章と重複してしまうのですが、勝手乍ら事例を挙げて判り易くしました)
社会福祉は、社会問題の全体を対象として対策を行うという物にはなっていない。 その理由の一つ
は、社会福祉が社会問題対策すべてを受け持つ物ではなくその中の一部を受け持つ物であることに
因っている。
→社会福祉は、社会問題の全体を対象として対策を行うという訳ではない。 その理由のひとつは、社
会福祉が社会問題対策の中の一部を受け持つ物だからです。
この内容については次節で取り上げる。
→この内容については次節で取り上げますので、ここでは割愛します。
ここでの問題はもう一つの理由の方であり、一の理由からすれば社会福祉の対象にされるべき社会問
題でも、政策主体の利害や狙いで対象にされないことがある。
→ここで問題になるのはもうひとつの理由です。 ひとつめの理由から判断すれば社会福祉の対象に
されて然るべき社会問題であっても、政策主体の利害に反したり狙いに合致しなければ対象から外さ
れてしまうことがあるのです。
たとえば、現在の生活保護制度は、社会問題としての貧困問題の全てを対象としている物ではなく、保
護基準以下の貧困だけを対象としている物である。
→例えば、現在の生活保護制度は、社会問題となる貧困問題の全て・・・つまり貧乏なら誰でも対象と
なるのではありません。 保護基準以下・・・つまり飢え死にしかねない貧困だけが対象になっているの
です。
そして、この保護基準は、政策主体である資本主義国家が決める仕組みになっている。
→そして、この保護基準は、政策主体である資本主義国家が決める仕組みになっています。
社会福祉の対象の中から更に選別をして現実の社会福祉の対象が創り出されており、いわば「対象
の対象化」が行われており、政策主体による「対象の創出」が行われている。
→常識から見て社会福祉の対象となって不思議のない人々の中から、特定の基準に適合した人だけ
が実際に社会福祉の対象になれるのです。 このように対象の中から対象を規定する行為を「対象の
対象化」といいます。 それは場合に拠っては、今まで対象とならなかった人たちが対象になることもあ
ります。 それは「対象の創出」といいます。 前述の保護基準に拠る選別はある意味、対象の創出が
政策主体で行われていると捉えることもできます。
このように、社会福祉にとっては、対象とともに政策主体が極めて重要な位置を占めており、社会福祉
は対象によって一元的に規定されているものではない。
→以上の通り、社会福祉にとって、対象のみならず、政策主体が大きな影響力を発揮します。 つまり
社会福祉は対象が存在するだけで規定される物ではないのです。
ところで、社会福祉を規定し、「対象の対象化」を行う政策主体のイニシアチーブの中身はどのような
物であろうか。
(細かいようだけどinitiativeって「チーヴ」とは発音しないと思う。 「ティヴ」じゃないかな?)
→では、政策主体は何を持って社会福祉を規定し、対象の中から特定の対象のみを選別するのでしょ
うか?
これは二つの類型に分けられるように思う。ひとつは政治的な物であって、社会福祉が取り扱う社会問
題の中で社会運動に成りまたは成る可能性があって、支配体制を不安定にし動揺させる物に成ってい
る為にこれを安定化させる狙いの物や、社会福祉を通して多くの人達を影響下に収め政治的に組織
化して支配体制を打ち固める狙いの物が含まれる。
→これは大きくふたつに分けることができます。 ひとつは政治的な物です。 対象に福祉を行わなか
った場合に、社会運動(デモやハンスト、ビラ撒き、行政訴訟などの類)に成りそうな雰囲気があると、
社会運動の所為で支配体制が不安定になったり動揺したりしかねないので、その対策としてその対象
に福祉を行います。 また、支配体制を堅実な物にする為、社会福祉を使って多くの人々を洗脳し(例
えば、社会福祉が充実しているこの国は素晴らしいと思わせるなど)、政治的な組織を結成するように
仕向けたりします。
もう一つは、言わば生産力的な物であって、労働力政策上または経済政策上の効果やその補完を狙
う物で、労働力流動化政策における失対打ち切りに対応した生活保護行政や保健・福祉計画による標
準的な質の労働力の確保や企業内福利厚生制度に託している物などがその例である。
(ところで「失対」ってどういう意味でしょうか? 辞書にも載っていないんですけど。 「失態」の誤植か
な? それとも「失業対策」の略? 後に続く文章から判断する限り「失業対策」の略クサイのです
が・・・)
→もうひとつは生産力的な物です。 労働力政策(労働力をどう調整するのかの政策)や経済政策にお
いて効果や足りない部分を補おうとする物です。 例えば、労働者の就労先を産業の変化に対応させ
ようとして生じてしまった失業者に対し、対策が打ち切られた際に生活保護を供給する為の行政がそう
です。 他にも、保健や福祉計画によって、労働者の健康状態・生活レベルを最低限標準レベルに維
持したり、政府が企業内にある福利厚生制度に託している物などもそうです。
政策主体のイニシアチーヴというのは、政治的および経済的に支配体制を安定化させようとするもの
である。 したがって、これを国民の福祉要求や運動との関連でみると、国民の福祉要求や運動は、
通例、政策主体の所で大きくモデファイされて政策主体のイニシアチーヴに組み込まれ得る物だけが
現実の社会福祉になるという面がある。
→政治的な支配体制と経済的な支配体制を安定化させる目的で、政策主体の主導権が存在します。
したがって、国民が福祉を要求し其の為の運動をしたとしても、それがそのまま現実の社会福祉にな
る訳ではなく、要求は政策主体によって(政府に)都合の良いように変更された後に現実の社会福祉と
して実現するのです。
しかし、運動が組織的で強力であるような時には、時に政策主体のイニシアチーヴを打ち破ったりその
枠を食み出したりする社会福祉(したがって国民の為に成る)も実現化されることもある。
→ しかし、国民の福祉を要求する運動(活動)が強力な組織によって行われている場合などでは、政
策主体の主導権を打ち破ったり、政策主体が許容する内容以上の社会福祉が実現することもありま
す。
そして、民主主義の力が社会で強まれば強まる程、政策主体のイニシアチーヴを発揮するのにも国民
の福祉としての実効性をもっていないとできないということになって行く。
→という訳で、民主主義の力が社会で強まるにつれて、本当に役立つ社会福祉を実現する為でない限
り、政策主体の主導権が取れなくなってしまうのです。
政策主体のイニシアチーヴを抑制して実効性を持った国民の福祉にして行く原動力は民主主義の力
である。
→民主主義の力が、政策主体の主導権を抑制し、国民の福祉を本当に役立つ物へ変えていく原動力
になるのです。
以上の検討から、社会福祉を捉えるのに、対象である社会問題だけを基礎に据えるのでは不十分で
あることが分かる。
→ここまでの話から、対象となる社会問題だけを念頭に置いて、社会福祉を議論することはできないこ
とが分かります。
少なくとも、政策主体と民主主義の力(様々な運動のモメントを含む)を取り入れて三者の相互関連と
ダイナミズムで捉えて行くことが、社会福祉の現実を捉える上で必要だということになる。
(今更ですがこの論文の著者って、外来語の使い方が明治初期のハイカラさんみたいですね(笑)。
「ダイナミズム」って「力強さ」でしょ。 それじゃ意味不明ですよ。 哲学用語でいう「ダイナミズム」は
「自然力の作用に因りあらゆる自然現象が起こる」という考え方ですが、それじゃ尚更意味不明です。
まぁ、ニュアンス的に理解できなくもないのですが、学生がレポートや卒業論文でこんな横文字の使
い方したら減点されると思います)
→社会福祉の現実を捉えようと思ったら、最低限、「社会福祉」と「政策主体」、そして様々な運動や活
動の要素を含んだ「民主主義の力」の三者を俎上に上げて、相互関連と力関係に関して分析する必要
があります。
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