更新の際に構造を変える事があります。 構造を変えるとアドレスが一から再配分されますので
ブックマーク等でお気に入りのページに飛んだ際に、目的と違うページが表示されることがあります。
その場合は画面一番下の [ TOP ] からトップページへ移動して、トップページから
目的のページへ移動してください。 お手数ですがよろしくお願いいたします。


webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る



サヨクの嘘を暴け!は移動しました。 


さすがに、『〜従軍慰安婦編〜』が重過ぎるのか
編集中に「メモリが足りません」というエラーが出て
凍るようになってしまいました。           .
このままでは更新に支障をきたしますので、  .
やむを得ず『サヨクの嘘を暴け!』を切り離します。

新しいアドレスはコチラになります。

http://keibow001.dousetsu.com/





Q&A編 - 2 慰安所における実態

 - 7 「慰安婦」は厚遇されていた?

 7 「慰安婦」は厚遇されていた?

 日本軍「慰安婦」は厚遇されていたという人たちがあげる文書に
 米戦時情報局のレポートがあります。
 これは、アメリカの戦時情報局Office of War Information(OWI)の
 Report, No.49(日本人捕虜尋問報告)1944.10.1付、のことです。
 このレポートの内容を見ながら、はたして、“厚遇”していた証拠になるものなのかどうか、
 検証してみましょう。


   [ 画像:2-1-12a 史料 省略
   (引用元アドレスをご参照ください)

   (出典)米戦時情報局Office of War Information(OWI)
   のReport, No.49(日本人捕虜尋問報告)1944.10.1付


 1 差別・奴隷制を見るときの留意点

   現在の女性の人身売買・強制売春の犠牲者の中からも、
   ごくわずかであるが成功する者は出ます
   ( たとえば大金をためて郷里に送金する者や、自らが売春宿経営者になる者など )。
   黒人奴隷制においても、成功する黒人がわずかではあるが出ました。
   歴史的に見ても、さまざまな差別・人権侵害の制度の下においても、差別される中から
   わずかな成功者が出てきます。
   しかし、その例をもって差別がなかったとは言えないですし、
   奴隷制はよかったのだと言うことはできないでしょう。
   ある制度や仕組みを正当化しようとする人は、例外的な成功例を持ち出すのですが、
   それにごまかされないような社会の見方が大切です。

 

 では、大金を貯めて郷里に送金する者や、自らが売春宿経営者になる者が紛う事なく、人身売買に よって慰安婦となり、本人は最後の最後まで職業売春婦に染まる事なく、常に嫌々売春をしていたとい う証拠を出しなさい。

 そちらが示せているのは、「 慰安婦になった女性の中に本意ではない売春をしていた人が居た“可 能性がある” 」 だけです。

 ただでさえ全体の数からみて圧倒的に少数派だった被人身売買&被強制売春の被害者が都合良く 大金を貯めて郷里に送金したり、自らが売春宿経営者になったりする“極僅かな成功者”になる理由を 示しなさい。

 貴方の主張は完全に妄想です。


 2 OWIレポートを読むときの注意―レポートの作成のされ方の問題

   ここでは朝鮮人慰安婦20名と日本人の業者2名が捕まり、
   かれらが尋問を受けているのですが、尋問担当者は日本語のできるスタッフです。
   業者は自分たちの行動を正当化しようとする傾向が働いているでしょうし、
   尋問担当者は日本語のスタッフであり、朝鮮語はまず理解できなかったでしょう。
   ですから当然、日本語のできる業者の言い分が強く入っていると見られます。

 

 > Report, No.49(日本人捕虜尋問報告)1944.10.1付 ・・・ すなわち終戦以前です。

 

   日本と愉快な仲間たち
   従軍慰安婦問題の真実!米国報告書で潔白が証明されました
   http://japanandworld.net/archives/683
   《前略》
   >
   > 特筆すべきは、この報告書は1944年のもの、ということです。
   >
   > 日米は激しい戦争真っ只中です。
   > お互い、相手の不利になることなら、何でもやってやろう、という気持ちのはずです。
   >
   > つまり、
   > 「 朝鮮人女性は売春を強要されている 」 「 日本人はとても非人道的なやつらだ! 」
   > ということもできましたが、しませんでした。
   >
   > そうすると、それが、ウソになってしまうからです。

 日本に都合の良い証言が鵜呑みにされる様な状況ではありません。


 3 そうしたレポートであったとしても、よく読むと、次のようなことがわかります
   ( 「 」 の中はレポートからの引用です )。

 @ 女性たちはだまされて募集されていた。つまりうその説明がなされていたことがわかります。

   「 病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、
    そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられてきた。」

   「 楽な仕事と新天地―シンガポール―における新生活という将来性 」

   「 このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、
    200−300円(a few hundred yen)の前渡金を受け取った。」

 

 そもそも常識的に考えて、家族の負債を返済し得る程に多額の報酬が「病院にいる負傷兵を見舞 う」 とか「包帯を巻いてやる」とかって楽な仕事で得られると考える方が阿呆である。

 騙される方が悪いから詐欺師は無罪、って論調に汲みするつもりはないが、十代の子供ならイザ知  らず、大の大人が騙される様な内容だろうか。

 こんなもんで騙される奴は、慰安婦に成らなくても他の ( 本物の ) 詐欺師に騙されて、「 売春婦にな った過去 」 が戯言に思える位の酷い目に遭うのが関の山だ。

 ・・・ というか、自分から望んで売春婦になった事を認めたくなくて嘘を吐いているだけだと思うが。


 A 彼女たちの大部分は、それまで売春には関わっていなかったことがわかります。

   「 大部分は売春について無知、無教育であった。」

   もちろんそれまで売春に関わっていたとしても、
   騙して連れて行ってよいということにはなりません。

 

 [ 大部分が売春について無知、無教養であった ] からといって [ 騙されて連れて来られた ] とは限り ません。

 「 売春について無知、無教養であった 」 が、さすがに居慰安婦という職業が何をするのか位は知っ ていて、それでも郷里に居る飢えた家族のために自ら望んで慰安婦になった人も居たハズです。 なに せ、当時の朝鮮半島や東北の貧困農家は、今の感覚では信じられない位に弩貧乏で、農家が不作続 きになったら過酷な工場勤めや売春宿に子供を売るしか生き残る手段が無かった時代です。 そんな 時代に破格の条件で慰安婦という名の売春婦を募集したのです。 親が売らなくても、自分の腹と家族 の腹を満たすために、自ら望んで慰安婦になろうとするのは極普通の考えです。

 

   2012年02月23日 あがさの一歩
   自らすすんで慰安婦になった女性達
   http://agasatea.seesaa.net/article/253633551.html
   > 山田清吉『武漢兵站』p100より
   >
   > 朝鮮から女をつれて帰った楼主が、まだ17,8歳に見える女の子をつれて兵站にきた。
   > 戸籍謄本を見ると16歳である。これでは営業の許可はできない。
   > 楼主は、貧しい田舎の習慣で出生届がおくれたので、実際は満18歳だという。
   > 「 馬鹿をいうな。 年の足りない者に商売がさせられるか 」
   > とはねつけておいた。
   > すると一ヶ月ほどして、
   > その女の子が自分で兵站へやってきて、ぜひ働かせてくれと言い出した。
   > 「 どんなことをするのか知っているのか? 」
   > 「 知っている 」
   > 「 兵隊さんは乱暴だから辛抱できないぞ。 泣いたって知らないぞ。 」
   > 「 泣かない。 どんなことでも辛抱する 」
   > 「 そうか。 それじゃ軍医さんに証明書を書いてもらって来い 」
   > あるいは事実出生届がおくれたのかも知れないと思い、結局楼主の希望を入れ、
   > 軍医の身体検査をうけた上許可することにした。
   > この妓には美千子という名をつけてやった。
   > また天成の素質があったものか、二、三ヶ月経つと色気のある身のこなしが
   > すっかり板について、いっぱしの女郎タイプになってしまった。

 それまで売春した経験があろうとなかろうと、本人が望んで慰安婦になったなら、業者も旧日本軍も 完全に無罪です。


 B 女性たちは前借金で縛られていたことがわかります。
   つまり人身売買がおこなわれていたことが明らかです。

   「 家族の借金返済に充てるために前渡しされた金額に応じて6ヶ月から1年にわたり、
    彼女たちを軍の規則と“慰安所の楼主”のための役務に束縛した 」

 

 では、親や夫に金を返す方法はあったのか?

 それこそ、たとえ自殺して生命保険金を貰うという最終手段であったとしても、そんな選択肢があれば 親は子を売らない、夫は妻を売らない。 自分が死んで借金をチャラにする。 しかし、当時にそんな選 択肢はない。 移植技術もありませんから、自分の内臓を売るという選択肢もありません。 実際問 題、当時の飢えた貧困層は子供や女房を売る以外に窮地を脱する手段がなかったのです。


C 半数以上は未成年者でした。

   尋問されたのは1944年8-9月です。
   彼女たちがビルマに連れてこられたのが1942年8月、つまりちょうど2年前です。
   20人の慰安婦のなかで、連行された時点において21歳未満の者は、12人います。

   21歳未満の者、つまり国際法との関係で問題になる未成年者は、
   たとえ本人の同意があったとしても、売春目的で勧誘・誘引・誘拐した者は、
   婦人・児童の売買禁止に関する国際条約(1910年条約と1921年条約、日本も加入)に
   違反する犯罪でした。
   どう言い訳しようと、国際条約に違反する犯罪であったことが、この尋問記録からわかります。

   なお日本はこうした国際条約に加盟する際に植民地を除外するという条件を付けていますが、
   だとしても、日本国籍の船舶を使って連れて行った場合は ( ビルマに連れて行ったのは
   船を使っていますので ) この条約が適用されますし、また植民地を除外すること自体が
   必ずしも適法とは言えません。
   かりに植民地だから適用されないという解釈をとるにしても、
   普通であれば犯罪になることを植民地の女性には平気でやるというのは、
   明らかに差別であり、それを正当化するのは自らが民族差別主義者であることを
   自白しているだけでしょう。

 

 Q&A編 - 2 慰安所における実態 - 3 警察は「慰安婦」を保護? よりコピペ。

 「 法律違反で許せない 」 と憤るなら代案を出して下さい。

 慰安婦になってでも家族を救いたいと願う奇特な子供に売春なんかさせないで、家族も飢えずに暮ら せる方法を、大学教授や弁護士になったその素晴らしい頭脳で導き出して下さい。

 できないなら黙っていろ。

 ということです。


 C このレポートとセットの東南アジア翻訳尋問センターSEATIC Report No.2 を読むと、
   前借金を返済すれば帰国できる契約だったが、戦況のためという理由と、説得されて、
   帰国できた者はいませんでした。

 

 ええっと、Dですよね。

 いや、そんなことはどうでもイイや。

 それは、「 帰国できなかった者が居た 」 であって、「 慰安婦の中に帰国できた者は居なかった 」 で はありません。

 他の何でもない アメリカの戦時情報局Office of War Information(OWI)のReport, No.49(日本人捕虜 尋問報告)1944.10.1付、に記載されています。

   In the latter part of 1943 the Army issued orders
    that certain girls who had paid their debt could return home.
   Some of the girls were thus allowed to return to Korea.

   1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には
   帰国を認める旨の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。

 自分に都合の良い部分だけを抜き出すのは止めなさい。

 そんな手口は、インターネットが普及した現在に通用しません。


 4 以上、このレポートを読むと、売春をしていなかった女性たちが、騙されて(詐欺)、
   前借金で縛られて(人身売買)、連れてこられたことがわかります。

   騙して、あるいは人身売買によって女性を海外に連行したことがはっきりとわかり、
   これは当時の日本の刑法226条に違反する犯罪でした。
   しかも半数以上の女性は未成年であり、たとえ本人が同意していても
   国際条約にも違反する犯罪でした。

 

 はい、もう一回。

 Q&A編 - 2 慰安所における実態 - 3 警察は「慰安婦」を保護? よりコピペ。

 「 法律違反で許せない 」 と憤るなら代案を出して下さい。

 慰安婦になってでも家族を救いたいと願う奇特な子供に売春なんかさせないで、家族も飢えずに暮ら せる方法を、大学教授や弁護士になったその素晴らしい頭脳で導き出して下さい。

 できないなら黙っていろ。


トップへ
戻る
前へ
次へ