Q&A編 - 2 慰安所における実態
- 9 一般の女性は守られた?
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9 一般の女性は守られた?
[ 画像:2-1-14a 史料 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
第62師団「石兵団会報」49号、1944.9.7
日本軍が慰安所を作った理由の一つが強姦を防止するためでした。
だから一般の女性を守ることができてよかったのだという議論さえあります。
はたして本当でしょうか。
日本軍が慰安所を中国各地に作りはじめたのは1937年の冬からでした。
しかしそれから3年近くたった1940年9月に陸軍省が作成した文書によると
( 「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」 )、
依然として日本兵による「強姦」「強姦致死傷」が多いと指摘されています。
具体的な数を示せ。
たとえ万件が千件、いや百件に減ったとしても 「 ゼロに成って欲しい 」 と考えている人間にとっては
「 依然として多い 」 である。 実数の推移を示さずに 「 依然として多い 」 だけでは増えているのか減
っているのかわからない。 そんな主張に意味はない。
アジア太平洋戦争が始まってから、東南アジアでも各地に慰安所を設置しましたが、
開戦から9ヶ月たった1942年8月になっても
「 南方の犯罪610件。 強姦罪多し。 シナよりの転用部隊に多し。 慰安設備不十分 」
(陸軍省の会議での法務局長の報告)と報告されるような状態で、
1943年2月にも「強姦逃亡等増加せる」と報告されるようなありさまでした。
慰安所の設置に強姦を減らす効果が皆無であったなら、「 慰安設備不十分 」 とは書かない。
「 慰安設備不十分 」 と書かれている以上、慰安所の設置に強姦を減らす効果はあったと考えるべき
である。
戦争末期の沖縄では、米軍の来襲に備えて日本軍が次々に増強されました。
日本軍は当初から沖縄に慰安所を設置していきましたが、日本軍の資料によると
「 本島に於ても強姦罪多くなりあり 」 「 性的非行の発生に鑑み… 」
というように地元女性への強姦などが相次ぎ、軍上層はくりかえし兵士たちに注意を発せざるを
えませんでした(「石兵団会報」)。
日本兵による地元女性への強姦は慰安所設置にかかわらずずっと続いていたのです。
「 あったか、なかったか、で問えばあった 」 というだけの話に意味はない。
減ったのか、増えたのか。 「 本島に於ても強姦罪多くなりあり 」 というのは、開戦から増え続けてい
たのか、それとも一旦は減ってからまた増えだしたのか。
そして、これが重要事項なのですが、強姦犯の出自が何処だったか?が大切です。
戦争末期の沖縄には“朝鮮人軍夫”という約3千名もの労働者が居ました。 来る沖縄戦に備えて、
陣地構築、防空壕掘り、弾薬・爆雷・特攻艇・食糧などの運搬などに当たって貰っていたのですが、今
現在の韓国に於ける強姦事件発生件数が人口10万人当たりの発生数で日本の40倍にもなる恐るべ
きレイプ民族が沖縄に流入したのです。 常識的に考えれば、「 本島に於ても強姦罪多くなりあり 」
は、元々日本人のDQNが強姦していた数字に、朝鮮人の強姦が加わって多くなったと捉える事が出来
ます。
2013.08.15 ブッチNEWS
妊婦・死体・小学生女児…韓国の非人道的すぎる性犯罪
http://bucchinews.com/society/3603.html
> レイプ頻度は日本の40倍
>
> 韓国の性犯罪が、深刻の度を深め続けている。
> 韓国政府が公表した「2012犯罪分析」によると、
> 性暴行・強制わいせつなどの性暴行犯罪が、年間2万2000件(2011年)を超え、
> 1日60件ペース。
> 犯罪を強姦に限れば、日本の40倍以上のレイプ件数(人口10万人当たり)との数字も。
> とにかく、「先進国」を標榜する国家としては、ケタ違いの数字を叩き出しているのだ。
もちろん、それは下衆の勘繰りですが、日本人を強姦魔扱いするのであれば、強姦の犯人数に含ま
れる朝鮮人の割り合いが明らかにされるべきです。
慰安所を利用することと地元女性への暴行はどのような関係にあったのでしょうか。
中国の河北省と山西省についての研究によると
( 笠原十九司 「 中国戦線における日本軍の性犯罪 」 )、
日本軍による強姦や強姦殺害は戦争中を通しておきています。
ただその場合、日本軍が駐屯し支配していた「治安地区」では強姦は憲兵によって
厳しく取締まられました。
ここでは日本軍は善政を施していることを示す必要があったからです。
ところが抗日勢力が強く日本軍の力が及ばない地域は 「 敵性地区 」 と呼ばれていました。
ここでは日本軍はいわゆる 「 三光作戦 ( 殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす ) 」 と呼ばれた
皆殺し作戦をおこないました。
武器を携えて日本兵を殺しに来る抗日勢力に対して武力を以て鎮圧にあたるのはアタリマエだ。
そして、日本語に殺光・焼光・搶光を意味する「三光」は存在し無い。
wikipedia「燼滅作戦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/燼滅作戦 - 1 三光作戦
> 三光作戦
>
> 対応する中国語の呼称は三光作戦であり、
> 1941年の『解放日報』に初出が見られるという
> ( 尚、当時の『解放日報』は、中国共産党の博古が責任者を務めている )。
> 三光とは、殺光・焼光・搶光をさし、それぞれ殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くすことを
> 意味する漢語である。
> (北方漢語で「〜光」という接尾詞は「〜しつくす」という意味になる。)
> 日本の資料には燼滅作戦等の名称で記されている。
> 日本では撫順戦犯管理所等に収容され後に解放された中国帰還者連絡会が
> 1957年に発行した『三光』からこの「三光作戦」という呼称が広がったとされる。
>
> 神吉晴夫編『三光 日本人の中国における戦争犯罪の告白』
> (光文社カッパ・ブックス、1957年)
>
> ちなみに現在の中国において三光作戦の司令官とされている岡村寧次は
> 南京裁判では石美瑜裁判長の判決により無罪となり、日本に帰国している。
>
> 通常日本語で「三光(参照:Wiktionary)」と言うと三光鳥/サンコウチョウの呼び名など
> でも知られるように、大抵は「日・月・星」の三つの光を指して言う。
> かつては、三光汽船という名の会社も在り、現在でも企業名や学校名などに
> 日・月・星から付けた「三光」という名が見られる。
> そのような言葉を戦術名に使うというイメージのギャップから、
> 日本人の間では疑問視している人も少なくない。
>
> 戦術としてよく知られた呼称が中国語であることなどから
> 「 三光作戦は中国側のプロパガンダだ 」
> と言われ、また「三光作戦」に言及することが「左派系のプロパガンダ」とされることも多く、
> これらの行為の実態はその有無も含めて議論がある。
> 「 中国国内戦史でそのような作戦が行われていた事実がある 」
> という説を唱える者もいる。
> その中には
> 「 中国側は清野作戦という家屋を全て焼払い、
> 敵に隠れる場所を与えない作戦を採用しておりこれが日本軍の仕業にされた 」
> という説もある。
> これに対して、それらは「三光作戦」と同視できないとする説も
> 近年つくる会などから提唱されている。
> しかし、三光政策という呼称で歴史的事実という立場をとる説もある[3]。
>
>
> 冬季山西粛正作戦戦闘詳報
>
> 三光作戦の根拠の一つとされる歩兵第二二四聯隊「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」には
> 以下の記述がある。
>
> 其三、住民地の状態
>
> 一、住民 殆ンド逃避シアリ為情報収集二不便ヲ感ズ
> 掃討二際シテ土民ヲ獲得セル時ハ大部分成功ス
>
> 日本軍が到着した際には住民の殆どが既に逃げた後であり、
> 掃討を行った際に住民を容易に獲得できたとしている。
> つまり三光の”殺し尽くした”の主張と反した内容が書かれている。[4]。
>
>
> 中国共産党の報復清野を奨励する方法
>
> 報復清野を奨励する方法(大公報所載より抜粋)
>
> 共匪は大いに階級闘争を主張する故に
> 地方の不良分子は平素些細の事にも相争いあって報復する。
> 其れは口訴、文書、孰れも歓迎するのである。
> 報告があれば隊を派遣して包囲し其の者を縛り上げ其の者の財を掠める。
> 如何に誣枉せられても辨訴の権利はない。
> 甲が乙を訴ふれば乙を縛し丙が甲を訴ふれば又甲を縛し
> 丁が丙を訴ふれば又斯くの如し、順繰りに拘引し瓜蔓の如くに連行する
> 金銭を以て刑を贖うものは別として其の大部分は首を連ねて殺される。
> 一地を占領する毎にまず現金を取り上げ次ぎに首飾り、次ぎに布疋
> 次ぎに家畜、次ぎに食糧とあるだけのものを匪巣に搬入する。
> 従ってそれ等の地方は家は岩家の如く食うにも蓄えの食糧なく
> 鼠雀の外に家畜なく鍬鋤の外に金物は殆ど見当たらない。
> 青野を励行して国軍の新軍討伐に困難を感ぜしめる、計略として
> これほど甚だしいものはない。
名のある大学の教授様や弁護士様だろうに。 何でそんなに物を知らないの?
どうせ殺すのならばと、女性を強姦したり、拉致してきて慰安婦にすることが野放しにされました。
つまり日本軍の駐屯地などでは強姦は取締まられ慰安所を使うことが奨励される一方で、
抗日勢力の粛清などのために出かけた場合には強姦や略奪が放任されたのでした。
慰安婦問題で声高く被害を叫ぶ韓国人が、ホンの少し前にこれだけの事をやっていたと知っていて、
よくもまぁいけしゃあしゃあと言えるモンだな。
wikipedia「ライダイハン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン
> ライダイハン(越:Lai Dai Han、ライ大韓)とは、
> 大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による
> 現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供のこと。
> パリ協定による韓国軍の撤退と、その後の南ベトナム政府の崩壊により取り残され、
> 「敵軍の子」として迫害された[1]。
2013/10/08 子供には読ませられないブログGIGO
ライダイハン Raittaihan 韓国軍の戦争犯罪 大虐殺と強姦
http://japan4war.blog.fc2.com/blog-entry-858.html
《前略》
>
> 日本軍の兵が米兵を殺したことは誇大に報道するが、実際は米兵が遊び半分で
> 日本兵を虐殺していた事実がある。
> たとえば、輸送船が沈められ漂流している武装していない日本兵達に対して、
> 米軍は艦上からゲームの様に機銃掃射して漂流している日本兵を虐殺した。
>
> そして戦闘機も、同様に機銃掃射して、弾が切れると基地に戻り、わざわざ戻ってきて
> 機銃掃射するといった遊びを繰り返し、日本兵を虐殺した。
>
> 「 捕虜に食わせる飯より、弾の方が安い 」 マッカーサー
>
> 助けて捕虜にすると、日本軍のように自分達の食料まで削るハメになる
> 米軍は必要数しか捕虜を取らず、大半は虐殺して食料が減るのを抑えるのだ。
> 必要数の捕虜というのは、拷問して情報を聞き出す目的である。
>
> これは大東亜戦争(太平洋戦争)も越え、ベトナム戦争でも繰り返された。
> ベトナム戦争ではさらに残忍な民族である韓国人が米軍の同盟として参戦したため
> 強姦・虐殺・略奪、村の消滅が相次いだ。
>
> そう、ココで産まれたのがライタイハン
> 韓国軍人とベトナムの女性の間に産まれた大量の混血児
>
> 多くの女性は強姦した後に虐殺されたが、生き残った女性もいて出産している。
>
《中略》
>
> Lai Dai Han
> Raittaihan
> ライダイハン
>
> 韓国軍兵士に強姦されて生まれたベトナムの子供(韓国の精子「敵軍の子」として)
> 忌み嫌われ迫害される子供たち。
>
> その数3万人
>
> 韓国内では一時騒ぎになったが、2009年にフィクションドラマを作成し
> それを機に、忘れ去られた。(終わらせた)
>
> 大韓民国(以下、韓国)が米国の同盟軍としてベトナム戦争に参戦した。
> 彼らは戦後、長年「英雄」として扱われていた。
>
> その「英雄」が語ることが出来なかった戦争犯罪がある
> 「軽蔑(ライ)+大韓民国(タイハン)」という名前を持つベトナムの子供たち。
> (この造語については、後述します)
>
> 韓国人兵士がベトナム人女性を大量に強姦して産まれたり、
> 韓国軍の従軍慰安婦として強制徴用された美しいベトナム人女性が産んだり、
> ベトナムで結婚した韓国兵との間に産まれた韓国人との混血児などを総称して
> 「ライタイハン」といいます。
>
> 韓国軍は、強姦した後、女性の容姿で選別を行い、不美人や年寄りの女性は
> 両手・両足を切断して、火に放り込んで焼き殺したり
> 殺す前に両手・両足を切断しておいて、死ぬまで強姦する「だるま」と彼らが呼んでいる
> 強姦・虐殺をしたり、川へ投げ入れて強姦と虐殺の証拠を隠蔽しようと工作したケースも
> ある。
>
> そして容姿が良いベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として
> 韓国軍は連れ回して、繰り返し強姦を行った。
> 弱ったり病気になった女性は虐殺して処分した。
>
> 韓国人は、ベトナム人「従軍慰安婦を肉便器」と言ったそうだ。
> これは、出したい時に出せる(射精できる)という意味だとか。
>
> その為、ライタイハンはベトナム人の美人女性の遺伝子を受け継ぐ
> 美人が多く、モデルなどで活躍している子もいる。
> もちろん、タイハン(大半)が韓国人のブ男の遺伝子を持つ不美人であることは
> 悲しい事実である。
>
《後略》
Youtube「韓国軍によるベトナム民間人の大虐殺や強姦!ライタイハン問題など」
http://youtu.be/bJxvxI9epEs
480x360
ですから慰安所が作られたから強姦がなくなったのではなく、
慰安所と強姦は並存していたのが実態なのです。
だから、戦争という極限状態にあるんだから、幾ら慰安所があっても強姦をゼロにすることは不可能
なんです。 戦争じゃない平時、それも今現在の平和な時でさえも強姦は起こります。 数千円で手コ
キやフェラチオ,1万数千円でセックスが可能な今の日本でさえも強姦が起こるのです。 なぜ戦争の
最中に強姦がゼロにできるなんて理想論が唱えられるのでしょう? サヨクの思考回路が理解できま
せん。
フィリピンや中国でしばしば見られたように強姦とともに
日本軍による慰安婦狩りがおこなわれていたこともその表れです。
> どうせ殺すのならばと、女性を強姦したり、拉致してきて慰安婦にすることが野放し
をどう捻くり回したら
> 強姦とともに日本軍による慰安婦狩りがおこなわれていたこともその表れ
になるんだよ。
殺した死体を慰安所に送って死姦していたってのか?
ところで本来、強姦を防ぐためには兵士の犯罪を厳しく取締まると同時に
兵士の人権を保障し待遇を改善することが大切ですが、日本軍がおこなったことは
それに逆行したことでした。
補給もなしに戦場やジャングルに送り込み多くの餓死者を出したり、
捕虜になることを許さず無意味に「玉砕」させるなど兵士の人権を踏みにじったのでした。
黄色人種を人間だと思っていない鬼畜米兵に捕まって捕虜になる位なら、殺された方がマシだったか
ら捕虜にならなかった。 そして、死にたくなくて捕虜になった兵士も鏖殺しにされた、それが真相です。
酒たまねぎや
連合軍の捕虜虐殺(アメリカ)
http://www.tamanegiya.com/amerikagyakusatu19.1.16.html
《前略》
>
> 「 我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。
> 日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。
> われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。
> ところが大平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、
> われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う」
> (七月一三日)
>
> 「 安全でかなり贅沢な将校クラブに座しながら、
> これらの日本軍を『黄色い奴ばら』と表現するアメリカ軍将校の言に
> 耳を傾けねばならないのである。
> 彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、惨たらしく皆殺しにすることなのだ。
> オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えはまったく無い」
> (七月二一日)
>
> 「 私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき
> 断崖の黒点を眺めやる。
> あの焼け爛れた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ
> 飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。
> ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても
> 敢えて投降しようとしない。
> なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろう
> ことは火を見るよりも明らかだから 」
> (七月二一日)
>
> 「 われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、
> さらった土をかぶせてやったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが
> 出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。
> ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。
> 『 これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ 』
> と」
> (七月二一日)
>
> 「 山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。
> 穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだ
> トラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。
> わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、
> 残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる 」
> (七月二四日)
>
> ( 以上は先に書きましたようにリンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、
> 「 日本の反論 」 米田健三著 p162〜165よりの引用)
アメリカが日本に対して犯した戦争犯罪。
http://www.medianetjapan.com/2/20/government/ikenaka/a.html
2011年08月06日 アンタッチャブル 911
孤高の鷲 ― リンドバーグ第二次大戦参戦記
アメリカ軍の日本兵に対する残虐行為に関する記述
http://untouchable911.seesaa.net/article/218745877.html
2009.06.15 日本が好きなだけなんだよ
沖縄の集団自決騒動で語られない真実
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-category-20.html
《前略》
>
> サイパンで米軍が行なった民間人虐殺の大蛮行
>
> 1943年5月号のライフ誌に掲載された有名な写真。
> アメリカ兵から記念品として恋人に贈られた日本兵の頭蓋骨。
> 当時のアメリカ白人の日本人観は、日本人=東洋の猿 程度の認識だった。
> 写真の詳細はこちら http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/c078d2eb9da71fc3ec795bdf25ea0fb8
>
>
> 我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実 田中 徳祐著 立風書房
>
> 昭和19年6月15日午前8時45分、
> チランカノアの海岸に、約三個師団と推測される敵兵が上陸してきた。
> そこからサイパン島の陸上戦が始まった。
> 当時はサイパン島には砂糖工場があり日本人も居住していた、民間人がいたことで
> かなり悲惨な結果になってしまった。
>
> 7月9日、
> このころには日本軍の組織的な抵抗は無くなり掃討戦の様相をあらわしてきた。
> 敵は流ちょうな日本語でジャングル地帯に童謡を流し投降を促す放送を流し始めた。
> 日本軍は組織的な抵抗は捨て、洞窟に、数人、あるいは数十人ぐらいが生き残り
> 潜んでいた。
> 米軍は日本人に対し、戦争が終わりサイパン島は米軍の手に落ちたこと、
> 隠れている日本人に投降を勧めました。
>
> 「 投降すれば、立派な衣服や、美味しい食料も十分に与えます。
> もはや犬死にすることはない、今や死んでも花実は咲きません。
> みなさんの投降をまっています 」
>
> その後に、兎追いしかの山、と続く童謡を流し始めました。
> これには潜んでいた日本軍も参ってしまつた、その後、桃太郎、天然の美、荒城の月などが
> ながされたそうです。
>
> 「 米軍は虐待しません。 命が大切です。 早く出てきてください 」
>
> 投降を勧める放送は再三繰り返されたが日本軍は、その放送を頭から否定した。
> むしろ敵愾心がわいてきたそうです。
>
> 投降呼呼び掛けの放送とはうらはらな、人道上許し難い残虐な行為をしだした。
> 日本軍はバナデル飛行場を見下ろせる洞窟にいて、その距離1キロ位先で展開された。
> そこへ、三方から追われた数百の住民が逃げ込み、捕らわれた。
> 幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ、婦女子が全員、素っ裸にされた。
> そして、無理矢理トラックに積み込まれた。
> そして無理矢理積み込まれた順にトラックは走り出した。
> 婦女子全員が、トラックの上から
> 「 殺して! 」 「 殺して! 」
> と絶叫していた。
>
> その声がマッピ山にこだまし、次つぎとトラックは走り出し、彼女たちの声は遠ざかっていた。
> なんたることをするのだ、小銃だけではどうすることもできず、此方の位置もしれてしまう。
> この悲劇をただ見守るしかなかった。( この婦女子はその後一人として生還しなかつた )
>
> 婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供老人の悲鳴があがった。
> ガソリンがまかれ、火がつけられた。 飛び出してくる老人子供達。 その悲鳴。
> 「米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい」の投降勧告の意味は。
> 幼い子供が泣き叫び、絶叫する、
>
> 「 おい、もう我慢ならん。撃て 」
>
> 吉田軍曹が一発撃った、何の効果もなく、敵はもはや無関心。
>
> 残酷な行為は壮絶をきわめた。
> 火から逃れ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、
> 又火のなかへ付き返す。
> 死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴り飛したり、銃で突きとばしては
> 火の海へ投げ込んでいる。
> 二人の兵隊が滑走路際にいた、泣いている赤ん坊をみつけ、
> 両足をもって、真二つに引き裂いて火の中へ投げ込んだ。
> 「 ギャッ 」 という悲鳴。 人間が蛙のようにまたさきにされ殺されてゆく。
>
> 彼らは、その行為を平然としてやり、大声で笑い得意げになっていた。
> 日本軍は手を出せず、ただ合掌し霊をとむらうほかなかつた。
>
> 太平洋戦争中にサイパン島での闘いで生き残った田中徳祐大尉の著作だが、
> 田中大尉は戦後までゲリラとしてサイパンで戦い抜き、その後、武装解除している。
> 帰国後、本書を執筆するも、GHQの検閲ですぐには出版出来なかった。
> 雑誌 「 正論 」 などでも引用され、資料として貴重な本だが、現在、絶版になっており、
> 再版が待たれている。
> 大東亜戦争中のアメリカ軍の残虐行為が表面化しないのは
> マスコミの報道管制によるもので、現在でも在日米軍兵士の犯罪の8割が
> 闇に葬られるのと同様の理由である。
>
>
> アメリカ軍の残虐非道
>
> 1945年に報道カメラマンのフェンノ・ヤコブスによって撮影された日本兵捕虜に対する虐待写真
> ( 戦艦ニュージャージー甲板にて。世界写真全集の第3巻『フォトジャーナリズム』に掲載 )
> しかし、この日本兵はまだ生きているだけ幸運なのかもしれない。
>
>
> 容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別
> ジョン・ダワー著 平凡社ライブラリー
>
> 大平洋地域担当の従軍記者エドガー・ジョーンズが、
> 46年の『アトランティック・マンスリー』誌に書いている
> 『 われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機関銃掃射し、
> 敵の民間人を虐待、殺害し、傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を他の死体とともに
> 穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置物を作るとか、または他の骨で
> ペーパーナイフを作るとかしてきたのだ 』。
> ジョーンズはさらに、標的の日本兵がすぐに死ぬことがないように、
> 火炎放射機の炎を調整するというような行為にまで言及している
>
> 1942年の末に出版されベストセラーとなった『ガダルカナル日記』のなかで、
> ジャーナリストのリチャード・トレガスキスは、日本軍との戦いを前にして
> 武勇自慢をし合う若い兵士たちの会話を挿入している。
> 『 ジャップは金歯をたくさん入れてるんだってな。
> それをいただいてネックレスでも作るかな 』
> と一人がいう。
> 『 おれは奴らの耳を持って帰るよ 』 ともう一人が宣言する
>
> リンドバーグがついに大平洋諸島を離れ、ハワイで税関検査を受けたときには、
> 荷物に骨が入っているかどうか聞かれた。 それは決まりきった質問だと言われたという
>
>
> 孤高の鷲 リンドバーク第二次大戦参戦記 学研M文庫
>
> 以下抜粋
>
> * 各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは
> 捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。
> 手を上げて投降してきても皆殺しにするから。
>
> * あるところでは2,000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのは
> たった100か200だった。 残りのの連中にはちょっとした出来事があった。
> それを知った戦友は投降したがらないだろう。
>
> * 捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。
>
> * 将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。
> 捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に
> 持て余すほどの捕虜が手に入る。
> 懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。
>
> * 一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、
> 出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。
>
> * 捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、
> ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。
> ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。
>
> * 2年以上実戦に参加した経験がない兵が
> 帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、
> 偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。
> 捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。
>
> * 爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込み
> その後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。
>
> * 捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。
> 金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを
> 造る、耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、
> 中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。
>
> * 日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。
> 我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線を見れば見るほど、
> 文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。
> 事実この点に関する成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。
>
> 参考サイト
> http://www.tamanegiya.com/yuusyokujinnsyubetsi.html
> http://ameblo.jp/nyaonnyaon/entry-10049567897.html
>
> 『孤高の鷲』は残念ながら絶版になってしまったが、
> 紹介した記事の他にもひどい捕虜虐待の様子が書かれている。
> 日本の都市への無差別爆撃や広島・長崎への原子爆弾の投下などは、
> 当時のアメリカ白人の一般的な有色人種観から導き出された結果でしかない。
> 原爆投下が戦争を終わらせるためというのは単なる後付の理由であり、
> 大戦末期の日本に既に反撃する能力はないのだから、ポツダム宣言より条件を緩和した
> 講和条件を出せば、すぐに日本は飛びついただろうが、それをしなかったのは、
> 戦争を早期に終わらせること自体が目的ではなかったからだろう。
> 小生意気な日本人を奴隷のように膝下に屈服させたかった、というのが本音では
> ないだろうか。
>
>
> 日本軍に対する誤解はなぜ生まれたのか
>
> 旧軍に対する誤解を解く 2005年4月23日 徒然なるままにエッSAY!
> http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/cat_951925.html
>
> 我々が旧軍を批判するときによく言われるのが、
> 日本の軍人は 「 捕虜になるぐらいだったら死ね! 」 と言われ、多くの軍人が無駄死をした
> ということがある。
>
> 今回は何故そのようなことになったのか検証する。
>
> 昭和16年1月に東条英機が出した戦陣訓がある。
>
> この中の本訓其の二の第8「名を惜しむ」に
> 「 生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ 」
> と言う一節があり、この「生きて虜囚の辱めを受けず」だけをとらえ拡大解釈をして、
> 敵の手に落ちるときは死ねということが強調されてしまったのである。
>
> では、なぜ戦陣訓というのが出たかというその背景を考えてみる。
>
> 日本軍が、世界的に評価されたのは、1900年の北清事変(義和団の乱)に
> 義和団を制圧するために出兵したときのことである。
>
> このとき日本と欧米の8カ国が出兵し、欧米の兵隊が略奪行為や泥棒みたいなことをして、
> 北京市内を荒らし回っていた。
>
> 日本軍は、近代国家として始まったばかりということもあり、
> 国際条約にも、軍律も非常に厳しかった。
> それによって、イギリスの新聞で
> 「 日本軍はすばらしい。 これだけ軍律を守れる国は世界にも数えるぐらいしかない 」
> などと書かれ、このときの日本軍の軍律が一級品と評価され、日英同盟の締結の大きな
> 要因ともなり、世界中からも高い評価を受けた。
>
> しかし、支那事変が起きて長期化していくうちに、段々と軍律は乱れてきたので
> 引き締めの意味も込めて戦陣訓が出された。
> また、支那軍(中国軍)は、昔から民族性もあり、残虐な行為をする軍隊である。
> 日本軍と支那軍が戦っているときに、日本軍の捕虜は、かなり無茶苦茶なことを
> やられたのである。
> 学校の教科書に載せられていた支那婦人に対する残虐な処刑は
> 陵遅の刑(りょうちのけい)と言って伝統的な中国の処刑のやり方であり、
> 日本兵がやったことにすり替えた。 日本人には乳房をえぐり取る発想はない。
> 『支那民族性の解明』池田正之輔著に詳しい。
>
> また『ワイルド・スワン』に共産党員が地主の女性達を強姦したあげくに
> 乳房を切り落とす場面が出てくる。
>
> 彼らのやり方は生きたまま顔の皮をはがされたり、耳を削がれたり、目を刳り貫かれたり、
> 鼻を削がれたり、手足を切断されたりしていたのである。
> もっとひどいのは首かせをされて宙づりにされ、自分の体重で首から抜け落ちるまで
> ぶら下げられたりした。
>
> 支那軍が日本人街を襲った通州事件では、束にして鼻や手をぶち抜いて針金を通したり、
> 女性を逆さ吊りにして股間に異物を突っ込んだり、妊婦は腹を裂いて赤ん坊を出したり
> したという証言もある。 支那大陸ではこれらが通常の姿であった。
>
> それで日本軍としては、あまりにも残虐すぎる支那軍のやり方を見て、
> 捕虜になってあんな無惨な殺されかたをされるのだったら、いっそうのこと腹を切ってでも
> その場で死んだ方がましだというところから 「 生きて虜囚の辱めを受けず 」 が
> 強調されたのである。
>
> 軍人として人間としての尊厳を守るための教えでもあったわけです。
> 戦陣訓は、戦場道徳を守りなさいというのが本来の趣旨だったのが、
> その一部分だけが突っ走ったのが現実である。
> その一部分だけを捉えて戦陣訓はどうだったとか、軍人勅諭はどうだとかの批判を
> すべきではないのである。
> 我々が日本の色々な問題を考えるときに、とかく言葉じりだけを捉え批判する傾向が
> あるが、本来何を言いたいのか、本質的なことは何だろうということを
> しっかりと読みとることが大事だと思う。
>
> (コメント)
>
> なぜ沖縄で集団自決が起きたかといえば、アメリカ軍の残虐さが広く知れ渡っていたから
> としか言いようがない。
> アメリカ兵にいたぶられて殺されるくらいなら、自決を選ぶのが当然であろう。
> そういった背景の中で、自決用の手榴弾が住民に渡されたとしても、別に不思議ではない。
> 日本軍は沖縄の住民を守るために戦ったのであり、
> 住民に自決を強要することなどありえない。
> 戦後、垂れ流されたアメリカ兵の美談はほとんどがプロパガンダであり、
> ベトナムやイラクでのアメリカ軍の所業と戦前の人種差別の酷さを考えれば、
> 当時のアメリカ兵がどんなものか、容易に想像が付くはずである。
> 要するに、GHQのお得意だった敵のすり替えが、反日左翼の手で沖縄の集団自決でも
> 行なわれ、残虐非道のアメリカ兵は正義の味方として扱われ、命をかけて
> 沖縄住民を守るために戦った日本軍が、いつの間にか悪者にされてしまったわけである。
>
> 中国と朝鮮半島は古くから人肉食の習慣 ( さすがに戦後は表立ってはないが ) があり、
> 日本統治の朝鮮半島では禁止令が出されていたくらいである。
> シナ兵の民間人や捕虜の殺害方法は惨たらしく、手足を切り取ったり、乳房をえぐったり、
> 赤ん坊を取り出したりするのは、そういう習慣が影響しているのではないだろうか。
> 手に穴を開けて数珠つなぎにして人間を拉致するのは食料として扱っているからである。
> 大陸で日本兵の蛮行として喧伝されているものの大部分は、シナ兵の蛮行を日本兵に
> スライドしたもので、日本には女性の乳房をえぐったり、腹を裂いて赤ん坊を取り出すような
> 文化はないが、中国ではごく普通のことだったのである。
>
> 戦敗国の軍人は冤罪を着せられて死刑にされることはあっても、
> 戦勝国の軍人の戦争犯罪は決して裁かれることはない。
> それが戦争裁判というものの本質であり、戦勝国が公に歴史の捏造を行なう場所と
> いっても過言ではない。
> 理屈や罪状をいくら並べても、単なる復讐を目的としたリンチ裁判に過ぎないことは
> もはや明らかだ。
> こんな恥知らずな茶番にいつまで付き合わなければならないのか、
> 戦後60年以上経っても、自虐史観を執拗に押し付けてくる反日国家と、
> 相変わらず日本を占領し続けるアメリカに対し、誠に憤りを禁じえない次第である。
我々が学生時代に受けた貶日教育そのまんまな反日プロパガンダが通用する時代は終わったので
す。 もうサヨクの妄言は通用しません。
そうした発想しかない日本軍は女性の人権を踏みにじることを平然とおこなったのです。
日本軍に強姦犯が居なかった、なんて戯言はいわない。
戦争じゃない平時、それも今現在の平和な時でさえも強姦は起こっているのですから、戦争という極
限状況下で起こるのは当然のことです。
それでも、韓国人がベトナムで行った悪逆三昧に比べたら稚戯にも等しいわ。
wikipedia「ライダイハン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ライダイハン
> ライダイハン(越:Lai Dai Han、ライ大韓)とは、
> 大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による
> 現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供のこと。
> パリ協定による韓国軍の撤退と、その後の南ベトナム政府の崩壊により取り残され、
> 「敵軍の子」として迫害された[1]。
2013/10/08 子供には読ませられないブログGIGO
ライダイハン Raittaihan 韓国軍の戦争犯罪 大虐殺と強姦
http://japan4war.blog.fc2.com/blog-entry-858.html
《前略》
>
> 日本軍の兵が米兵を殺したことは誇大に報道するが、実際は米兵が遊び半分で
> 日本兵を虐殺していた事実がある。
> たとえば、輸送船が沈められ漂流している武装していない日本兵達に対して、
> 米軍は艦上からゲームの様に機銃掃射して漂流している日本兵を虐殺した。
>
> そして戦闘機も、同様に機銃掃射して、弾が切れると基地に戻り、わざわざ戻ってきて
> 機銃掃射するといった遊びを繰り返し、日本兵を虐殺した。
>
> 「 捕虜に食わせる飯より、弾の方が安い 」 マッカーサー
>
> 助けて捕虜にすると、日本軍のように自分達の食料まで削るハメになる
> 米軍は必要数しか捕虜を取らず、大半は虐殺して食料が減るのを抑えるのだ。
> 必要数の捕虜というのは、拷問して情報を聞き出す目的である。
>
> これは大東亜戦争(太平洋戦争)も越え、ベトナム戦争でも繰り返された。
> ベトナム戦争ではさらに残忍な民族である韓国人が米軍の同盟として参戦したため
> 強姦・虐殺・略奪、村の消滅が相次いだ。
>
> そう、ココで産まれたのがライタイハン
> 韓国軍人とベトナムの女性の間に産まれた大量の混血児
>
> 多くの女性は強姦した後に虐殺されたが、生き残った女性もいて出産している。
>
《中略》
>
> Lai Dai Han
> Raittaihan
> ライダイハン
>
> 韓国軍兵士に強姦されて生まれたベトナムの子供(韓国の精子「敵軍の子」として)
> 忌み嫌われ迫害される子供たち。
>
> その数3万人
>
> 韓国内では一時騒ぎになったが、2009年にフィクションドラマを作成し
> それを機に、忘れ去られた。(終わらせた)
>
> 大韓民国(以下、韓国)が米国の同盟軍としてベトナム戦争に参戦した。
> 彼らは戦後、長年「英雄」として扱われていた。
>
> その「英雄」が語ることが出来なかった戦争犯罪がある
> 「軽蔑(ライ)+大韓民国(タイハン)」という名前を持つベトナムの子供たち。
> (この造語については、後述します)
>
> 韓国人兵士がベトナム人女性を大量に強姦して産まれたり、
> 韓国軍の従軍慰安婦として強制徴用された美しいベトナム人女性が産んだり、
> ベトナムで結婚した韓国兵との間に産まれた韓国人との混血児などを総称して
> 「ライタイハン」といいます。
>
> 韓国軍は、強姦した後、女性の容姿で選別を行い、不美人や年寄りの女性は
> 両手・両足を切断して、火に放り込んで焼き殺したり
> 殺す前に両手・両足を切断しておいて、死ぬまで強姦する「だるま」と彼らが呼んでいる
> 強姦・虐殺をしたり、川へ投げ入れて強姦と虐殺の証拠を隠蔽しようと工作したケースも
> ある。
>
> そして容姿が良いベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として
> 韓国軍は連れ回して、繰り返し強姦を行った。
> 弱ったり病気になった女性は虐殺して処分した。
>
> 韓国人は、ベトナム人「従軍慰安婦を肉便器」と言ったそうだ。
> これは、出したい時に出せる(射精できる)という意味だとか。
>
> その為、ライタイハンはベトナム人の美人女性の遺伝子を受け継ぐ
> 美人が多く、モデルなどで活躍している子もいる。
> もちろん、タイハン(大半)が韓国人のブ男の遺伝子を持つ不美人であることは
> 悲しい事実である。
>
《後略》
Youtube「韓国軍によるベトナム民間人の大虐殺や強姦!ライタイハン問題など」
http://youtu.be/bJxvxI9epEs
480x360
女性への性暴力、人権蹂躙という点では強姦も「慰安婦」にしたことも同じなのです。
本気で言っているなら病院へ行って頭を看て貰え。
強姦は、あきらかにセックスなんかしたくないと思っている相手にセックスを強要する行為だ。 だか
ら強姦し終わった前後にお金を払ったからといって免罪はされない。
一方、慰安婦は、親や夫に売られて本人としては望んで慰安婦になったわけではない者も僅かなが
ら居た可能性があるものの、大多数はお金に目が眩んで自ら望んで慰安婦になった者たちだ。 だか
ら対価を払うという前提で合意してセックスをする。 決して同列ではない。 この二者を同列に扱うサ
ヨクの思考回路が理解出来ないわ。
[ 画像:2-1-14b 史料 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
第62師団「石兵団会報」49号、1944.9.7
[ 画像:2-1-14c 軍紀振作対策 圧縮 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」
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