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webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る



サヨクの嘘を暴け!は移動しました。 


さすがに、『〜従軍慰安婦編〜』が重過ぎるのか
編集中に「メモリが足りません」というエラーが出て
凍るようになってしまいました。           .
このままでは更新に支障をきたしますので、  .
やむを得ず『サヨクの嘘を暴け!』を切り離します。

新しいアドレスはコチラになります。

http://keibow001.dousetsu.com/





Q&A編 - 2 慰安所における実態

 - 10 証言は矛盾だらけ?

 10 証言は矛盾だらけ?

 A:「証言の度に話が変わっている」
   「陸軍や他の政府機関によって強制的に働かされたという言及はない」
 (「THE FACTS」2007.6.14)等、被害者の証言を否定するような主張があります。
 しかし、当初の証言になかったからその事実はないと言いきれるでしょうか?
 また、証言が変わるから証言自体、信用できないと言えるでしょうか?
 ここでは被害者証言への向き合い方について考えてみます。

 1、記憶とトラウマ

 まず、証言全体を見て言えることですが、確かに被害女性の証言には、
 「いつ」「どこで」「誰が」などが曖昧なものもあります。
 中国や東ティモールの被害女性をはじめ被害証言の中には、
 自分の生年月日すらはっきりしないものもあります。
 また、連れていかれたところが中国だとは分かっても、地名まで覚えていないケースもあります。

 例えば文必ギさんの場合、汽車に乗せられて慰安所に連れて行かれますが、
 新義州を経て「満州」に入ったことは覚えていても、自分が入れられた慰安所があった
 土地の名前や、その慰安所を使用していた部隊名を思い出すことはできません
 ( アクテイブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編
  『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集T―南・北・在日コリア編 上―』
  明石書店2006年P165〜P177 )。

 しかし、慰安所の詳しい説明や、日本兵が大勢来たこと、軍人が慰安所の歩哨に立っていたこと、
 どのようにして連れて行かれたかなど、驚くほど詳細に記憶していることもあります。
 彼女が詳細に語る「何があったのか」の中にこそ、長い時間を経ても忘れることのできない
 痛みと苦痛の体験があるのです。
 たとえ一部分の記憶が抜けているとしても、固有名詞を記憶していないとしても、
 だからと言って証言全体を信憑性が無いといって切り捨てることはできません。

 

 何の為に5W1Hを訊くのか? それは証言を検証するためである。

 「 とある部屋で強姦された 」 と 「 圭坊の自室で強姦された 」 は似て非なる。

 前者で部屋の内装を訊いても意味がない。 しかし、後者で部屋の内装を訊く事は意味がある。
 部屋の弩真ん中にドライブゲーム専用の筐体が据えられた我が自室は、私の不在中は嫁が施錠し てしまうので、家族以外で私の自室を見た事のある人は片手の指でさえ余る。

 「 ベッドは部屋のどの辺にありましたか?」 「 ベッドの横に何がありましたか?」 「貴女をベッドへ押 し倒す時に邪魔になった物はありましたか ?」 etc・・・ こんな簡単な質問でも我が自室に招き入れら れた者でなければ答えられない。

 証言に於いて5W1Hが曖昧であるという事は、証言に証拠性がないという意味である。


 記憶の問題は、長い年月が経ったことにより忘れてしまったこともありますが、
 例えば朝鮮女性の場合、日本の植民地支配下、特に女性であったことも手伝い、
 女性の普通学校の完全不就学は1932年の時点で91.2%に及んでいます
 ( 金富子『植民地朝鮮の教育とジェンダー』世織書房2005年 )。

 

 日本が併合した所為で女児が学校教育を受けられなかったが如き書き方をするな。

   2011-05-14 OKweb
   韓国併合前の識字率が10%だった客観的資料について
   http://okwave.jp/qa/q6736852.html
   > 回答No.7
   >
   > 1910年の合併時は日本の小学校に相当する「普通学校」は
   > 半島に100校くらいしかなかったが、1942年の時点で4,945校まで増やした。
   > 朝鮮総督府は朝鮮半島における初等教育の普及に力を注いだそうです。
   > 併合前は学校と呼べるようなモノは郷校、書院、書堂などといった
   > 特権階級が通うモノしかなかった。
   > しかし実態は政争に敗れたリャンバンが集う犯罪者の巣窟となっていたそうで、
   > 1871年に大院君は「書院閉鎖令」を出して順次閉鎖していったそうです。
   > ハングルはリャンバンに蔑まれていたそうなので、当時少なかった学校ですら
   > ハングルは教えられていなかったのです。
   > (参考文献:反日韓国人撃退マニュアル/桜井誠/晋遊舎)


   2013/02/16 日本人と韓国人 その似て非なる事
   ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実
   http://14819219.at.webry.info/201302/article_3.html

   《前略》
   >
   > また次の写真も『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』15pにある
   > 「ハングルを教えている松山公立普通学校の教室」の様子で、
   > 1929年の「生活状態超」(水原郡)に載っている写真のようです。
   > (わかりやすいように一部拡大しています)
   >
   
   >
   > 当時使われていたハングルの教科書は良く知られていますが、
   > 実際にハングルを教えている教室の風景は珍しいと思われます。
   >
   > もっとも1938年にハングルは選択科目になるのですが、
   > その事を前年11月各道学務課長会議で報告されましたが、
   > 「朝鮮語の廃止」と噂になったようで、
   > 当時の東亜日報は「朝鮮語廃止は虚伝」として報じています。
   > ちなみに「虚伝」とは「根拠のないうわさや言い伝え」のことです。
   >
   
   > 東亜日報1937年11月25日
   >
   
   > 東亜日報 1937年11月28日
   >
   > そしてその後の東亜日報等の廃刊や朝鮮語学会事件などを基に
   > 「朝鮮語が禁止された」ということまで言われています。
   > では実際にはどうだったのでしょう。
   >
   
   >
   > 昭和20年8月の「毎日新報」で、漢字とハングルだけで書かれています。
   >
   > またもう一つの写真を見てください。
   >
   > 以前北海道炭鉱強制徴用者証言集(2) と言う記事で紹介した写真ですが、
   > 韓国の「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会」から
   > 出されている「写真で見る強制動員の話」と言う資料に載っている写真です。
   > ハガキの宛名に書かれている尹秉烈(茂松秉烈)さんは、北海道歌志内市にあった炭鉱で
   > 働いていたようで、朝鮮半島の家族から北海道歌志内に出されたハガキです。
   > 1945年(昭和20年)4月となっています。
   >
   
   > 「写真で見る強制動員の話」p55
   >
   > 当時は日本人の手紙でも検閲されていた時代ですが、
   > 仮に朝鮮語(ハングル)が禁止されていたのなら
   > 誰にでも目にすることができるハングルで書かれたハガキが
   > 朝鮮半島から北海道にいる人の元へ届くこと考えられません。
   > つまりこれは当時朝鮮半島では日常的に朝鮮語やハングルが使われていたことを示す
   > 資料なのです。

 日本のおかげで少しずつ識字率が向上する途上だったのです。


 学校教育を十分に受けることができなかった結果、字が読めない女性も少なくなく、
 文字としてではなく、耳で聞いた音の記憶に頼らざるを得なかったのです。
 被害女性の証言を聞く時、そのような状況への理解も必要です。

 

 であるなら、彼女たちが具体的な発言をした場合は、しっかりと事実認定する必要があるね。

 

   2013年09月22日 ネトウヨにゅーす。
   従軍慰安婦(88)「『朝鮮戦争当時』日本軍に踏みにじられた」フランスで絶叫www
   いわゆる従軍慰安婦問題オウンゴールで決着wwwwwwww※拡散推奨
   http://netouyonews.net/archives/8068936.html
   > 「私たちは日本軍の奴隷だった」
   >
   > 秋夕(チュソク)連休が始まった18日。雨が降るフランス、パリのシャイヨー宮前で
   > 韓国ハルモニの声が鳴り響いた。
   > 韓国語を理解できないヨーロッパ人と観光客の注目を少しの間でもつかむため、
   > 老駆を導いてフランスまで渡ってきたハルモニの執念は広場を越えて全世界に広まった。
   >
   > 去る1992年1月8日、駐韓日本大使館前で始まった慰安婦被害ハルモニらの水曜集会が
   > フランスでも開かれた。
   > 20年以上続いてきた水曜集会は日本を含む米国、台湾、インドネシアなどで
   > 行われたことはあるがフランスで開かれたのは今回が初めてだ。
   >
   > 慰安婦被害ハルモニらを代表して証言者になったキム・ボクトン、ハルモニ(88)は
   > 朝鮮戦争当時日本軍に無惨に踏みにじられて
   > 悔しい思いをさせられた。
   > 日本が誤りを悔いて慰安婦被害者の問題を解決できるように助けて 」
   > と話した。
   >
   > 集会には韓国挺身隊問題対策協議会(挺隊協)関係者とフランス女性団体、海外同胞など
   > 100人余りが参加した。
   > ソーシャルネットワークサービス(SNS)でもハルモニらを応援して参加を促す文が広がった。
   > ツイッターID@SPA*****、@acc*****など市民らは
   > 「 歴史的なフランス、パリ水曜集会が開かれた。
   >  一日も早く日本の謝罪を受けられるよう願う 」
   > と応援文を掲載した。
   >
   > 集会に先立ちハルモニら会ったフランス女性団体代表らは
   > 「 共同宣言と共にフランス上下院決議採択のため議員と政府の協力を引き出す 」
   > という立場を伝えた。
   > 挺隊協関係者は
   > 「 フランス女性および人権団体を通じて
   >  国連とヨーロッパ連帯会議などに被害状況をもっと多く知らせられるよう協力を要請して
   >  問題解決に向けた共同対応に、一層積極的に乗り出す予定。
   >  今回の集会が慰安婦問題など戦時性暴行被害者の人権回復を達成するための
   >  基礎になることを期待する 」
   > と話した。
   >
   > (後略)
   >
   > 社会文化部イ・ヘヨン記者
   >
   >
   > ソース:アジア経済(韓国語) フランスで鳴り響いた絶叫・・"日本は謝りなさい"
   > http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2013092012432151429

   > 20:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/09/21(土) 08:02:31.85 ID:Ee+4piGp
   > >>1
   >
   > 朝w鮮w戦w争www

   > 7:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/09/21(土) 07:59:37.56 ID:ezHosP3y
   > >>1
   > > 慰安婦被害ハルモニらを代表して証言者になったキム・ボクトン、ハルモニ(88)は
   > > 「朝鮮戦争当時日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。
   > > 日本が誤りを悔いて慰安婦被害者の問題を解決できるように助けて」
   > > と話した。
   >
   > 朝鮮戦争当時日本軍なんか存在しないがなにか wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

   > 27:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/09/21(土) 08:04:43.22 ID:eHlTDOER
   > >>7
   >
   > うわwボットンさん「朝鮮戦争当時」って言っちゃったの?
   > これで強制連行したのが日本ではなく韓国だって本当の事を言っちゃったら
   > 証言に矛盾もなくなるし、朝鮮戦争時の韓国による慰安婦強制があったのは事実なんで、
   > 日本や日本人に否定される事もなくなるだろう。
   > さあ、もう一息だ。

   > ※ 176. ネット名無しさん 2013年09月23日 16:38 ID: aIW55v0c0
   > 最初のHPを記録してありますか?
   > 「朝鮮戦争」を削除しやがった!!

   > ※ 177. ネット名無しさん 2013年09月23日 16:51 ID: wSYBVcSK0
   > >>176
   >
   > まじ?wwww

   > ※ 178. 小学生は最高だぜ! 2013年09月23日 17:32 ID: 2Pt0y1UQ0
   > ※ 177
   >
   > まじだったお
   >
   > http://www.excite-webtl.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.asiae.co.kr・・・
   >
   > > 慰安婦被害おばあさんを代表して証言者で出た
   > > キム・ボクトンおばあさん(88)は
   > > "日帝強制占領期間時期日本軍に
   > > 無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた"としながら
   >
   > 「日帝強制占領期間時期」になってる!

   > ※ 179. 小学生は最高だぜ! 2013年09月23日 17:37 ID: 2Pt0y1UQ0
   > でも、鬼のように魚拓が取られまくってるわw
   >
   > http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.asiae.co.kr%2Fnews%2Fview.htm%3Fidxno・・・
   >
   > 下の方の奴は既に「日帝強制占領期間時期」に変わっています

 自分で朝鮮戦争時の慰安婦だったと証言している。

 過去の証言に於いても

   2013年7月8日 ニュー速をまとめてみた
   【東京】通学途中、警察官にジープに乗るように強要され、インドの慰安所に送られた
   …92歳元慰安婦が証言
   http://blog.livedoor.jp/nakamulatakasi103/archives/30214176.html
   > 今年92歳になる台湾人元「従軍慰安婦」の鄭陳桃さんは
   > 日本の人々に過去の歴史を忘れないでほしい、
   > 戦時中の慰安婦の存在を二度と否定しないでほしい
   > とはるばる日本に赴き人々に訴えかけた。
   >
   > 今月6日から東京都新宿区の「戦争と平和女性博物館」で
   > 台湾慰安婦についての特別展が日本の団体と台湾のNPO、婦女救援基金会によって
   > 共催されるが、鄭陳さんはその高齢にもかかわらず、歴史の生き証人として名乗りを挙げ、
   > 同日午後都内で行われたオープニング・シンポジウムに出席、自身の悲しい過去について
   > 涙ながらに語った。
   >
   > この特別展は「台湾人『慰安婦』の証言 日本人にされた阿媽たち」と題されるもの。
   > 「阿媽」、台湾語の「阿[女へんに麼]」(アマー)は「おばあちゃん」の意。
   > シンポジウムの会場には大学生など若者を含む日本人が100人以上集まり、
   > まず先日亡くなった台湾人元慰安婦の冥福を祈って1分間の黙祷が行われた。
   >
   > 鄭陳さんは壇上に立つと日本語で自己紹介、当時、高校への通学途中、
   > 突然警察官に ジ ー プ に乗るよう強要され、
   > その後海外に連れて行かれたと語り始めたが、
   > 何度ものどをつまらせ泣き出し、話を続けることができなくなってしまった。
   >
   > 19歳で イ ン ド の「慰安所」に送られた鄭陳さんは
   > その後生きた心地のしない悲しい5年間を送る。
   > 自殺をはかり流産し、終戦後ようやく台湾に戻った時にはすでに妊娠できる体ではなかった。
   > 一生消えることのない心と体の傷を抱えながら鄭陳さんは、
   > 当時の被害者が今まだここにいる、歴史の否定や抹消は許されないのだということを
   > 日本の当局に知らせたいと今回の日本行きを自ら希望したという。
   >
   > この20年来おばあさんたちに寄り添ってきた婦女基金会幹部の康淑華さんは
   > シンポジウムの席上、アマーが自分について語るのは大変勇気の要ることで、
   > 日本側が不当な言論でアマーたちを苦しめ傷つけ、歴史の教科書では
   > 戦時中の慰安婦制度についての記述をなくして日本の若い世代に事実を知らせず
   > 過去の記憶を消そうとしていると指摘、人々の無関心に憂慮を示した。
   >
   > 同基金会ではアマーたちのドキュメンタリーを今年9月に公開することにしている。(終)
   >
   >
   > ソース
   > フォーカス台湾92歳の台湾女性、日本で講演 「慰安婦の歴史忘れないでほしい」
   > (楊明珠、陳至中/編集:谷口一康)【社会】 2013/07/07 13:19
   > http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201307070001.aspx

 もうひとつ。

   従軍慰安婦問題は問題ではない 〜ありえない強制連行説、日本軍に罪はなし〜
   http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/jugun.html
   
   《前略》
   >
   > 黄錦周(ファン・クムジュ)という人がいるが、
   > この人は自らは強制連行の被害にあったと証言する有名な人であるが、
   > この人の証言が実は有効な証言ではない。 それは証言内容がころころ変わるからである。
   > 例えば高木健一著『従軍慰安婦と戦後賠償』では
   >
   >  「生家が貧しく12歳の時100円で売られてソウルの金持ちの家で小間使い、
   >   1938年に咸鏡南道ハムン郡で女中をしていた時その家の娘の身代わりとなって
   >   満州に連行され慰安婦となる」
   >
   > と証言しているのに、1995年7月24日から27日夕刊の朝日新聞のインタビューでは
   >
   >  「咸興の女学校在学中の17歳の時、1939年に国民徴用令で動員され
   >   軍需工場に行くと思っていたが着いたところは吉林の慰安所だった」
   >
   > と証言が一貫しない、
   >
   > しかもそのうえに朝鮮人女性に国民徴用令が出たのは1944年であるから
   > 1939年に徴用されること自体ありえない話である。
   > しかも吉林には朝鮮人経営の妓桜が5件も営業していたこともあり
   > 吉林には慰安婦を置いていなかった。
   > しかもこの黄錦周はその朝日新聞のインタビューの中で
   >
   >  「最初の一年はその将校専属で昼間は兵卒の看病もした。
   >   三年目からは部隊内の慰安所で兵卒の相手、クリスマス には
   >   特に相手が多かった。
   >   カネは受け取っていない。
   >   そのまま部隊で終戦を迎えた日本兵は軍服を脱ぎ捨てて逃げいった。」
   >
   > とも証言しているがこれもありえない話である。
   > 軍医も衛生兵もいる部隊でなぜ慰安婦が兵卒の看病をするのか?
   > 日本軍にクリスマスなどなかったはずなのになぜクリスマスの時に客が増えるのか?
   > なぜ日本軍は私服を持参していないのに軍服を捨てて逃げていったのか、
   > また何を着て逃げて言ったのかまったくわからない(*5)。
   > このような嘘を歴史的証言としては価値がゼロである。
   > ただし、この黄錦周という人はある意味でかわいそうである、なぜなら
   > 嘘とわかっている証言をしないと韓国世論が許さないから
   > 死ぬまで嘘をつき続けなければならないからである。

 さらに、ドン!

   東ティモールにおける日本軍性奴隷制
   http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/news/quarterly/number3/sexslavery3.html
   
   《前略》
   >
   > ◇リム・ファ・ニエさんの話
   >
   > 私はアイリウの出身だ。 アイリウには日本軍の中枢があった。
   > ある日、中国人のポンベラが家にやってきて日本軍のために働けといった。
   > 14歳か15歳の頃だった。 母親が死んでから父親は病気がちだった。
   > それから二年間は飯炊きとして働かされた。
   > この時未婚の少女が3人とティモール人の男性3名がいっしょに働いていた。
   > ポンベラが来た時自分はまだ幼かったが、ポンベラたちは
   > 「しばらくすれば使いものになるだろう」
   > と言った。
   >
   > 二年たつと、慰安所(小さなホテル)に移された。
   > その慰安所には中国人の少女だけが集められていた。
   > アイナロやボボナロ出身の女性もいた。
   > アイナロ出身のある女性は、日本軍によって夫を殺された後、連行されたと言っていた。
   > 慰安所で私はハナコと呼ばれた。
   >
   > アイリウは軍事拠点でアイリウの兵営にはヘリコプター、タンクその他様々な
   > 兵器・機器が置かれており、兵士は夜間それらの警備を行なうため、私たちが慰安所で
   > 兵士の相手をさせられたのは朝から夜までだった。
   >
   > 相手をさせられた兵士の数は1日20人ぐらいだったと思う。
   > 仕事が終わると立って歩くこともできなかった。
   > 兵士はコンドームを着用していた。 性病検査はなかった。
   > 賃金は一切支払われなかった。 すごくつらかったが逃げようとは思わなかった。
   > そんなことをしたら親が殺されると思った。
   > ある中国人(英国人との混血)は娘を差出すのを拒んだため殺された
   > という話を聞いていた。 私が解放されたのは日本軍が撤退する時だった。
   > その後結婚したが、ある時夫は娘と自分をおいて逃げた。
   > 夫には自分が慰安婦にされたことを話していないが、夫はそのことを誰からか聞いて
   > 知っていたのかもしれない。
   > 夫が逃げたのは自分が慰安婦だったことを知ったためだと思う。
   > 何か、あんたの祖父(だったかもしれない男たち)が戦争中ここでひどいことをして、
   > その孫がその話を聞きに来ているっている感じだね。(2001年3月27日談)

 ジープでインドの次はクリスマス,そしてヘリコプターだ。

 つまり、自称従軍慰安婦の婆さま達の正体は、洋公主だったというオチです。

 んじゃ日本は関係が無いねw


 また、記憶の断片化、記憶の断絶は、女性たちの被害の大きさでもあるのです。
 記憶の断片化について精神科医の桑山紀彦氏は、
 「 1つ1つの記憶は非常に鮮明であるにもかかわらず、
  その相互、あるいは時間的な前後の繋がりがはっきりしないという現象である 」
 と説明します。
 またトラウマの本態について、
 「 人間が経験する上で著しい苦痛を伴い、生きる希望を打ち砕き、大切な人間関係を崩し、
  二度と立ち直れないかと思うほどの出来事に遭遇してこころが傷ついたその状態をいう 」
 としています
 (桑山紀彦「中国人元『慰安婦』の心的外傷とPTSD」『季刊 戦争責任研究』第19号、1998年)。

 ジュディス・L・ハーマンによると、これはトラウマを持つ人の外傷性の記憶の特徴です
 (ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』みすず書房1996年)。
 初めて口を開いた時、被害女性はまだ重いトラウマを背負っています。
 つじつまが通っていないと思われるようなぶつ切りの断念的な証言がなされるのは
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状です。
 しかし、自分の話をきちんと聞いてくれる人がいるという「安全の確保」
 (想起と服喪追悼・再結合と共に回復過程の1つ)がなされる中で、
 次第に凍りついた記憶は解凍していくのです。

 90年代になり、女性たちが沈黙を破り自分の身に起きたことを語り始めたのは、
 ハーマンによれば「回復過程」でもあるのです。
 自分の体験を危害を加えずに聞いてくれる人がいるという環境の変化は、
 被害回復への扉を開く1つのきっかけになったといえます。
 そうした女性たちの証言に対して
 「 でっちあげだ 」 「 お金が欲しくて嘘を言っている 」
 等とただ攻撃するのは、被害女性に更なる暴力を加えることに他なりません。

 

 あいやわかった。

 ではそういうことにしよう。

 そういうことにするからには、『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』に 原稿を寄せた人達に対して、私は 「 貸したお金を反せ 」 と主張することにしよう。

 「 借用書を出せ 」 なんて言わないよね。 命令書が無くても旧日本軍および日本政府の命に拠って 慰安婦が強制連行されたのは明白なんでしょ? だったら、借用書が無くても貴方達が私からお金を 借りているのも事実だもんね。

 「 いつ 」 「 どこで 」 「 誰から 」 ・・・ なんて5W1Hも訊くなよ。

  > たとえ一部分の記憶が抜けているとしても、固有名詞を記憶していないとしても、
  > だからと言って証言全体を信憑性が無いといって切り捨てることはできません。

 なんだから、貴方達にお金を貸して、返して貰えないショックでPSTDに陥った私が仔細を説明できな いのは当然のナチュラリィだよな。

 だったら、早く金を返せ。


 2、金学順さんの証言をどう見るか?

 しばしば金学順さんの証言について、提訴した時の訴状に書かれた連行状況と
 その後の証言とニュアンスが違うとか、妓生だったことを隠していた等を挙げて
 証言を否定する人がいます。
 例えば『慰安婦と戦場の性』(秦郁彦著)では「金学順証言の異同」という表が掲載されています。
 この中の「f 慰安婦にされた事情」ではABCとそれぞれの「連行」証言が書かれていますが、
 よく見れば矛盾が無いことが分かります。
 Aは「北京の食堂で日本将校にスパイと疑われ養父と別々に、そのままトラックで慰安所へ。・・・」、
 Bは「Aに同じ」、
 Cは「養父をおどして日本兵が慰安所へ連行、・・・・」
 とあります。
 この場合の「異同」の「異」を挙げるとしたら「養父をおどして」の部分ですが、
 「スパイと疑われ」のやり取りの中で養父が脅されたということであったといえ、
 全く相反する証言ではありません。
 しかも、養父とバラバラにされていた金さんが日本兵にトラックに乗せられ
 慰安所に連行されたことは違いないわけですから、証言のたびに内容が異なるとは言えません。
 証言を重ねる中で思い出されたり、鮮明になることもあるでしょう。
 当初の証言に無かったからといって証言を全面的に否定することはできません。

 

 金学順氏の証言が矛盾しているのは、其処だけじゃないぞ。

 好意的に解釈すれば、証言が異ならない様に思えなくもない部分だけを抽出して印象操作するのは 止めろ!

 

   従軍慰安婦問題を考える「金学順(キム・ハクスン)」
   http://sikoken.blog.shinobi.jp/慰安婦証言/金学順(キム・ハクスン-

   > 【考察】
   >
   > 下記資料を見ると、1991.8.11の朝日新聞の記事は「挺身隊+強制連行」と
   > 他の資料と全く異なった内容になっています。
   > 当該記事については、
   > 掲載された数日後には全く異なる証言がなされていること(1991.8.15ハンギョレ新聞)、
   > また、裁判資料も後者の証言と一致していることを考えると、
   > 多くの方が指摘している通り朝日新聞の記事は記者による歪曲でしょう。
   > なお、当該記者は慰安婦裁判の原告である「太平洋戦争犠牲者遺族会」の
   > 常任理事の娘婿でした。
   >
   > また、「裁判の訴状」(以下、「裁判」)と「金学順(キム・ハクスン)さんの証言」(以下、「金学」)、
   > 及び、「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」(以下、「証言」)の内容を比べると
   > 下記の通り、相違点が見受けられます。
   >
   > < 父の死亡理由等 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・死亡理由の記載なし
   >
   > ○ 「金学」・・・三・一独立運動に参加した独立運動家で、日本軍の銃に撃たれて亡くなった
   >
   > ○ 「証言」・・・独立運動をしていたとは記載されているが、
   >   死亡理由については、「どのように亡くなったかくわしい事情は分かりません」と記載。
   >
   > → 「金学」だけ日本軍に殺されたことになっています。
   >
   >
   > < キーセンになった理由 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・理由の記載なし
   >
   > ○ 「金学」・・・母の再婚相手が嫌で家を飛び出した後、
   >   一人で稼がなければならなかったから
   >
   > ○ 「証言」・・・母が同女をキーセンを養成する家の養女に出した
   >
   > → 「金学」では、家出して自ら養女になった話だったのが、
   >    「証言」では、母が養女に出したことに変更されています。
   >
   >
   > < 中国へ向かうことになった年 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・1939年数え17歳
   >
   > ○ 「金学」・・・17歳(西暦の記載なし)
   >
   > ○ 「証言」・・・1941年満17歳
   >
   > → 17歳は一致していますが、西暦は異なっています。
   >    同女は1924年生まれなので、17歳が数え年なら1939年、満年齢なら1941年になります。
   >    どちらが正しいのでしょうか?
   >
   >
   > < 朝鮮ではキーセンの許可が降りなくて養父に連れられ向かう地 >
   >
   >   ○ 「裁判」・・・「そこへ行けば金儲けできる」とだけ書かれており、
   >            「そこ」が中国をさすのか「鉄壁鎮」をさすのか不明。
   >
   > ○ 「金学」・・・満州(※満州に行く途中の北京で連行される)
   >
   > ○ 「証言」・・・中国
   >
   > → 「裁判」では、最初から「鉄壁鎮の慰安所を目指していた」とも読み取れる内容に
   >    なっています。
   >    また、同女の働いていた慰安所は「鉄壁鎮」という場所にあり、
   >    鉄壁鎮とは満州の鉄壁鎮のことでしょう。
   >    つまり、「金学」では、北京で軍人に連行された後に
   >    図らずとも目的地に辿り着いたことになっています。
   >    それではまずいと言うことで「証言」では目的地を漠然とした「中国」に変えたのでしょうか。
   >
   >
   > < 北京で日本の軍人に職務質問を受けるのが >
   >
   > ○ 「裁判」・・・職務質問、および、それに連なる強制連行の話は出てこない
   >
   > ○ 「金学」・・・食堂で食事をとろうとしている時
   >
   > ○ 「証言」・・・食堂で昼食をとり出てくる時
   >
   > → 「金学」、「証言」では、「裁判」にはない「北京で軍人に捕まった」という情報が
   >    追加されています。 ただし、上記の「金学」と「証言」は微妙な違いですが。
   >
   >
   > < 職務質問をした将校が >
   >
   > ○ 「裁判」・・・職務質問、および、それに連なる強制連行の話は出てこない
   >
   > ○ 「金学」・・・長い刀を背中にしょっていて、その刀を養父につきつけたり振り回したりする
   >
   > ○ 「証言」・・・刀の話は出てこない
   >
   > → 刀を背中にしょってる将校などありえない話なので「証言」では削除したのでしょう。
   >
   >
   > < 養父と別れた場所 >
   >
   > ○ 「裁判」・・・鉄壁鎮(慰安所のあった場所)
   >
   > ○ 「金学」・・・北京
   >
   > ○ 「証言」・・・北京
   >
   > → 「金学」、「証言」では共に、北京で軍人に捕まって養父と離れ離れになります。
   >    養父と鉄壁鎮で分かれたとしている「裁判」とは大きな違いです。
   >
   > 「裁判」と「金学」、「証言」との一番大きな相違は、
   > 「北京での軍人による強制連行」の有無です。
   > 「裁判」では、鉄壁鎮まで養父と一緒に行って、そこで別れて慰安所に入れられたのが、
   > 「金学」、「証言」では、北京で軍人に捕らえられ、
   > そこから鉄壁鎮の慰安所に連行されたことになっています。
   > 如何にも、後から取って付けた話です。
   >
   >
   > 【信憑性】
   >
   > 同女の証言する強制連行は信憑性が全くないと言えるでしょう。
   > 養父に売られた後、キーセン学校を卒業したものの朝鮮で営業できなかった為に、
   > 中国に行って慰安所に入れたという話で、その他の部分は信憑性があると思います。

 こんなもんが肯定できるわけないだろ。


 また、「慰安婦」にされた女性が妓生であったかどうかは関係ないのです。

 

 妓生学校の卒業者だった → 売春婦予備軍が売春婦になっただけ。

 妓生学校の生徒ではなかった → 素人が売春婦になった。

 全然違います。


 無理やりトラックに乗せて慰安所に連れて行ったということが、連行の問題なのです。
 仮に本人が知らないところで養父が彼女を軍人に「売った」というのであれば、
 日本軍が未成年の女性の人身売買に関わったということになります。
 そうであれば当時の刑法に違反する犯罪であり、それはそれで重大な問題です
 ( 刑法第224条「未成年者略取及び誘拐」には、未成年者を略取又は誘拐してはならない
  としていますし、第225条(営利目的等略取及び誘拐)は、営利、わいせつ又は結婚の目的で、
  人を略取又は誘拐してはならないとしています。

 

 どういうやり取りがあったのか分からないのに、法律に当て嵌めて杓子定規に断罪するな。

 再三述べている通り、日本に併合して貰って、土人未満の未開から一足飛びに、輝ける大日本帝国 の領土として相応しいインフラを整備して貰ったとはいえ、貧困層がなくなったワケではありません。  緯度の高い朝鮮半島の冬は本当に厳しい寒さですから、日本本土の東北地方の貧困農村がそうやっ て一家全員の餓死を逃れたように、金学順氏の親も娘が売春婦に成らなければ飢え死にしかねない 極限状態にあったのかも知れません。

 だとすれば、法的にはアウトでも情状酌量の余地アリということになります。


 3、河野談話も歴代総理も「証言」にみる強制性を認めてきた

 河野談話は、「慰安婦」の徴集と慰安所における強制性を認めています。
 談話を発表した河野洋平氏はその理由について、16人の被害女性から話を聞いたが、
 「 明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。
  その状況を考えれば、この話は信憑性がある。
  信頼するに十分足りうるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えるということが
  わかってきました 」
 ( 女性のためのアジア平和国民基金『オーラルヒストリー アジア女性基金』2007年3月 )
 と話しています。

 橋本龍太郎首相以来、第一次安倍内閣を含めて歴代の内閣総理大臣は
 河野談話を踏襲してきました。
 「強制」を認めた説明として政府は、
 「 政府が調査した限りの文書の中には、軍や官憲による慰安婦の強制募集を示すような
  記述は見当たりません。 総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで判断した 」
 と、答弁してきました。 いわば、歴代政府も被害者の証言を認めてきたのです。

 

 まぁ、そのwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』がアップロ ードされた時点では明かされていなかった情報なのでしょうがないんだけどね。 こうやって河野談話が 崩壊する前のサヨクの主張を読むと滑稽以外の何物でもないなw

 

 ( 2ちゃんねるまとめブログに見る 河野談話の崩壊 より )

   2013/10/16 Hyper News 2ch
   【政治】元慰安婦報告書、韓国でのずさん調査浮き彫り
   …慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧、「河野談話」の根拠崩れる(産経)
   http://hypernews.2chblog.jp/archives/51557449.html
   > 産経新聞は
   > 15日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の
   > 根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手した。
   > 証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、
   > 氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だった。
   > 軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、
   > 決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったと判明したことで、
   > 河野談話の正当性は根底から崩れたといえる。
   > 産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった。
   >
   > 5年7月26日から30日までの5日間、ソウルで実施した聞き取り調査に関しては
   > 9年、当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で
   > 「 (強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった 」
   > と証言している。
   > ところが政府は、この調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかった。
   >
   > 産経新聞が今回入手した報告書はA4判13枚で、調査対象の16人が慰安婦となった
   > 理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。
   > だまされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が
   > 描写されている。
   >
   > しかし、資料としての信頼性は薄い。
   > 当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず、
   > 報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人で空欄が6人いた。
   > やはり朝鮮半島で重視される出身地についても、大半の13人が不明・不詳となっている。
   >
   > 肝心の氏名に関しても、「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの、
   > 「カン」などと漢字不明のものもある。
   > また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたと
   > みられる箇所も存在する。
   >
   > 大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で
   > 働いたとの証言もある。
   > 元慰安婦が台湾中西部の地名「彰化」と話した部分を日本側が「娼家」と勘違いして
   > 報告書に記述している部分もあった。
   >
   > また、聞き取り調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。
   > 調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、
   > 訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。
   >
   > 日本側の聞き取り調査に先立ち、韓国の安秉直ソウル大教授(当時)が中心となって
   > 4年に行った元慰安婦への聞き取り調査では、連絡可能な40人余に
   > 5〜6回面会した結果、
   > 「 証言者が意図的に事実を歪(わい)曲(きょく)していると思われるケース 」 (安氏)
   > があったため、採用したのは19人だった。
   >
   > 政府の聞き取り調査は、韓国側の調査で不採用となった元慰安婦も
   > 複数対象としている可能性が高いが、政府は裏付け調査や確認作業は一切行っていない。
   >
   > 談話作成に関わった事務方トップの石原信雄元官房副長官は産経新聞の取材に対し
   > 「 私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、
   >  談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信憑性を疑わせるとなると
   >  大変な問題だ。 人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる 」
   > と語った。
   >
   >
   > ■ 河野談話
   > 平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に
   > 心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。
   > 慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が
   > 国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、
   > 「 官憲等が直接これに加担したこともあった 」
   > 「 募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた 」
   > などと強制性を認定した。 閣議決定はされていない。 
   >
   > (終わり)
   >
   >
   > ソース(MSN産経ニュース、政治面)
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101608380010-n1.htm ( 魚拓 )
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101608380010-n2.htm ( 魚拓 )


   2013年10月16日 まとめたニュース
   【何これw】 従軍慰安婦の存在は、韓国から「信頼して下さい」と言われたから信じた
           騙された思いだ
   http://matometanews.com/archives/1647399.html
   > 「韓国を信頼し『公正・冷静に語れる人を』と言い韓国は約束した」 石原元官房副長官
   >
   > 河野談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官は
   > 15日までに、産経新聞のインタビューに次のように語った。
   >
   > −−聞き取り調査結果を見ると生年月日や氏名、出身地の明記がない者が多い
   >
   > 「 証言者の身元がかなりあやふやという印象を持ったわけですね。
   >  (身元は)証言内容を判断する上で非常に重要な要素だ 」
   >
   > −−16人の中には、安秉直ソウル大教授(当時)らの調査で信頼性が低いとされ、
   >    韓国側の証言集から省かれた人が含まれているようだ
   >
   > 「 信用できない人について日本政府が聞き取りしたと? 」
   >
   > −−日本の複数の新聞や韓国側の調査に対し、
   >    それぞれ異なる証言をした人も含まれている
   >
   > 「 うーん。 そういう話になると、基本がおかしくなる。
   >  もともとの証言の信憑性が揺らいでくる 」
   >
   > −−そういうことになる
   >
   > 「 証言者の人選は韓国側が行った。
   >  私たちは韓国側を信頼し
   >  『反日運動をやっておらず、公正・冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ』
   >  と言い、韓国側がそれを約束したから調査に行った。
   >  その根っこが揺らぐと何をか言わんやだ
   >
   > −−対日裁判を起こした当事者も5人含まれる
   >
   > 「 反日運動に関わっている人は外してくれと言い、韓国側はそうします、と言っていた 」
   >
   > −−石原さんら日本側の理解はそうでも、現実は違っていた可能性が高い
   >
   > 「 残念ながら、当時の状況では身元調べというか、裏打ちするまで能力がなかった。
   >  だから信頼関係でやったわけだ、あくまで。 その信頼が崩れるとなると何をか言わんやだ
   >
   >
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101610180011-n1.htm ( 魚拓 )


   2013年10月17日 気になったニュース(`・ω・´)
   【元慰安婦報告書】韓国に配慮、まず強制ありき 「事実より外交」のツケ重く
   http://kininatta2chmatome.doorblog.jp/archives/7365894.html
   > 河野談話の根拠となった元慰安婦への政府聞き取り調査のずさんさが
   > 産経新聞が入手した資料で浮き彫りになった。
   > 談話はその後も独り歩きし、国際社会での日本の立場を大きく傷つけ続けている。
   >
   > (阿比留瑠比)
   >
   > 「 当時、日韓関係を考えて、ポイントは(慰安婦募集の)強制性を認めるかの一点だけ
   >  だった。
   >  それを、元慰安婦の聞き取り調査内容を担当官から聞いた心証として認めたわけだ 」
   >
   > 石原信雄元官房副長官は今回、河野談話作成時の宮沢喜一内閣の事情を振り返った。
   > 石原氏は平成19年の民主党の会合では、
   > 「 事実判断ではなく、政治判断だった 」
   > と証言しており、 当時の政府首脳らのあやふやな「心証」が
   > 今も日本の足を引っ張っている。
   >
   > この頃、韓国側は元慰安婦の名誉回復に非常にこだわっていた。
   > そのため、日本政府に「強制」を認めるよう強く求めていた。
   >
   > 「 強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった 」
   >
   > 石原氏は産経新聞の17年のインタビューで、当時の政府の見通しをこう明かしている。
   > ところが、政府が国内外、関係省庁に公文書館と
   > 「 八方手を尽くして調べた 」 (石原氏)
   > にもかかわらず、
   > 証拠文書も日本側の証言も見つからない。
   >
   > 物的証拠を発見できなかった政府は、5年3月23日には、
   > わざわざ「強制」の定義を広げる国会答弁までしている。
   > 談話作成に関与した当時の谷野作太郎内閣外政審議室長は、
   > 参院予算委員会でこう述べた。
   >
   > 「 単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて
   >  本人の意思に反してある種の行為をさせた場合も含む 」
   >
   > 同じ頃、政府首脳も
   > 「 精神的苦痛、心理的なものも含めて強制とする 」
   > という見解を示した。
   > 石原氏は今回、
   > 「 かなり広げた。 宮沢首相や河野洋平官房長官は、日韓関係を将来良くしようと考えたら、
   >  彼らの言い分をある程度もう認めざるを得ないという気持ちがあった 」
   > と振り返る。
   >
   >
   > このようにして、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話の下準備を進め、
   > その上で臨んだのが、韓国側の要請と人選による元慰安婦の聞き取り調査だった。
   >
   > ただ、実際には調査は元慰安婦一人当たり3時間程度で、
   > 通訳や質問者が話す時間を考えると、証言時間は短い駆け足調査だった。
   > そして、この「形式的な調査」(現在の政府関係者)のわずか5日後、
   > 河野談話は発表された。
   >
   > 苦心惨憺して韓国のために強制性を認めた結果、日韓関係は逆に悪化した。
   >
   >
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101614160015-n1.htm


   2013/10/18 政経ch
   【慰安婦問題】 産経新聞「大スクープ」・・・橋下市長は評価、韓国マスコミは反発
   http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-10929.html
   > 産経新聞が2013年10月16日付朝刊で、特大の「スクープ」記事を発表した。
   > 「河野談話」(1993年)の根拠となった日本政府による元慰安婦女性への聞き取り調査が、
   > ひどく「ずさん」なものだったと指摘したのだ。
   >
   > 「河野談話の正当性は根底から崩れた」と産経は高らかに主張する。
   > 橋下徹大阪市長ら一部政治家からは拍手が上がるが、他紙はほぼ黙殺、
   > 閣僚たちも事実上「ノーコメント」だ。
   >
   > 記事は計4面にわたって掲載され、文字数は1万を超える超特大記事だ。
   > 産経新聞の力の入れぶりがうかがえる。
   >
   > 以前から聞き取りの「証拠能力」を疑問視する声は少なからずあった。
   > そもそも調査を行う以前から、
   > 「 証言の『信憑性』の問題が生じる 」(朝日、93年3月24日朝刊)
   > として、政府は実施そのものに難色を示していた。
   > 河野洋平氏自身、「 証言には間違いがある 」 との指摘が当時からあったことを認めている。
   > 今回の報道は、こうした指摘を新出資料から「蒸し返した」形だ。
   >
   > 各界の反応は分かれた。
   > 菅義偉官房長官の16日会見では、産経記者からたびたび質問が飛んだが、
   > 菅官房長官は談話を引き継ぐ立場を繰り返すとともに、談話の根拠について、
   > 「 当時日本政府としては、政府文書の包括的調査や韓国で実施した聞き取り調査などを
   >  行ったものと、そうしたことについては承知しています 」
   > との認識を示した。
   > 産経の「聞き取りのみが河野談話の根拠」という主張に釘を刺した格好だ。
   > 岸田文雄外相も18日、同様の見解を述べている。
   >
   > 一方、かつて「慰安婦発言」で論争を呼んだ橋下市長は、
   > 「 きちっとあのような事実は報じてもらいたい 」
   > を評価し、各社による積極的報道を促した。
   > 自民の高市早苗政調会長も、産経の取材に「大変残念だ」などと「ずさんな調査」を
   > 批判したという。
   > 維新の中山成彬衆院議員は記事への賛同をツイッターでつぶやき、
   > 河野氏に対し「釈明」を求めた。
   >
   > 産経記事では新聞各紙のこれまでの慰安婦報道も「検証」、
   > 産経のみが一貫して「正しい」報道をしてきたと主張し、
   > 特に朝日新聞などに対しては「誤報」で誤解を広めたとして批判している。
   >
   > しかし産経の報道を、各紙はほぼ黙殺している。
   > わずかに毎日新聞が、前述の菅官房長官会見に触れたのみだ。
   >
   > 逆に韓国紙は
   > 「 河野談話を無力化しようと攻勢 」(朝鮮日報)、
   > 「 日本右翼言論が大々的に報道 」(京郷新聞)
   > などとこぞって大きく取り上げている。
   >
   > このうち左派系紙「ハンギョレ」は、報道の内容を「詭弁」とした上で、
   > 報告書の「曖昧さ」については、
   > 「 当時の朝鮮人女性は9割が文盲であり、
   >  こうした高齢女性に何十年も前の経験を聞くということの『限界』と見るべきだろう 」
   > と擁護した。
   >
   > 産経新聞は、こうした反応も盛んに取り上げるなど、
   > 連日「慰安婦キャンペーン」を続けている。
   >
   > (抜粋)
   >
   >
   > http://www.j-cast.com/2013/10/18186655.html?p=2


   2013年10月18日 保守速報
   【韓国最高学府】安秉直・ソウル大学名誉教授
   「 調べた限り、日本軍が女性を強制動員して慰安婦にした客観的資料はない! 」
   ついにキタ━━━(゚∀゚)━━━!!
   http://www.hoshusokuhou.com/archives/33224767.html
   > 本来なら河野談話の主役である河野洋平元官房長官に直接問いただしたいところだ。
   > だが、残念ながら産経新聞の取材は受けてもらえないので、河野氏の言葉を他媒体から
   > 引用したい。
   >
   >  「 日本政府調査団の慎重姿勢に徐々に心を開いた16人が当時、
   >   『出所や中身は公表しない』との約束で口を開いてくれた 」
   >  ( 平成20年10月8日付読売新聞 )
   >
   > 河野氏は聞き取り調査内容を公表しない理由についてこう主張するが、
   > 実際には日本での慰安婦賠償訴訟の原告が5人いる。
   > 日本の新聞のインタビューを受けて連載記事で取り上げられた人も、
   > 安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大教授(当時)ら韓国側が行った聞き取り調査に応じ、
   > 元慰安婦の「証言集」に収録されている人もいた。
   >
   > つまり、日本政府が内容を秘匿することにあまり意味はないのである。
   > また、河野談話作成にかかわった当時の政府高官は
   > 今回、産経新聞に河野氏の主張と矛盾することを語った。
   > 「 私は公開してもいいと言ったが、河野さんが 『 絶対だめだ 』 と反対した 」
   >
   > どちらの言い分が本当かはまだ「藪(やぶ)の中」だが、いずれにしても河野氏の発言は
   > 情緒的すぎる。
   > 河野氏は月刊誌「世界」の昨年10月号のインタビューではこんな言い方をしている。
   >
   > 「 日本政府の調査に対し、当事者の方々がその辛(つら)い体験を話してくださったのは、
   >  こちらの姿勢への信頼が生まれて初めて語ってくださったのです。
   >  『 証拠がない 』 という批判は、その信頼を裏切るものだ 」
   >
   > とはいえ、実際の調査は1人当たりわずか約3時間程度で、
   > それも通訳を介してのやりとりである。
   > 安氏ら韓国側の調査のように、5、6回面会してじっくり話を聞いたわけではない。
   >
   > また、河野氏は当事者の信頼を裏切るなというが、およそ論理的ではない。
   > まるで、元慰安婦の証言はすべて丸ごと信じるべきだと言わんばかりで、
   > そこには事実関係の追究・解明という視点も、国益という観点も見あたらない。
   >
   > 一方、福井県立大の島田洋一教授が19年3月にソウルで安氏と会った際、
   > 安氏はこう語ったという。
   >
   > 「 私も元慰安婦の聞き取りも含め詳しく調査したことがあるが、
   >  調べた限り、日本軍が女性を強制動員して慰安婦にした客観的資料はない。
   >  研究者として証拠といえる証言もなかった 」
   >
   > (抜粋)
   >
   >
   > http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131017/plc13101712140014-n1.htm


   2013年10月25日 何でもありんす
   【慰安婦問題】 聞き取り調査には「韓国の民間団体の強い要望」で、福島瑞穂・社民党前党首が 同席していた
   http://milfled.seesaa.net/article/378459593.html
   > ■ 公正、真実、信頼…どこまでも怪しい河野談話(MSN産経)
   >
   > 引用ここから〜〜〜〜〜〜〜〜
   >
   > 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野談話の根拠となった、韓国での
   > 元慰安婦16人の聞き取り調査の実態について、改めて考えてみたい。
   >
   > 「 バイアスのかかった人たち、反日運動をやっている人から聞いたのでは、
   >  初めから参考にならない。
   >  そうではなくて、真実を語れるような状況のもとで公正な、
   >  真実を語ってくれる人を選んでくれと韓国側に言った。 韓国側も同意した 」
   >
   > 河野談話作成に事務方のトップとしてかかわった石原信雄元官房副長官は
   > 今回、産経新聞のインタビューでこう繰り返した。
   >
   > その考え自体に異論はないが、肝心なのは実態はどうかだ。
   > 石原氏は韓国側を 「 信頼していた 」 と振り返ったが、聞き取り調査が
   > そんな公正性が担保されるような環境下になかったことは明々白々なのである。
   >
   > もともと聞き取り調査は、慰安婦募集の強制性を示す物的証拠が一切見つからない中で
   > 「 向こう(韓国政府)が 『 当事者の意見を聞いてくれ 』 と言ってきた 」(石原氏)
   > という。
   > だが、実際に調査が実施された場所は韓国政府の公館でも何でもなく、
   > 太平洋戦争犠牲者遺族会という民間団体の事務所だった。
   >
   > そしてこの遺族会とは当時、日本政府を相手に慰安婦賠償訴訟を起こしていた
   > いわくつきの団体である。
   > そもそも慰安婦問題に火がついた一つのきっかけは、
   > 朝日新聞が3年8月に 「 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く 」 と報じたことだ。
   > 記事は 「 女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に連行 」 などと事実に反した内容だったが、
   > これを書いた記者の義母が幹部を務めていたのが、この遺族会というのも因縁めいている。
   >
   > また、聞き取り調査には「韓国の民間団体の強い要望」(5年7月29日付朝日)で、
   > オブザーバーとして福島瑞穂弁護士(社民党前党首)が同席していた点もしっくりこない。
   >
   > 福島氏は当時、遺族会による賠償訴訟の原告側弁護士であり、
   > さらに、聞き取り調査対象16人中の5人までもがこの訴訟の原告なのである。
   > こうなると、石原氏の言う「公正」「真実」などむなしい限りで、むしろ一定の政治的意図を
   > 感じない方が不自然だろう。
   >
   > 付け加えれば、遺族会は後に詐欺の疑いで警察に摘発された。
   > 日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府から補償金を受け取ってやるとして
   > 弁護士費用名目などでカネをだまし取っていたという理由だ。
   >
   > 福島氏は前述の5年の朝日記事の中で、日本政府の調査団が聞き取り調査の冒頭、
   > 元慰安婦に 「 日本は、やってはいけないことをした 」 と必ず謝罪したとのエピソードを
   > 明かしている。 何のことはない、日本側は話を聞く前から結論を決めていたのではないか。
   >
   > ちなみに政府は聞き取り調査内容を非公開としているが、
   > 当時の新聞には調査に応じた複数の元慰安婦の名前が堂々と掲載されている。
   > 今さらプライバシー保護でもあるまい。 河野談話は、どこまでもうさんくさい。
   >
   > (政治部編集委員)
   >
   > 〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで

 すべては、愚かでお人好しな日本政府が韓国に配慮して創った嘘です。 こんなものは、溺れる者が 掴む藁にすらなりません。


 4、責任の所在を立証するのは被害女性ではない

 そもそも、被害女性の証言に、自分が入れられた慰安所を誰が管理・監督していたのか、
 誰の命令で設置されたのか、誰の命令で自分たちはそこに連れてこられたのか、
 事実関係の立証を求めるのは無理な話です。
 彼女を直接だましたのが警官や区長、業者だったとしても、誰が集めるように指示したか、
 「首謀者」「命令者」については、彼女は知る由もないからです。

 

 では、その時点で終了している、というだけの話である。 

 悪鬼帝国軍が証拠を隠滅したにせよ証言以外に証拠がなく、その証言から 「 日本軍および日本政 府の命に拠る強制連行 」 が推し量る事さえ不可能であるなら、そんなものは [ 悪魔の証明 ] でしかな い。

 ましてや、愚かでお人好しな日本政府が韓国に配慮して創った河野談話という嘘が、嘘だとバレてし まった現在、慰安婦問題を 「 日本軍および日本政府の命に拠る強制連行 」 として証明することは叶 わない。 可能性を示す事すら出来ない。

 この現状でサヨクに出来ることは諦めるだけである。

 どうしても“可哀想な自称従軍慰安婦婆さま”を助けてやりたいなら、サヨクが自分のポケットマネー で やるしかない。

 それが現実である。


 このように、責任の主体が被害女性の証言に出てこないからといって、その事実はない
 ということはできません。
 むしろ、被害女性たちの数々の証言を通して見えてくるものが何であるのかを
 明らかにすること(真相究明)は、被害者ではなく、日本政府の責任です。

 

 だったら、せめて検証可能な証言をしろ。

 高齢ボケにしろPSTDにしろ、検証に使える5W1Hがない証言なんか幾ら聞いても何も見えてなんか 来ません。

 正鵠を射てるかどうか以前の問題で、どっち向いて射ているのかすら分からない証言で謝罪と賠償を しなければならないというなら、まずは貴方達が手本を示してください。

 私から借りたお金を返して下さい。

 先ず隗より始めよ、ということです。



   [ 画像:証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集T??南・北・在日コリア編 省略、
   (引用元アドレスをご参照ください)

   証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集T??南・北・在日コリア編


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